吸血鬼を探す夜①

 ××町、また行方不明。一か月で九人。



・・・・・・



 朝の日差しが、リビングに入る。

 真っ直ぐで澄んだ光が、使い込まれた木製のテーブルや椅子を、少しだけ若く見せていた。

 平日の朝、いつもならその朝日を眺めたりしながら朝食を取るのだけど、今日は別の物を見ながら朝食を取っていた。

「ええと……ポケベル。という奴ですよね。それ」

 僕の後ろに張り付いてる悪魔が喋る。

 昨日の夜から時が流れ、朝日が上るまでの時間。人間である僕はもちろん睡眠を取ったけど、ガガはずっと僕の枕元に立っていた。

 悪魔に睡眠は不要、というより、そもそも睡眠という概念が彼らには無いらしい。

 因みに僕が見ているのはスマホだ。

「私も、結構人間の事を勉強したんですよ。その方がきっと交渉も上手く行きますからね」

 ガガが得意顔で話を続ける。僕は無視してスマホの画面をスクロールした。

 ××町、また行方不明。一か月で九人。というニュースの見出しが上へ流れていく。

 昨日の夜の事を思い出す。

 倉庫の囚われの少女。彼女を監禁した真犯人を探すためにこの街の事件を調べた所、ドンピシャの物がヒットした。

 より詳しく、ニュースを読み進めて行く。


 この街で行方不明者が続出している。

 六月一日に一人目が行方不明に、それから不定期に人が行方不明になり続け、一昨日の七月四日に九人目の被害者が出た。

 九つの事件の共通点は、この街で起きただろうという事だけ。

 老若男女関係なく、行方不明者が増え続けている。


 彼女もきっとこの九人の内の一人なんだろう。あんな倉庫がこの街に九つも有るとは思えないけれど。

 行方不明者が、どのような手段で、どこに行ってしまったのかは定かではない。

 とあるサイトでは、神隠しとさえ言われている。

「絡んでいるのは、神様じゃなくて悪魔かも知れませんけどねぇ」

 ガガがスマホを覗き込んだ。

「やっぱり、居るのか。僕以外にも、契約者」

「正確に言えば、遥さんはまだ契約者じゃありませんけどね。ええ、いますよ。遥さん以外にも我々を知っている人間は」

「……この街に何人居るか、とか、分かるか?」

 ガガは首を横に振った。

「いえ、そういうセンサーみたいなのは我々には付いてませんね。同じ建物ぐらいの近さに居れば、気配ぐらいは分かりますが」

「気配?」

「気配というか、人間が言うところの匂いですね。とにかくこの街全域を把握できる代物でありません」

「じゃあ……予想でいい。この街に契約者は何人居ると思う?」

「うーん……この人口なら、遥さんを含めて、多くて三人ぐらいじゃないですか?遥さん一人だけって可能性が一番高いと思いますけど」

 僕一人だけ……それが一番都合がいいけど、九人もの人間を行方不明にして、証拠を一つも残さないなんて事、この現代社会で可能だろうか。

 この事件からは、超常じみた何かをひしひしと感じる。おそらく犯人は僕と同じ悪魔の道具を持つ者と考えていいだろう。

 まぁ、僕が悪魔という存在を意識しすぎているだけかもしれないが、そもそもこいつが言うことも手放しで信用できる物じゃない。とりあえず、この街には僕と真犯人で、二人の契約者が居るという推理で行こう。

「……というか、日本語、読めるのか」

 僕のスマホに日本語を悪魔語に翻訳する機能は付いていない。あっても使わない。

「ええ、日本語というか、規則を持った言語であれば、一つの単語だけでも解読可能です。コツは字の形を……人間には無理ですかね」

 ガガが説明を途中で打ち切る。人間を見下すというより、ただ事実を語るような、淡々とした口振りだった。

「……便利だな、悪魔は」

「でないと交渉が成り立ちませんからね」

「交渉……そういえば、お前の目的は何なんだ?僕の寿命がなんで欲しいんだ?」

 思い付いた疑問を口にする。

 こいつの存在は未だ未知に溢れているので、情報収集は積極的に行って行きたい。

 特に、動機は知っておくべきだと思う。

 しかし、ガガの答えは以外だった。

「それが、私にも分からないのです」

 ガガが困ったように首を傾げた。

「分からない。ってそんなことが……」

「しかし、分からないのでどうしようもありません。例えば、遥さんは自分が何のために生まれてきたのか分かりますか?」

 あまりに急に問われたので、答えることができなかった。

 いや、急でなくともきっと答えられなかっただろう。人間には過ぎた問だ。

「私達は確かに、人間より上位の存在ですが、神様ではありません。分からない事だらけです」

 平然とそう言い切る彼を見て、不思議なことに、僕は一種の親近感を覚えた。

 彼にも僕と同じく、解らない事がある。僕ら人間から完全にかけはなれた存在ではない。その事に安心したのかもしれない。

 彼が依然、人智を超越した人外であることに間違いはないのだが、それでもだ。

「ふうん……」

 しかし、この気持ちを真っ直ぐ伝えるのもおかしな話だ。

 僕はガガとの話をやめて、食器をキッチンへ持って行った。

「そろそろ家をでますか?」

「うん」

 ガガの質問に答えながら、学校用のバッグを持ち上げ、玄関へ向かう。

「御伴します」

 ガガが昨日のように、仰々しく手を胸にかざしてお辞儀した。

「……学校にも付いてくるのか」

「私は『鍵』のそばに居なければなりませんので」

「……いや、お前みたいな不審者を学校まで連れ歩けるか」

 隣にマジシャンもどきを連れて教室に入る自分を思い浮かべる。

 きっとクラスメイトからたっぷり白い視線を向けられるだろう。それを面白がる杉越の顔が容易に思い浮かぶ。

「いえ、大丈夫ですよ。基本的に、人間は我々を視認できません。我々の許可が無ければ」

「……それを確かめてから登校するとしよう」

 ガガが肩をすくめた。

「まだ時間は一日半有るとはいえ、そろそろ信用して欲しいですねぇ。我々は嘘も隠し事もしないのに」

 清々しいほど信用できない台詞だった。



・・・・・・



 登校中の証明実験。

 白髪の不審者が道行く通行人に無視され続けるのは、通学路の歩道橋からよく見えた。

 朝を急いでるからとか、薄情だからなどが理由ではなく、まさに存在ごと認識していないような無視だった。

「分かって頂けたでしょうか」

 歩道橋をガガが登ってくる。

 だが、僕も通行人にならってガガを無視することにした。

「……えーと……あぁ。今私と話すと怪しい独り言になっちゃいますもんね。人前では話しかけるな。という事でしょうか」

 話が早くて助かった。中々物分かりの良い悪魔だ。

「まぁ、信用して頂けたなら別にいいですけど」

 そうやってガガが独り言をぼやいてもこちらに特異な視線が向けられる事はない。

 あらためてこいつが他の人間には見えていないという事を登校中に実感した。

 実感した。けれど、教室に入る時はそれなりに緊張した。

 だが、やはりこちらに白い視線を注がれることはなかった。彼は変わらず視認されていない。

 それでも一応、注意を払って、怪しまれないように堂々と教室を歩き、自分の席に着く。

 そこで後ろの席の彼から、挨拶が聞こえる。

「やぁ、遥。おはよう」

 杉越も勿論気付いていない。

 正直、彼は底が見えない人間なので、悪魔の存在を知っていてもおかしくはないと思っていたけれど、そんなことはなかった。

 僕の背後の悪魔には目もくれず、彼は話を始めた。

「今日は君に見せたい物があるんだ」

 彼が自分の筆箱を持ち上げて、ぶら下がったストラップを僕の顔に近付ける。

「……吸血鬼か?」

 尖った牙。闇に紛れる赤黒いマント。デフォルメされてストローなんか持っているけれど、紛れもなく吸血鬼だった。

「ゲームセンターのクレーンゲームコーナーで見かけたんだ。可愛かったから、取った」

 杉越が得意げに筆箱を揺らした。

「へぇ、いくらで取った?」

「えーと……」

 杉越が視線を上にやり、指をふる。それは彼が何か考え事をする時の癖だった。今はきっとあのストラップに掛けた金額を計算しているのだろう。

 指の動きが止まる。答えが出たようだ。

「大体二億くらいだね」

「…………」

 彼にしては雑な冗談だった。

「それだけの額の硬貨を入れたら多分筐体きょうたいが破裂すると思うんだが」

「そうすれば中の景品は取り放題だ。それもクレーンゲームの攻略法の一つさ」

「豪快すぎる」

 杉越のそばで爆発するクレーンゲームの筐体を思い浮かべる。妙に似合っていた。

「……それで?くだらない話がしたかっただけか?」

「それも有るけど……まだ本題じゃない。今のは噺家が振る枕みたいな物さ」

 杉越が片目を瞑り、肩をすくめた。僕はイラっとした。

「早くその本題を話してみろ」

「この学校に吸血鬼が居る」

 杉越の声が、真っ直ぐ耳に届く。

「……吸血鬼?」

 もう一度、彼のストラップを見てみる。

「そんな可愛い奴じゃあないよ。何でもその吸血鬼は不老不死である事を利用して、ずっとここに在籍して青春を謳歌しているらしい」

「……初めて聞いたぞ。そんな噂」

「君には友達がいないからなぁ」

 全くもってその通りだった。僕に友達が居れば、あの行方不明の事件ももっと早く知っていただろう。

 ちなみに彼は演劇部の部長に就いているので、一応、友達や後輩は居るらしい。

「……で?この学校に吸血鬼が居る。だからどうした」

「一緒に探さないか?」

「断る」

 その提案に乗る理由は一切見当たらなかった。

「ツチノコみたいに、見つかったら賞金が出るとしたら?」

 杉越が条件を上乗せする。

 金は安心の基盤だ、あればあるだけ安心できる。欲しい。

 しかしそれでも僕が乗る理由は無い。僕らが見つけられるような存在ならきっと先人が既に見つけているはずだ。せめて、存在するという証拠ぐらいは。

「吸血鬼が存在する証拠でもあれば、協力してやってもいいぞ」

「んー、証拠かぁ……」

 そんな物が有ったら、それだけで賞金は貰えそうだが。

 杉越が先程のように、考える仕草を見せる。上を見て、指を振る。

「証拠、証拠……」

 しかし、その仕草には妙な白々しさが有った。

「……何か言いたい事でもあるのか?」

「うん、いやね。じゃあ例えば、吸血鬼の餌になった人間が居たりしたら、君は信じてくれるのかな」

 上を向いていた杉越の視線がこちらを値踏みすように見据え、指はピンと止まった。

 餌。

 今朝に調べたニュースが脳裏をよぎる。

「しかし被害者が居たとしても君に見せることはできないなぁ。何せ全員が行方不明になっているものだから」

 杉越が椅子を後ろに倒し、手を頭の後ろで組んだ。

 とことん白々しい振る舞いだ。

「……あの行方不明の事件は、その吸血鬼の仕業だと言いたいのか?」

「おや、あの事件の方は流石に知ってるんだな」

 知ったのはつい今朝方の事だけれど。あれから一時間も経っていない。

「吸血鬼の噂は前々から有ったんだけどね。あの奇怪な事件のおかげで、少し信憑性が増したように思うよ」

「……それはおかしいだろう。前からこの学校に吸血鬼が居たんなら、何で急に人を喰らい始めたんだ。今まで平和だったじゃないか」

「むしろ何で、吸血鬼は定期的に栄養を取る必要が有るなんて言えるんだい?百年に十人喰らえば充分な吸血鬼かもしれないだろう?」

 推論に次ぐ推論。正直、面白半分の噂に行方不明の事件をこじつけているだけのように聞こえる。けれど、悪魔の存在を知っている以上、あらゆる可能性も頭ごなしに否定はできない。

「何か、具体的に事件を調べる手立てが有るのか?」

「お、食い付いて来たね」

 杉越が見透かしたように笑う。

 完全に彼のペースだった。

「確かに、あんな事件が自分の街で起こっていたら、安心、できないものなぁ」

 それも有るし、真犯人を見つけるために、僕の濡れ衣を晴らすためにも事件の詳細を知りたい所だ。

「どうだい?僕と一緒に吸血鬼を探そうじゃないか」

 杉越があらためて提案し、手を差し出す。

 しかし、事件に近づきすぎるのも危険がある。

 僕の直感による推理通りなら、犯人は僕と同じ契約者であり、さらに九人もの人間を行方不明にしたサイコ野郎。

 さらにこいつの事だ。調査方法もろくな物じゃないだろう。こいつは僕をただのおもちゃだと思っているふしがある。

 しかし、どちらにしろ真犯人を探さないといけないのは変わらないし、人手も多い方が良いのは事実。

 ……迷い所だ。

「ふむ……何やら踏ん切りが付かないようだね。よし、じゃあ、賞金に加え、もう一つ報酬を与えよう」

 杉越が、左手と右手の人差し指を一つずつ、天井へ真っ直ぐ立たせた。

「昨日の昼休み、僕は君の幸福論を否定した」

「あれを否定とは呼ばない……それがどうした」

 昨日の彼の言葉を思い出す。

 もし、太陽が落ちてきたら。

 くだらないと断じたはずなのに、その言葉は僕の頭にしっかり刻まれていた。

「あれはあくまで矛盾の『一つ』なんだ。言っただろう?数えればキリがないって。その数多くの矛盾を、君にもう一つ教えてあげよう。君は自分で気づいていないみたいだから」

「……どうせ、またくだらない事を言うんだろう?そんなの知らなくたって、僕が気にしなければ……」

「へぇー?じゃあそうすればいいさ。本当に、気にしないでいられるなら」

 杉越が僕を煽る。

「あぁー、もう」

 僕は渋々、手を取った。

「勘違いするなよ、僕は……」

「あーはいはい。……そうこなくっちゃ」

 杉越がしたり顔で笑う。



・・・・・・



『……もうすぐホームルームだね。時間もないし、そもそも他の生徒には余り聞かれたくない。作戦は放課後に言うよ』

 と、彼は言った。

「作戦。ですかぁ……。そもそも、吸血鬼ってこの世に居るんでしょうか?」

「悪魔のお前がそれを言うのか」

 時は同日昼休み、僕は別校舎の廊下を歩いていた。別校舎は人が居ない。全く居ない、ので、ガガと会話をしても怪しい目で見られることはない。

「だから、私達にも解らない事は有ると言ったではありませんか」

「吸血鬼の有無ぐらいは解らないか?」

「我々は人間のように、自分を最高位の種族とは考えてはおりません。人間が悪魔を知らないように、私達の知らない、我々以上の種族が存在すると考えています。それが吸血鬼ではないと断言することはできません」

 悪魔以上の種族……確かに、愚かな人間である僕には想像も付かない。

「けど、そんな風に考えてたら、上にもまた上が居て、終わりがないじゃないか」

「いえ、それはどうでしょう。我々の知能レベルで考えれば、確かにそういう結論を出さざるを得ませんが、もっと上の種族ならば、別の解答を出すのかも知れません」

 ガガがシルクハットのつばを触る。

「神だけは、自分が最も上位である事を知っている……か」

「神様が居るかどうかも、怪しい所ですけどねぇ」

 ガガが廊下の窓越しに空を見上げる。

 同じ方向を向いてみても、僕の目には雲しか映らない。きっとガガも同じだろう。

「それで、話を戻すが……吸血鬼になれる道具とかは無いのか?」

 例えば、『人の寿命を吸い取る注射器』なんて。

「私の商品は、その『鍵』だけですが……同業者の中にはそういう商品を扱う者も居ると思いますよ。何でもアリですからねぇ」

「……その言い方は、他の悪魔と面識があるのか?」

「はい。街中ですれ違えば、挨拶や世間話くらいはします」

 ガガが頷く。

「覚えてるだけでも、知ってる『道具』を教えてくれ」

「私が他の悪魔と会って、教えてもらったのは……ワープゲート、透明のペンキ、良く飛ぶ紙飛行機、姿を自在に変えるスーツ、治癒のライト、火を操る指揮棒、水を操る指揮棒……他にはどんなのがありましたかね」

「……何でもアリだな」

 錚々そうそうたる道具達を想像する。まるで未来のひみつ道具だ。

 今回の事件、被害者は全員行方不明……怪しいとしたらワープゲートだろうか。その場合、不死の吸血鬼との接点は無くなるが……。

 そこで、『鍵』が入っている僕の右手を見つめる。

 さっきの道具達と比べると、この『鍵』ですらちっぽけに思える。

「なぁ、二人の悪魔と契約して、『道具』を二つ以上所有する事はできるか?」

「いえ、できません。契約できる悪魔は一人までです。他の契約者から借りるか奪うかすれば、二つ以上所有できますが」

 この『鍵』は空き巣には向いているが、まともな契約者なら自分の『道具』を剥き出しで置いておいたりはしないだろう。僕のように体の中にしまっているはずだ。他の契約者から奪うというのは現実的ではない。また、借りる相手もいない。

 つまり、こいつと契約したら最後、僕はこの『鍵』以外の道具を手にすることはできない。

 ……だとしたら、この『鍵』より強力な道具を持つ悪魔を探した方が良いのではないだろうか。

「あ、今この『鍵』しょぼいとか思いましたか?別の道具が良いとか思いましたか?」

 ガガがムッとした顔で僕の方を見る。

「だったらどうした」

「やめてくださいよ。そんな感じでずっと契約取れてないんですよ」

「知るか。しょぼい方が悪い。ワープゲートとかの方がよっぽど価値があるだろう」

 というか、この『鍵』の上位互換じゃなかろうか。

「そういう場合は、デメリットが付いてたりするんですよ。例えばワープゲートなら、ゲートの大きさは手のひらサイズ、一度行った場所にしか繋げられない、一日一回まで、とかのデメリットが有ったはずです」

 なるほど。確かにそれなら少なくとも上位互換とは呼べないだろう。そして人間を隠す事もできなさそうだ。

「後、契約者の側じゃないと使えないっていう制約も有ったと思います。ですが『支配鍵』は回数制限も場所条件も有りません。他の人に貸し出す事もできます」

 デメリットが無い……という事は、その分、制限を付ける必要のない、しょぼい道具だという事ではないのだろうか。後、他の人に貸し出す事は絶対に無いと思う。

「それに、強過ぎる道具はその分、値段が高いんですよ」

「そのワープゲートとやらは一体いくらなんだ」

「……寿命三年くらいでしたかね」

「そんなに変わらないじゃないか……ま、後一日有るんだ。色々考えて見るよ」

 この右手に『鍵』が入ったのは昨日の五時過ぎだったから……あと二十八時間くらいだ。

「もう百年は契約が取れていませんから……良い答えが貰えるとよいのですが」

「百年……?お前何歳なんだ?」

「おっと遥さん。女性に年齢を聞くのはマナー違反ですよ」

「女だったのか!?」

 足を止め、勢い良く振り向いてしまった。

「うふふ。冗談です。悪魔に性別はありません」

 ガガがいたずらっぽく笑う。思えばこいつはずっとこんな顔をしている気がする。

「……悪魔は噓を吐かないんじゃなかったのか」

「冗談は別です」

 ガガは得意顔でそう言った。油断ならない。

「性別が無いなら、なんで男の恰好してるんだ?」

「同性の方が、何となく良いかな。と思いまして。お望みとあらば人間の女にもなれますが」

 そう言うが早いか、ガガの体が水面のように波打ち、容姿やシルエットが変わっていく。

 そしてその波紋が収まると、服装と髪や肌の色はそのままだったが、顔立ちや体つきは完全に女性になっていた。

 髪の長さなんかは、腰まで伸びている。

「どうかしら。私、綺麗?」

 女性になったガガがニッコリと微笑む。しかし、人外らしい雰囲気やギザギザした歯もそのままだったので、ついポマードと唱えそうになった。

「他にも、大抵の物に変化できますよ。ぬいぐるみとか無機物にもなれます」 

「……別にいい。落ち着かないし、男の姿に戻ってくれ」

「了解しました」

 もう一度、ガガの体が波打ち、元の男の姿に戻っていく。

 体が波打っている間も、コツコツと僕の上履きとは違う、彼(?)の靴の音が廊下に鳴っていた。

「そういえば、さっきからどこに向かっているのです?」

 完全に男の姿に戻ったガガが尋ねる。

「トイレ」

 そこで丁度、目的地に付いた。僕は男子トイレの入口で足を止め、ガガを無言で見つめた。

「…………」

「……?入らないのですか?このマークは男子トイレで間違いないと思うんですが」

 ガガが青い丸と逆三角形が連なったマークを見る。それは確かに男子トイレのマークだ。

「……ガガ。僕がここに入ったらどうする」

「?どうもしませんよ?御伴するだけです」

「……御伴しないでくれ」

 昔から僕は、他人にトイレを見られるのが嫌だった。今も嫌だ。

 だからわざわざ、遠い遠い、人気の無い別校舎まで足を運んでいるのだ。

「はぁ……ですが、『鍵』をトイレに流されても困りますし……」

「じゃあ、僕がトイレに行っている間は『鍵』を預かっといてくれ。それでいいだろ」

 右手から『支配鍵』を取り出す。

「はい。それなら」

 ガガが『鍵』を受け取る。

 僕はトイレへ行った。

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