吸血鬼を探す夜④
鳳凰マンション。
この街で一番高いマンション。値段も、階層も。
その最上階に、杉越は一人暮らししているらしい。
僕は彼に呼び出され、そのマンションのふもとに居た。
夏の午後八時。人通りは少ないが、住宅街の明かりがあって、街はまだまだ覚めている。
そのマンションは壮健だった。僕自身、安いアパートに住んでいるから、余計にそう感じるのかも知れない。
同じ高校に通っていても、何故、こうも差があるのだろう。家賃は一体どこから出ているんだろうか。
……あまり深く考えない事にした。
『お、来たねぇ』
耳元に付けた無線機から、杉越の声が聞こえる。
『十四階から君の姿が見えるよ。君も上を見てごらん』
杉越の言う通りに上を見上げると、マンションの廊下から身を乗り出して、地上へ手を振る人影が見えた。
「危ないぞ。囮になる前に死んだりするなよ」
『……今さらだなぁ。あ、関ヶ原さんも来たよ』
人影の振る手が、僕の立つ場所から少し後ろに向かう。僕もその方向に振り返ると、背の小さい女子の姿が見えた。
『少し待っててくれ。僕が下まで迎えに行くから』
頭上の人影が奥に引っ込んだ。
「早いのね。石橋。待ち合わせの時間まで、まだ十分あるはずだけれど」
関ヶ原が僕の近くまで来た。私服は藍色が多めな、シックな物だった。彼女のダウナーな雰囲気に良く合っている。
『遥もなんだかんだ言って、吸血鬼探しを楽しみにしているんじゃないかい?』
杉越が無線で僕と関ヶ原の会話に割り込む。
「違う。十五分前行動を心掛けているだけだ。お前みたいな死に急ぎ野郎とは違う」
『酷いなぁ。僕が囮になるのは君達のためなのに。というか死なないから。死んでたまるか』
無線機の階段を降りる足音に、杉越の声が混じる。
「死に急ぎ……。人間って、死んだらどうなるのかしらね」
関ヶ原が夜空を見ながら、一人ぼやく。
「あの世って、有るのかしら」
「……さぁな」
僕も関ヶ原と同じように空を見上げてみる。星が一つも見えないぐらいには、この街は都会だ。
あの世。もっとも、そう呼ばれる場所があったとしても、僕達があの空へ登って行けるかどうかは解らない。
特に、関ヶ原みたいな神に敬意を払わない人間の魂は、きっと地の底に落ちていくのだろう。
「吸血鬼探しなんてやめて、ボランティア部でも作って、今の内に徳を積んでおくか?」
「天国へ行けば、神になれるの?」
関ヶ原が空から視線を落とし、僕を真っ直ぐ見つめた。
「……地獄に行くよりかは、可能性が有るんじゃないか」
「ふむ」
関ヶ原が考え込む。答えがもしも出たなら教えてもらおう。
『中々面白い話題だね。それじゃあ、関ヶ原さん。もし、君が神なら、天国に行く亡者と地獄に行く亡者を、どうやって分ける?』
「そうね……きっと、私が気に入るかどうかで分けるわ」
「独裁的な神様だな。お前を神にするのはまずい気がしてきたぞ」
もちろん、僕はどちらかと言えば天国へ行きたい。こんな奴のご機嫌取りなんてしなくとも。
「普通の気にもならない奴を地獄に入れたりはしないから大丈夫よ。それに石橋、あなたに神を決める権利が有るの?」
「ないよ。あったら自分を神にする」
そもそも、こんな奴が神なら、天国だって
「それから……石橋。やっぱりあなたは、私を神にした方がいいわよ」
「なんでだよ」
「……私、結構あなた達の事、気に入ってるもの」
……どう返したものかと言い淀んでいると、杉越が十四階を下り終え、僕らの目の前に姿を現した。
「へぇ。なら、僕らがわざわざ徳を積まなくても良さそうだね」
無線機からだけでなく、目の前の杉越の声が、直接僕の鼓膜を震わせる。
「ボランティア部はやっぱりなしで、今夜は吸血鬼を探そう」
・・・・・・
「お邪魔します」
杉越の部屋の玄関をくぐる。
僕の安アパートのドアと違って、どこかセレブチックだ。
……こんなコメントしか浮かばない、自分の感性が少しだけ恥ずかしい。
「案外綺麗にしてるのね」
関ヶ原がリビングを見回しながら言う。
空調も効いていて、快適だ。僕の部屋には扇風機しかない。
「案外とはなんだ案外とは。心外だなぁ」
杉越が憤慨する。
「もっと、いろんな奇物がそこかしこに散らばっているのだと思っていたわ」
きぶつ。初めて聞く言葉だったが、なんとなく意味は分かる。
「あ、ちなみに、あっちのドアは開けちゃ駄目だからね」
杉越がその台詞を言い切る頃には、関ヶ原があっちのドアを開け放っていた。
好奇心は猫を殺すという言葉を知らないのだろうか。こいつは。
関ヶ原が部屋の前で固まっていたので、開けたのは僕じゃないと心の中で言い訳しつつ、僕も部屋を覗き込んでみた。
その部屋の床一面を、奇物が絨毯のように覆っていた。
まるでゴミ屋敷だった。
次いで杉越に振り返る。彼は変わらず
「『臭い物に蓋をする』……という慣用句は、しばしばネガティブな意味で
「だからどうした」
「最低限の努力はしたんだ。褒めてくれ」
この有様は最低限を下回っているのではないだろうか。
振り返ると関ヶ原が『本格的黒魔術』という本を部屋の入り口から拾っていた。あんな一周回ってストレートな本、どこに売っているのだろう。
本を取り上げて捨て、部屋のドアを閉じる。
「ほら、時間の無駄だ。早く作戦を実行しよう。どうやって吸血鬼と接触するんだ?」
「お、ノリノリだねぇ。僕は嬉しいよ」
それは違うとさっき否定したはずだけれど、もう一度否定するのも面倒くさいので、無視した。
「ベランダに来てくれ」
杉越に案内されるがままに、関ヶ原と共にベランダへ続く窓を通る。
ベランダには何も干されていなかった。そういえばさっきの部屋に衣服らしき物もあった気がする。
体がベランダに出た後、後ろ手で窓を閉めようとすると、杉越に止められた。
「あぁ、窓は閉めなくていいよ。閉めたら暑いだろう」
確かに、部屋の冷気がベランダを通って外へ逃げて行くので、夏の夜の八時のベランダでも暑くない。
「でも、もったいなくないか」
「……そんな事言ってたら、クーラーも何も点けられないだろう?」
……あぁ。こいつと僕の家は違うんだった。僕は窓から手を離した。
「ここから、駅前が見えるだろう?」
杉越が街並みを指差す。
危なくない程度にベランダから身を乗り出し、杉越の指と視線を合わせる。そこには、確かに駅があった。
「あそこで吸血鬼の標的になるよう、僕がウロウロしに行くから。君達はここで僕を見ていてくれ」
そう言って、杉越は僕と関ヶ原に双眼鏡を手渡した。
双眼鏡を使って駅前を見てみる。今度は改札口の様子も分かる。
「……いや、ウロウロするだけで標的になれるのか?」
「事件が起きる度に、夜の外出を控える人が増えていくからねぇ。相対的に、僕が標的になる可能性も高いはずだよ」
街並みをもう一度眺めてみると。なるほど、確かに人影が通常よりうんと少ない気がする。
思えば危険な時間帯に呼び出されたものだ。
「でも、今日、この夜に吸血鬼が出るとは限らないだろ。今まで毎日行方不明者が出てた訳じゃないんだから」
「今日出なかったら、明日もやろう。明日出なかったら、そのまた明日もだ」
「……お前なぁ……」
「……でも、今はそれしかない。わね」
関ヶ原が納得する。僕も別段、優れた代替案を思いつける訳でもなかった。
「それじゃあ。行ってきます。バッテリーがもったいないし、無線機は僕が駅前に着くまで切っておいてくれ。十分くらいで着くと思うから」
そう言って、杉越は家を出ていった。
ベランダで関ヶ原と二人きり。である。
「……逃げないのか」
「逃げる?なんでかしら」
「男と二人きりじゃ安心できない。って、カフェで言ってただろ」
「あぁ。あれは冗談よ。襲われた所で、通報してあげるだけだわ。……でも、どうでしょう。生娘じゃないと天国へ行けなかったりするのかしら」
関ヶ原が真剣な表情でスカート丈を見直す。シックなそれは、膝元まできちんと覆っている。
「だとしたら、心の狭い神様だな」
「というか、そもそも、あなたは私を襲ったりしないでしょう」
「まぁな」
「安心安全が大事で、犯罪なんてできないものね。あなたは」
「ん、あぁ……それもあるけどな……」
関ヶ原の体を見下ろす。
言いたい事が伝わったのか、スレンダーな関ヶ原が僕の足を蹴った。痛かった。
「監視するだけなら一人でいいでしょう。私は部屋に戻ってるわ。しばらくしたら交代してあげるから」
そう言って関ヶ原は部屋に戻って行った。
ベランダで一人きりである。
・・・・・・
十分経ったので、無線のスイッチを点ける。
『あー、あー、聞こえてるかい?』
無線機を通して杉越の声が聞こえる。
「聞こえてるよ。今どこに居る?」
『改札の前、見えるかな』
双眼鏡を持ち、駅前を覗く。改札口に焦点を合わせると杉越の姿が見えた。こちらにピースを振っている。あいつが下で僕が上。さっきと位置が逆だ。
「見える」
『それは良かった。ところで、関ヶ原さんの声が聞こえないけれど、どうしたのかな』
「監視するだけなら二人もいらないだろうってさ」
『うー……ん。まぁいいか。じゃあここら辺をウロウロしてるから、君は僕のウロウロっぷりをしかと見ていてくれ』
「了解」
双眼鏡に映る杉越が歩き始め、無線機から足音と風の音がする。
僕は双眼鏡の倍率を下げ、駅前全体が映るようにした。
これで杉越を見失う事はないし、不審者が来た時、事前に教えられるはずだ。
そこでふと後ろに振り返り、関ヶ原の様子を見てみると、ソファーの上でハーゲンダッツを食べていた。
「……関ヶ原がハーゲンダッツ食べてるけど、いいのか」
『うん?食べたいなら君もお好きにどうぞ。冷蔵庫にいくつか残っていたはずだ』
こいつはお金が余ってるんだなぁと改めて感じた。
関ヶ原は真顔で抹茶味を食んでいる。僕の視線に気付いてもいなかった。
……どうでもいい事だけれど、折角だ。関ヶ原が聞いていない内に、あの話をしておこう。
僕は外に向き直り、無線機に口を近づけた。
「なぁ、杉越」
『なんだい、遥』
「お前、僕の夢を否定しただろう」
昨日の昼休みを思い出す。あれはくだらない物だった。
『夢と呼ぶには些か後ろ向きな物だったけれどね。ああ否定したとも。別の矛盾点はまだ教えられないな。まだ吸血鬼を見つけていないから』
「いや、僕の話じゃない。関ヶ原の話だ」
『ふうん……?』
杉越が興味深そうな声を出す。
『今の話と、関ヶ原さんに一体どんな関係があるのかな』
「あいつも、夢を持ってる」
神になりたい。いつ思い出しても馬鹿らしい夢だ。
けれど、本気の夢。
「あいつの夢は、どう思ってるんだ?」
僕の幸福論を否定した杉越が、関ヶ原の夢をどう思っているのか。少しだけ気になった。
『……素晴らしいと思うよ』
……なんとなく、そんな事を答えるだろうと思っていた。
『素敵な夢を持ち、そのために頑張る。実に素晴らしい事だと思うよ。僕は』
「……僕も素敵な夢を持ち、そのために頑張っているんだが?」
『違うね。何度か言った通り君の夢は素敵じゃないし、そもそも実現不可能な訳だから、その頑張りも無駄無意味というものさ。全く愚かしく、素晴らしくない事だ』
散々な言われようだった。
「もしかしてお前は僕の事が嫌いなのか?」
改まって尋ねた事はないけれど、こいつは俺を気に入ってると思っていた。半ばおもちゃとして。
『いいや。君の事は大好きだよ。僕の話を聞いてくれる人は皆大好きさ』
やはり、僕の事を嫌っている訳ではないようだ。扱いはおもちゃよりも悪いかもしれないが。
というか、僕はこいつの話をそんなに聞いていただろうかと、今までの教室での生活を思い返して見る。
これからはずっと無視してやろうかとも思ったが、そっちの方が面倒くさそうだったのでやめておく事にした。
『君はどう答えて欲しかった?』
「普通。と、答えて欲しかったかな。お前には好かれても嫌われても面倒くさそうだ」
『ふふ、大好きだよ』
杉越の芝居がかった、熱の籠った声と裏腹に、僕の体には悪寒が走った。
『ただ、君の夢に関しては、その限りではないかな』
「嫌いなのか」
『嫌いだね』
杉越は確固たる口調でそう言った。
『だって面白くないもの』
「面白くない……って」
『それに、さっきも言ったように、実現不可能じゃないか』
「何でだ」
『だって吸血鬼みたいな化け物が居る世の中だよ?どうすれば安心できる場所を作れるのさ?』
「……部屋の鍵を閉めるだけじゃ駄目なのか」
『残念。フランケンが怪力で君の部屋の壁を取り壊してしまうよ』
杉越が空想を語る。
「フランケンなんて居るわけないだろ」
『ははは。じゃあ、フランケンがこの世に居ないことを証明するまで、君は安心できないな』
後ろの悪魔に目をやる。悪魔が居るなら、フランケンも居る……かもしれない。
「……じゃあ、フランケンでも壊せないような壁を作る」
『へぇ、ゴジラでも壊せない?核爆弾でも?太陽が落ちてきても?』
「あぁ、そうだ。何がなんでも壊れない壁だ」
『それこそ、できるわけないじゃないか』
杉越がくすくすと笑う。この話に終わりが見えないので、僕は話題を変えた。
「……関ヶ原は、どうなんだ。あいつの夢は実現可能なのか?」
『逆に、何で神になれないと思うのかな。天国がない証拠はないし、そこで神になるための試験が行われない証拠もないし、その時に役立つ事が吸血鬼の存在じゃない証拠もない』
「そうである証拠もないだろ」
『それは必要ない。君と違って100%じゃなくてもいい。0.1%でも可能性が有れば、彼女にとってそれを追う理由になる。0と1。君とは根本が違う』
散々な言われようだった。僕の夢が嫌いなだけはある。
僕が必死に別の反論を考えていると、もう一度杉越が口を開いた。
『まぁでも、一応君が夢を叶える方法はある。完璧で安心できる壁を作る方法』
僕は、無言で杉越の言葉を待った。
僕は何も言っていないし、駅前から肉眼でこっちの様子が分かるはずないのに、彼は僕を手に取るように、たっぷり溜めてから言った。
『君も、神様になればいい』
「あら、それなら石橋と私は、ライバルという事になるわね」
片方の耳から、無線機越しの関ヶ原の声が、もう片方の耳から、関ヶ原の声と息遣いが聞こえる。
ぞわぞわした感覚と共に振り向くと、目の前に関ヶ原の顔があった。
「おおっ、お、お前な……」
よく悪寒が走る夜だ。
『おや、今の声は関ヶ原さんかな』
「ええ、石橋、ハーゲンダッツを食べ終わったので交代よ」
『お疲れ様』
「……おう」
無線機のスイッチを消し、ベランダを出る。
「石橋」
「……なんだよ」
関ヶ原の呼びかけに振り返る。
「……負けないわよ」
神になりたいと言った覚えはないけれど。
無視して、僕は部屋に戻った。
ソファーの上に、乱暴に座る。
「神……か」
テーブルの上に置いてある、緑色がうっすらと残る空のカップを見ながら考える。
そして、ガガを見る。
「何ですか?」
こいつさえ居なければ、杉越の話を全て笑い飛ばせただろう。
どうすれば太陽に耐えられる壁を作れるだろう。今までの方法ではいけないことだけは確かだ。
・・・・・・
時刻は夜零時。今日はもう作戦を中止して、
『もうこれ以上夜遅くには出現しないだろう。吸血鬼としては、自分がどの時間に現れるかをあまり明確にしたくないはずだ』
「……確かに、こんな時間に出歩く人間を攫えば、自分がどの時間に現れたか言っているような物だからな」
色んな人間が外に出歩いている時間の方が、帰って足がつきにくいのだろう。
ベランダの窓を閉め、ソファーに座り込む。関ヶ原と交互だったとは言え、目が疲れた。
『僕はもう帰るよ。君達も、先に帰っていいよ』
「鍵は開けっ放しでいいのか?」
閉めてやれんこともないが。
『たぶん大丈夫だろう。うちのマンションはセキュリティばっちりだし』
「ふーん……。じゃあ先に帰らせてもらうよ」
関ヶ原は既に鞄を手に取っている。
『……おや』
そこで無線機から、バッ。という大きな音がした。
機器の不調によるノイズでなければ、この音は杉越の近くで起きた音だ。
「おい、何だ今の音は。何かあったのか」
『ん?ああ、いや、折り畳み傘を開いただけだよ』
「傘?」
ベランダの窓を少し開け、外の様子を伺って見ると、しとしとと雨が降っていた。
『あれ。そういえば、君達は傘を持って来ていたっけ?』
「……持って来ていない」
「持ってきてるわ」
関ヶ原は鞄から折り畳み傘を取り出した。
きちんと天気予報は確認したし、今日は晴のち曇りだったはずだが。
「お前らはどうして降るって分かったんだ?」
『空と会話したからさ』
「勘」
……どう返せばいいか分からなかった。特に杉越の方。
『どうする?僕の家に泊まるかい?』
「いや、できれば遠慮したいな」
僕は今、学校の用意を持って来てはいない。そして僕は余り学校をサボりたくない。今まで真面目な生徒として通して来たのだ。
いい大学へ行き、いい会社に勤め、いい安心を手に入れるためには……、いや、この考えはもう過去の物にしたのだったか。とにかくサボりたくない。
『じゃあ、どうしようか』
「うん……これぐらいの雨量なら、そこまで気にしなくても……」
「あなた達なんの話をしているの?」
関ヶ原が首をかしげる。
「折り畳みだけど、私の傘はそんなに小さくないわよ」
……つまり、私の傘に入れという事だろうか。
僕がどう答えようか考えていると、からかうような口笛が聞こえた。関ヶ原は口をとがらせていないので、杉越の物であることが明白だった。
『何を渋ってるんだい?折角の申し出だ。断る理由はないだろう?』
吸血鬼捜索隊に、恋愛禁止のルールもないんだし。と、杉越は付け加えた。
「別に、そんな意味で言った訳ではないのだけど」
関ヶ原は全く動じず真顔で言った。
ここで断れば負けだと思った。
「それじゃあ、悪いがお邪魔させてもらう」
・・・・・・
さぁさぁと、雨がアスファルトに染み込む音がする。まるで細い雨粒達が、跳ねる事を忘れてしまったかのような景色が、足元に広がる。とても静かな雨だった。
目線を上に向けると、今にも夜に溶けて行きそうな、渋い藍色が目に映る。
関ヶ原の私服同様、この傘も藍色一色。シンプルな物だった。
そして横を見れば、関ヶ原のつむじが目に映る。
「なぁ、近くないか」
「仕方ないじゃない。私の傘はそんなに大きい訳ではないんだから。これ以上離れると肩が濡れてしまうわ」
「まぁ、そうなんだが……」
今にもその肩がふれあいそうだ。
「お前、気にしないのか?こういうの」
「気にしないわ」
身長差が合って、こんなに近くいると表情が分かりづらいが、きっと今も真顔だろう。思えばこいつの真顔以外の顔を見たことがない。
「……誰か好きになったりした事ないのか」
何だか娘の恋愛事情を気にする父親のようだと、自分で言った後に思った。次にどんな答えが返ってきても、この話は終わりにしよう。
「あなた、私の事が好きなの?」
前言撤回。ここで話を終わらせるわけにはいかなくなった。
「恐ろしいことを言うな」
「でも、私に何度も同じような質問をするものだから、てっきり」
「……なら別の質問をしてやるよ」
杉越とも話したし、この際だ。こいつにも何か聞いてやろう。
「何で、神になりたいって思ったんだ?」
こいつについて気になる事は、ずっとこれだ。
「それなら、屋上で既に言ったと思うけど。なんでも思い通りにしたいと思ったからよ」
「……それじゃあ質問を変える。何で、なんでも思い通りにしたいって思ったんだ?」
そこで、関ヶ原は初めて黙って、何かを考えた。
「……色々あるわ。夏休みの宿題が多かった事も理由の一つだし、私がいじめられた事も理由だわ。でも、やっぱり一番は、お父さんとお母さんが死んじゃった事かしら」
平坦な口調だった。わざとそうしているのか、自然とそうなっているのか。僕には分からなかった。
「あれは、悲しかった」
僕は事故が嫌いだ。
それはもちろん、安心安全と、真逆の事だからだ。
両親が事故死する前から嫌いだったし、両親が事故死してからはもっと嫌いになった。
「僕も両親がいない」
僕はいつの間にか、それを関ヶ原に話していた。
何故だか、喋らなければ、公平じゃないと思ったのだ。
「……そう」
関ヶ原が相槌を打った。それも平坦な物だったけれど、全く無感情な物ではなかった。
ではどんな感情だったのかと問われると、それは非常に言葉にしづらい。無理矢理僕が知っている言葉にするなら、納得。だろうか。
そして、関ヶ原が足を止めた。
「家に着いたわ。その傘は貸してあげる」
関ヶ原は傘の下から出て、眼前の家の玄関に向かった。
「……私達、似てるわね」
「……どこがだよ」
「両親が居ない所とか、完璧な物を目指している所とか」
関ヶ原は、一拍置いてこう言った。
「硬いパンが嫌いな所とか」
「……そうだな」
僕はわざわざ否定はしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます