第55話 好きな人の手

 川の字というには線が一本多く、布団が並べて敷いてあります。さながら仲良し家族の寝間といった趣です。すると歌葉うたはちゃんと一子いちこちゃんがお父さんとお母さん、私とニコちゃんが新婚ふうふの役回りになるのでしょう。


「ニコは窓側ね。一番落ち着いて寝られるでしょう。横で私がしっかり守るから安心よ。歌葉さんは私の隣に、たえちゃんは出入口側にしなさい。いいわね」

「あたしはいいっすよ。問題ないです」


 一子ちゃんと歌葉ちゃんが分らないことを言います。その配置では私とニコちゃんが端と端に離れてしまいます。同じ部屋に寝る意味が半減です。むしろ二人が一つに重なることを推奨します。使う布団も節約できて、地球にも優しいです。


 しかし大きな二人に結託されてしまっては、か弱い私では物理的に歯が立ちません。正しい新婚初夜を過ごすためにはどうすればいいでしょう。私が謀り事を巡らせていると、ニコちゃんがふるふると首を振ります。


「ニコ、おねえちゃんと妙のまんなかが、いい。てをつないで、ねる」

 就寝間近に目の覚めるような劇的な解決策が提示されます。やはりニコちゃんは菩薩の心の持ち主です。本当は私と二人だけで睦み合いたいところ、重度のシスコンを患う一子ちゃんの病状を考慮して、慈愛の糸を垂らします。

 分らず屋の一子ちゃんでも、血を分けた実妹の憐れみには感じるところがあったようです。高山の雪解け水を思わせるような、清々しい微笑を浮かべます。


「ニコはそうしたいのね?」

「ん」

「優しい子ね。本当はお姉ちゃんに抱っこされながら眠りたいのに、妙ちゃんが自分が余計者だと悟って苦しまないように救済してあげるのね。いいわ。あなたの望む通りにしましょう」

 かなりの誤解があるようですが、可哀想なので一子ちゃんに現実を教えるのはやめておきましょう。


「だったら、あたしがこっちっすね。おやすみなさい」

 歌葉ちゃんはさっさと壁の方を向いて寝転びます。背中に落ちた陰が暗いのは、自分だけニコちゃんの手を握れないのがやるせないのかもしれません。


 しかしニコちゃんの手は現状二本しかありません。片方は私が握らないわけにはいきませんし、ニコちゃんに異常に執着する一子ちゃんは決して権利を譲らないでしょう。残念ですが歌葉ちゃんには淋しさを自分で慰めてもらうほかなさそうです。


「ニコ、電気を消すわよ。早くお布団に入りなさい」

「まって、おねえちゃん。歌葉、だめ。こっち」

「なんだよ二子ふたこ、構ってほしいなら姉ちゃんに相手してもらえって。あたしはもう寝るんだよ」

 ニコちゃんにほっぺをつんつんされて、振り払おうとした歌葉ちゃんですが、その手をニコちゃんがしっかりと掴まえます。


「歌葉も、てをつなぐ。妙と」

 天才です。驚嘆すべき論理のアクロバットです。ニコちゃんの手が足りないならば、私の手を使えばいいのです。ニコちゃんの放出する愛の波動は絶大なので、私を通じて歌葉ちゃんまで伝わること間違いなしです。


「歌葉ちゃん、私と手をつないでくれる?」

「ちっ、しょうがねえな。妙がどうしてもって言うなら? つないでやらないこともないけど?」


 ニコちゃんに導かれ、歌葉ちゃんが私の差し出した手を探り当てます。昔よく一緒に寝ていた頃に比べて、歌葉ちゃんの掌はずいぶん大きくなっているのに、不思議とかつてのままに馴染みます。


「こう見えて、あたし結構力強いからな。もしかすると寝ぼけて痛くさせるかもしれねえぞ」

 どう見えているつもりなのか分りませんが、歌葉ちゃんの握力55キロは少しも意外ではありません。ただ私に軽く触れているだけの歌葉ちゃんの手を、私はぎゅっと力を込めて握り返します。


「いいよ、歌葉ちゃんになら……ちょっとぐらい、痛くされたって」

 その時は可及的速やかに手を離しましょう。

「た、妙っ、それって!」


「ニコ、もういいわね?」

「ん」

「あ」

 歌葉ちゃんが鼻息を荒くするさなか、一子ちゃんがぶっつりと部屋の明かりを落とします。


 世界が仄かな橙色の薄闇に変わります。ニコちゃんが私のもう片方の手を握っています。限りなく甘美なぬくもりが、私の心と体をとろとろととろけさせます。これからニコちゃんと一つになるんだよ、優しくしてあげようね。私の内なる守護天使が、薔薇色の未来へといざないます。


「……なあ、妙」

 原初の欲求を解放しようとした私に、外なる歌葉ちゃんが呼びかけます。今いいところなんだから邪魔をするなと叱りつけたくなりますが、ごちそうを心ゆくまで賞味するためにも、気がかりは先に解消してしまいましょう。


「なあに、歌葉ちゃん」

 私が囁きで答えると、歌葉ちゃんは自分から話しかけておきながらぴたりと押し黙ってしまいます。沈黙の時が過ぎ、このままうやむやにしてしまうのかと思われた頃、ようやく続きを言葉にします。


「あたし達ってさ、どういう関係なんだろうな」

「お友達だよ」

 即答です。どこにも悩む要素はありません。ですが歌葉ちゃんは不満そうです。


「ただの友達とは違うだろ。赤ん坊の頃からのつき合いだし、お互いの距離が近過ぎるからかえって気付けないかもしれないけど、心の底では特別な想いがあったり、とかさ。分るだろ?」

 残念ながら分りません。ですがそれだけで済ませるわけにもいかないようです。自分なりに心をさらい、気持ちを込めて言い直します。


「歌葉ちゃんは、私の大好きなお友達だよ」

「大好き……よかった。だったらさ、やっぱりあたしも妙のことを想っててもいいんだよな?」

「うん、ありがとう歌葉ちゃん。そういうふうに言ってくれて、とっても嬉しいよ。だって歌葉ちゃんはね、これまでもこれからも、ずーっとずーっと、私の大好きなお友達のまま、だからね」

 刹那、歌葉ちゃんは息を止めたようでした。そのあとに感じた微かな風の揺らめきは、きっと笑ったんだと思います。


「……そうか。そうだな。あたし達は、ずっとずっと友達だ」

 握り合った手に、強く力が込められます。わりと本気で痛いです。ですが今だけは我慢して、ちゃんと離さずにいるつもりです。

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