吸血鬼を探す夜②
トイレから出ると、杉越が僕の昼食を持って立っていた。
背後からは、流したての水が便器に吸い込まれていく音がしている。
「やっぱりここに居た」
「……何で僕の昼食を持っている」
僕のランチパック(たまご味)が、杉越の弁当と一緒に掴まれている。
「一緒に屋上で昼食を食べよう。紹介したい人が居るんだ」
「……いや、事前に言ってくれよ」
僕の通っている高校は、珍しく屋上が解放されている。生徒が自由に出入りできる。
僕は家が近いから、という理由でこの高校を選んだのだが、屋上目当てで入学を決めた変わり者も居るようだ。
目の前の彼がそうである。
「サプライズという奴さ。ほら、早く行こう。さっきも言ったが、人を待たせているんだ」
彼が急かすので、渋々、足を階段へ向かわせる。
「会わせたい奴って誰だ?」
ガガは無言で僕の後を付いてくるが、杉越には足音すら聞こえていないようだ。
「実は、僕も吸血鬼捜索に誘われたんだ。僕が自分で探そうと思った訳じゃない」
「……その、お前を誘った奴を紹介したいってことか?」
というか、僕とこいつ以外にも、吸血鬼捜索のメンバーが居るのか。
「うん。ま、詳しくは屋上で」
彼が屋上の扉に手をかけた。先程言った通り、屋上は解放されているので、僕の『鍵』の出番はない。
というかそもそも、杉越が現れたせいで僕の『鍵』はガガに預けたままなのだが。
屋上の扉が開かれる。
僕は屋上に訪れるのが初めてだったので、開放感溢れるフェンス越しの空は少し新鮮だった。
屋上には、既に何人かの生徒が屋上の中央にレジャーシートを敷いている。
「今日は僕が部長を務める演劇部のミーティングが有るんだ。あそこの彼らは演劇部員」
「……部室でやれよ」
「いいじゃないか。我が校演劇部の伝統でね。皆、空が好きなのさ」
杉越がそう言いながら、レジャーシートに腰を落ち着けた部員たちに手を振る。
それに気が付いた女子部員の一人が、長いフランスパンを振って反応する。あれが彼女の昼食なのだろうか。
杉越が屋上の中央に敷かれたレジャーシートへ歩き出す。
その後ろを歩く間、部員の数を数えてみる。杉越を入れて十一人。その数字が演劇部にとって多いのか少ないのか、僕には分からない。
「ほどき先輩。隣の人は誰ですか?」
フランスパン少女が僕の存在を問う。ちなみに『ほどき』とは彼の下の名前だ。『解』の読みである。
「彼は僕の友人さ」
否定したかった。
「彼も吸血鬼捜索隊の一員でね。関ヶ原さんに紹介しておこうと思って」
杉越がレジャーシートの隅に座っている、目付きの悪い女子部員を手のひらで示した。
「遥。彼女が僕を吸血鬼捜索隊に誘ってくれた人さ」
「あんたが石橋ね」
杉越に紹介された、目つきの悪い部員が立ち上がり、僕に握手を求めてきた。
「関ヶ原奏よ。よろしく」
「……よろしく」
一応、握手に応じておく。
僕より一回り背が小さいが、流れてる血液の量はもっと少ないのか、ダウナーな雰囲気を帯びた人だ。
「よし。じゃあ後は二人で話しててくれ。僕らはミーティングするから」
「えっ」
そう短く一言言い放つと、彼は僕と関ヶ原さんから、完全に体を背けた。
「さぁ。ミーティングを始めるよ。今日はいい加減に劇のタイトルを……」
そして僕らをよそに素早くミーティングを始めてしまう。レジャーシートの隅っこに僕と関ヶ原さんが立っていた。
屋上に吹く風が、僕らの脇を吹き抜ける。
きっと、僕ら二人の親睦を深めさせようと、あいつなりに気を使ったのだろう。少々雑だが。
「……座りましょう」
関ヶ原さんがもう一度レジャーシートに腰を下ろす。僕も一緒に座った。
「君はミーティングに参加しないのか」
十人の部員でできた輪がレジャーシートの上で蠢く。僕らはその外に居る。
「私は確かに演劇部だけど……実質的には『超常研究部』なの。演劇部の活動には参加しない」
「『超常研究部』……?」
初めて聞く部活動だった。おそらく超常を研究する部活だろう。
「知らない?無理もないわね。『超常研究部』ができたのは三日前だから」
「……何で演劇部と兼部してるんだ?」
「兼部じゃないわ。今は『超常演劇研究部』という一つの部なの。うちの高校の部活動は、一人じゃ設立できないから。杉越に頼んで、一緒の部にしてもらったの。おかげで学校の金が使える」
「……よく部員達が納得したな」
部費がよくわからない部と半分こだなんて、あいつぐらいの変人じゃなきゃ承諾しないと思うが。
「何、我が演劇部員達は、僕に負けず劣らずの変人揃いだからね」
杉越がこちらに振り返る。
「そ、そんな。俺らなんて普通ですよ」
「そうよ解くん。あんまり褒めないでよ」
変人扱いされた部員達が何故か嬉しそうに照れている。
かのフランスパン少女も、フランスパンを齧りながら、嬉しそうにはにかんでいる。
変人は変人と言われると嬉しがると聞いたことがある。なるほど変人揃いだ。
「それで、劇のタイトルの事だけど……」
そして杉越がまた素早くミーティングに戻る。
今のが言いたかっただけなんだろう。
「まぁ。そんなわけよ」
「……もう一つ聞いてもいいか」
「いいわよ」
「お前……一年生だよな?」
関ヶ原君の上靴の色を指で指す。
それは杉越と同じ、昨年卒業した先輩の学年のカラーと同じ緑。しかし杉越とは違って年季の無い、真新しい緑色をしている。
「如何にも、ピカピカの一年生だけど?」
「……僕の上靴の色が見えるか?」
僕の上靴の色を指で指す。
現在二年生のカラーである青色だ。
「青色ね……つまり石橋、あなたは『俺が二年生でお前が一年生で後輩なのだから、俺に敬語を使え』と言いたいのかしら」
と言いつつも、関ヶ原に言葉遣いを直そうとする気配はない。
「その通りだ」
「ごめんなさい。敬語は使えないし、使いたくないの。それに石橋、あなたも杉越に対してため口を使っているじゃない」
「あいつは留年して僕と同学年だからいいんだ」
「私だって来年は二年生よ。だからいいでしょ?」
「……それは詭弁だ」
僕は諦めることにした。こういった手合いの人間を説得することはできない。僕はそれを身をもって知っていた。前例がある。
屋上の風に揺れているランチパックに手を掛ける。それを合図にしたかのように、関ヶ原が懐から彼の昼食であろう栄養ゼリー飲料を取り出した。一応、僕に合わせたという事だろうか。
ランチパックの封を破りながら、僕はもう一つ問いかける。
「お前は、何で吸血鬼を探すんだ?」
パリッとビニールの裂ける音が風に紛れる。
「…………」
関ヶ原は無言になって、ゼリー飲料のキャップを開けた。僕を無視している訳ではなく、言葉を探しているようだ。
ならば待とうと僕が手元のランチパックに口を付けた所で、隣の関ヶ原からヂュッという音が聞こえた。
もう一度関ヶ原の方に視線を向けると、関ヶ原の手元には、握りつぶされ、ぺったんこになったゼリー飲料の容器が有った。
今の一瞬で吸ったのか。
関ヶ原がごくんと喉が大きく鳴らしてゼリーを飲み込む。そして、ゆっくりと口を開いた。
「あなたは、神を信じる?」
僕の後ろで無言を貫いているガガが、少し興味深そうに身を寄せた。
神を、信じるか。
僕が答えあぐねていると、関ヶ原が更に一言加えた。
「私は、神になりたい」
関ヶ原が空っぽになった容器をレジャーシートの上に置く。
僕は、ランチパックを落とした。それくらい唐突な宣言だった。
悪魔に出会った時と、同じくらいの衝撃だ。
「思い通りに行かない事があるのって、嫌なの。あなたも嫌でしょ?だから全部、私の思い通りにしたい。それができる神になりたい」
「いや、そりゃ、そ、そうだが?」
舌と頭がうまく回らない。すごく当たり前の事を話しているはずなのに。いや、当たり前か?
「そのためには、真理を知る必要があると思うの」
関ヶ原が、置いてけぼりになっている僕を、さらに置いてけぼりにするように話を続ける。
「人間が、ひいては私という個人が、どれだけその真理に近い存在かは解らない。ただ、真理を知らない事は確かだと思う」
関ヶ原が滔々と壮大な事を語り続ける。屋上の風が邪魔だと言わんばかりの、強い声だった。
「だから私は超常を知りたい、神のお告げとか、命の行方とか、吸血鬼の有無とか。そういう物を辿れば、真理へ辿り着けるはず。だと思うから」
神になる方法が、見つかるはず。
関ヶ原は、そう言った。
「……~と思う。とか、~はずだ。とか、不確定要素だらけだな」
前提が壮大過ぎて、そんな否定しかできない。
「当たり前でしょ。解らない事だらけよ。だから、仮定は私の好きにしていいでしょ」
関ヶ原が間違った事を言う。間違った事を言ったはずだ。けれど、僕はそれを言葉で否定することができなかった。
もしかすると。関ヶ原が言った事は正しいのかもしれない。
僕は何も言えなかった。
しばし、僕らの間に沈黙が流れる。
「何、また神になりたいとか言ってんのあんた」
その沈黙を、一人の演劇部員が破った。
「ええ、こいつにあなた達と同じように問われたから。何故吸血鬼を探すのか、と」
「あはは。あんたマジで言ってるんだもんねぇ。ヤバいわほんと。キャラ濃すぎ」
僕の中でA級要注意人物になった関ヶ原を、本物だと理解しながら軽く笑い飛ばしているのも十分ヤバいと思う。
「あ、奏ちゃんまた体に悪そうな物食べてる。もー、育ち盛りなんだからもっとちゃんとした物食べなきゃ駄目だって」
フランスパン少女がレジャーシートの上にあるゼリー飲料の容器を見て、そう言った。
「ほら、私のおやつあげるから」
フランスパン少女が半分程に減ったフランスパンを関ヶ原に投げる。フランスパンは昼食ではなくおやつだったらしい。
関ヶ原がそれをキャッチしたのを見届けると、二人とも演劇部のミーティングに戻って行った。
敬語を使っていない割には、先輩との関係は良好らしい。僕の心が狭いのだろうか。いや、演劇部が特殊なだけだろう。
「……固いパンは苦手なんだけど。石橋、そのランチパックと交換しない?」
関ヶ原がレジャーシートの上に落ちている僕のランチパックを指差す。
「僕だって硬いパンは苦手だ。そもそも、人の好意をあんまり無下にするもんじゃない」
「ふむ……なら仕方ないわね」
関ヶ原がフランスパンを齧る。
僕もランチパックを拾って、開封を再開する。
隣の彼女を見ると、先程のゼリー飲料とは裏腹に、一口一口がとても小さかった。
屋上に時計はないが、なんとなく、完食はできないだろう。と思った。
・・・・・・
放課後のチャイムが鳴る。
それを皮切りに教室は喧噪で溢れる。四方から昨日見たテレビの話が聞こえる。
教室に残り、放課後の予定を相談する者も居れば、そそくさと教室から出ていく者も居る。僕らはどちらかと言えば前者だろうか。
「放課後になったぞ」
「なったねぇ」
後ろの席へ振り返ると、杉越が帰り支度をしていた。
「おい。僕に作戦を教えてくれるんじゃなかったのか」
「
教室を見渡す。どいつもこいつも気の抜けた顔をしている。
だが、噂通りなら吸血鬼はこの学校で生徒に扮装しており、その潜伏先がこのクラスではないという保証はない。
どこそこのカラオケへ行こうと言っているあいつだって、歌で枯れた喉を、人間の血で潤しているのかも知れない。ゾッとする話だ。
「……そういえば、何で吸血鬼はこの学校に居るんだ?」
「さぁ?おそらく不死身なのだろうし、きっと青春時代を永遠に楽しみたい。とかそんな理由じゃないかな」
杉越のブレザーのワッペンを見る。本来この教室にはないはずの緑色。青春延長浪人生の証。
「……お前が吸血鬼なんじゃないだろうな」
「あははは」
杉越がわざとらしく笑う。……ゾッとしない。
「で?結局、作戦会議はどこでやるんだ?」
「海沿いのカフェ。ギフトって名前の」
海沿いの景色を思い出す。確かに、何件かカフェがあった気がするが、そんな名前の物はあっただろうか。
「そこに吸血鬼が居ないという確証は?」
「貸し切りにするから大丈夫」
どうやらその喫茶店に何かしかのコネを持っているようだ。底が知れない奴だ。吸血鬼とどっこいどっこいである。
杉越が椅子から立ち上がる。
「さぁ。関ヶ原さんを教室まで迎えに行こうか」
杉越が教室から出て、一年生の教室がある三階へ足を運ぶ。僕もその後に続いた。
三年生の教室は一階、二年生の教室は二階、一年生の教室は三階にある。
廊下の突き当りにある階段を登り、三階へと登って行く。
「懐かしいなぁ。この階段を三年も登ってたんだ。僕」
「そんなしみじみして言える立場か」
まだそれを笑い話にできるほどの時間は経っちゃいない。未だ在学中である。
「ふふ、まぁ今年は留年する予定はないから大丈夫さ」
「……どうだか、どうせ後一、二年ぐらい、二年生でいるんじゃないのか」
「いいや、僕は来年、ちゃんと三年生になるよ」
そこで杉越は階段を振り返った。
「君と違う学年になるのは、ちょっとつまらないからね」
「……そうかい」
えらい奴に目を付けられたものだ。吸血鬼よりこいつをどうにかすべきかも知れない。
「ああ、でも、このまま二年生を続けて、関ヶ原さんと同じ学年になるのも面白そうだなぁ」
杉越が体の向きを戻し、三階へと向かう。
「遥、どうだろう。僕と一緒に留年しないか」
「絶対にしない」
えらい奴に目を付けられたものだ。吸血鬼よりこいつをどうにかすべきかも知れない。
そうして三階に辿り着いた所で、彼女の言っていた事を思い出す。
『私は、神になりたい』
杉越は僕の幸福論を、矛盾だらけだと切って捨てたが、彼女の夢に関してはどう思っているのだろう。
「おーい。関ヶ原さーん」
杉越が教室の目の前で彼女の名前を呼ぶ。
僕もその後ろから、彼女の姿を探して教室を見渡す。
居た。教室の真ん中で昼休みにフランスパン少女から受け取ったフランスパンをあむあむと食んでいる。
まだ完食できていなかったようだ。
「関ヶ原さんてば」
杉越が教室の中に入っていく。他クラス、しかも他学年の教室によく入っていけるなと思う。一応僕も中に入る。
「まだ食べ終わってなかったのか」
関ヶ原に話しかける。
「固いパンは苦手なのよ」
「関ヶ原さん。作戦会議は海沿いのカフェでやるから、付いて来てくれるかな」
「まだこのパンを食べ終わってないわ」
そう言って関ヶ原はまたフランスパンをあむあむと齧り始めた。
「いや、だからどうした。早く立て」
僕とてそんなに暇じゃない。
「けれど、まだこのパンを食べ終わってないわ」
話にならなかった。
「……もういい。僕が残りを食べるから寄越せ」
「人の好意を無下にするなと言ったじゃない」
「じゃあ、僕に好意を持ってそのパンを僕に寄越せ。僕はその好意を無下にはしない」
「……なるほど。分かったわ」
そう言うと、関ヶ原は僕にフランスパンを渡した。
「君も結構、詭弁を弄するよね」
杉越がにやけて僕を見ていた。
「うるさい。お前も手伝え」
受け取ったフランスパンを半分にもいで、杉越に押し付けた。
「おや、君も僕に好意を持っているのかい。いやはや、照れるなぁ」
杉越がわざとらしく頬を搔く。こんな些細な仕草でも、わざとらしさを出せるのだからすごい。
「しかし、僕も固いパンは苦手なんだが」
「あら、三人と固いパンが苦手なのね。お揃いだわ。私達良いチームになれそうね」
「安上がりなチームだな」
フランスパンを食べた。ガツガツと口を開けて、無理矢理食べきる。
杉越はタッパーに入れていた。何故タッパーを持ち歩いているのかは知らない。
「さて、とにかくフランスパンは無くなったし、カフェへ行こうか」
「わかったわ。それから、石橋」
関ヶ原が席から立ち上がりつつ、僕の口を指差した。
「それ、私と間接キスよ」
口に残るフランスパンが、余計に固く感じられた。
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