第56話 絆

 静かな寝息が聞こえる。まず演技とかではないだろう。昔からいつだってたえの方が先に寝てしまうのだ。

 喋っているうちにいつしか自分にくたりともたれかかってくる妙を、布団まで運んでやったことは一度や二度ではないし、そのまま一緒に寝てしまうこともたまにしょっちゅうよくあった。


 別にいいよな、と思う。大好きな友達なら、そのぐらい普通のはずだ。もちろん妙は嫌がらない。

 つないだ手を動かさないようにして身を起こし、そっと妙の様子を窺った歌葉うたはは、ぐぎっと奥歯を噛み鳴らした。


 すやすやと幸せそうに眠る妙に、ニコがぴたりと身を寄せ抱きついていた。コアラの赤ちゃんみたいにあどけなくも愛らしい。どんな夢を見ているのかなど知る由もないが、とても妨げようという気にはなれない。歌葉は暫し凝然と眺めたのち、妙の手を離してタオルケットの下に入れてやった。


「んん……」

 妙はむずかるようなこともなく、こてんと寝返りを打つ。たった今まで歌葉とつないでいた手を、自分に抱きつくニコの体に回すと、さらに自分の方へ引き寄せる。ニコもしっかりと目を閉じたまま、くっつき度合を高めるようにもぞもぞと身をよじる。


「……いくら冷房効いてるからって、暑くねえのかよ」

 見ているこちらの方が熱く、いや暑くなってくる。もうつき合っていられない。さっさと寝てしまおうとした歌葉は、恐怖に掴まれ固まった。

 闇に沈む鬼がいた。瞳を爛々と赫く輝かせ、ニコと抱き合う妙を喰い殺したそうに睨んでいる。


「ひぃっ、い、一子いちこさん……?」

 危うくちびりかけた。

 もともとニコが寝ていた布団の上に、凄絶な美少女が端然と座している。いざ切腹にでも臨むかのような張り詰めた気配がとにかく怖い。そして自害させられるのは間違いなく妙だろう。


「こ……この二人のこと、どうしましょう? やっぱ引き離した方がいいっすよね?」

 一子が暴発する前にと恐る恐るお伺いを立てるが、一子は顔も向けないまま歌葉の申し出を切って捨てた。


「別にどうもしないわ。もし嫌がるニコに妙ちゃんが無理強いしているのなら、口にするのも憚られるほどのそれはそれはおぞましい天罰が下るでしょうけれど」

 その天罰って、執行するのはあんたですよね、という突っ込みを歌葉は呑み込む。


「ニコが自ら望んでいることですもの。したいようにさせるわ」

「けど、ほんとにいいんすか? 先輩は二子ふたこのことを気持ち悪いぐらい、じゃない、引くぐらい、いやびっくりするぐらい可愛がってるじゃないっすか。淋しいとか思わないんですか?」

 思わないわけがない。だからこうして邪視だか監視だかをしているのだろう。だが歌葉の予想に反し、一子はきっぱりと否定した。


「思わないわね。だってニコは私の大切な妹だもの。これまでもこれからも、何があろうとずっとずっと変わらない。永遠の真実だわ」

 歌葉は胸の奥深くを突かれた気がした。さっき妙が言ったこととそっくりだ。あるいは聞いていたのかもしれない。だとしてもただ真似をしただけということはあり得ない。一子がニコに向ける愛情は掛け値なしに本物だ。

 共寝する二人を見下ろす一子の瞳が、暗がりにあってなお輝きを増した。


「だからニコはいつまでも私のものよ。絶対誰にも渡しはしないわ、ふふふ」

 歌葉は全身からぶわりと冷や汗が滲み出るのを感じた。

「そうっすか。じゃあ、あたしはこれで」

 そそくさと戸口まで後退すると、素早く身を翻して部屋の外へ脱出する。


「すまん妙、どうか無事に生き延びてくれ」

 実にいやな汗をかいてしまった。水でも飲んで来よう。

「……神楽坂かぐらざかさん、こんばんは……」

「おうはなだか、って、お前こんなとこで何してんだよ?」

 綾乃あやのは部屋を出てすぐの廊下に正座していた。いつもの黒ずくめの格好で闇と同化しているせいで、声を掛けられるまで気付かなかった。


「……トイレです」

「いやいやおかしいだろ。トイレはあっちだろうが。どんな理由があったらここに座り込むことになるんだよ」


「……一子さまのトイレに備えて……出待ちをしています……」

 綾乃の脇に空のペットボトル容器が置いてあることに歌葉は気付いた。すぐに目を逸らす。深く考えたくない。


「……本山もとやまさんなら……今は部屋にいませんよ……」

「あ?」

 さっさと綾乃の前を行き過ぎようとして、足を止める。


千紗ちさがいないって? なんで。どういうことだよ」

「……少し前に出て行ったきり、戻っていません……別荘の中にはいないようです……どこへ、行ってしまったんでしょうね……」

「こんな遅くに、一人でか? あいつ、なんのつもりだよ」

 歌葉はわずかもためらわなかった。大股で玄関の方へ歩いていく。すぐに玄関の戸が開け閉めされる音が届く。


「……ご健闘を……お祈りします」

 綾乃はひっそりと一礼して立ち上がった。一子が寝ているだろう和室に視線を注ぎ、だが侵入を試みることはせず、あてがわれた部屋に戻る。


「おかえりー。どうだった?」

 史恵ふみえはベッドの上に身を起こして待っていた。さほど心配している様子はない。むしろわくわくしているような表情だ。


「……神楽坂さんに、お伝えしました……探しに行ったみたいです……」

「そっか、ご苦労さま。あとは歌葉さんに任せておけばおっけーだね」

「……一応、真野まの先生にもお知らせしてみては……柚原ゆずはらさんの方から……」


「んー、大丈夫でしょ。穏やかな土地柄だし、千紗ちゃんは危ないことはしないだろうし、歌葉さんがすぐに見付けるだろうしね」

「……では、せめて先生に夜這いをかけてみては……柚原さんの方から……」


「そうだねー、どうせ待ってたって先生からは来てくれないだろうしー、なんて本気で言えるようになれたらいいんだけどね。綾乃ちゃんで練習してみてもいい?」

「……ボクで、よければ……柚原さんには素質が……ありそうですから……」

「あはは、それって褒められてるのかな?」

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