第53話 サービスタイム

 浴室に三つ並んだ洗い場、その真ん中に座った史恵ふみえは、左の歌葉うたはに顔を向けた。

「ねね、歌葉さん」

「なんだよ」

「場所変わってあげようか」

 史恵の右でシャンプー中の千紗ちさが身動ぎをする。


「……なんでだよ。別にどこ使ったって同じだろ」

 いかにも興味なさげな調子だが、答える直前、歌葉の視線がわずかに泳いだことを、史恵は見逃してはいない。思わず口元がニマニマしてしまうのを隠しながら、さらに反応を引き出そうとつついてみる。


「ねねね、歌葉さん」

「うっせえな。なんだってんだよ」

「洗いっことかしようよ。わたしが歌葉さんの背中を流して、歌葉さんが千紗ちゃんの背中を流して、みたいにしてさ。いかにも裸のつき合いって感じで、楽しそうでしょ。女の子同士の友情を深め合おうよ。いいよね、千紗ちゃん?」

 千紗はリンスのボトルを取り落とした。わたわたと拾い直してから、やっと答える。


「……いやじゃない、けど、けど」

「千紗、こんなすけべ女の言うことを真に受けるなよ。あたしもう洗い終わったし」

 洗面器のお湯を頭からかぶり、髪を雑に纏めてタオルを巻くと、歌葉は浴槽に向かった。


 ぬるめの湯に身を浸しながら、何気なく洗い場の方を眺める。史恵のは大きい。たゆんたゆんだ。なのにこっちは未だほぼ真っ平らである。本当に同じ中一なのだろうか。

 史恵自身はあまり嬉しがっていないようだが、背ばかり高い自分より、はるかに女らしい体つきなのは確かだ。


 千紗だってそうだ。史恵に比べればずっとささやかながら、膨らんでいるのはちゃんと分る。別に太っているわけではないのに、手も足もどこもかしこもぷにぷにと柔らかそうだ。


 千紗がちょうど洗い終わって腰掛けから立ち上がる。足元に気をつけているのか、うつむきがちに近付いてくると、湯船に入るため、体の前を隠したタオルをどけようとした。歌葉とばっちり視線が合った。


「……じっと、じっと見てられると、困る、困るっていうか、いうか」

「全然見てねえしっ」

 歌葉はぐるんと首を回した。軽く筋を違えそうになった。間抜けだ。もちろんじろじろ見るのは失礼だとしても、ここまで必死に目を逸らす必要はないはずだった。

 千紗が静かにお湯に身を沈める。肌が接するほど近くはない。けれど浴槽の大きさからすれば遠くもない。


「歌葉さん、千紗ちゃん、わたしも一緒に入っていいかな?」

「いい。入れ」

 歌葉はすぐ答えた。もう一人分ぐらいの場所は余裕で空いている。千紗も反対することなく隣で頷く。

 刹那、史恵の瞳がぎらりと光った。


「じゃあ失礼しまーす。歌葉さん、もう少し詰めて詰めて」

 浴槽に入りながら、大胆に幅寄せを仕掛けてくる。歌葉は慌てた。

「おい、わざわざこっち来なくたって、そっちの端の方に行けばいいだろうが」

 圧力に押されて体勢が崩れる。指先にもにゅりとした感触があった。


「きゃっ」

「わ、悪りぃ、千紗、あたし今もしかして……?」

「なんでも、なんでもないから。気に、気にしないで。歌葉、歌葉さんが謝るようなことなんて、何も、何もなかったから。ほんとに、ほんとになかったから、から」


「そうだな、何もなかったよな。よし、そしたらあたしも謝んねえから。だいたい悪いのは柚原だしな」

「あはは、ごめん、ついね。さすがにまずかったかな?」

「いやむしろよかったけど」


「え、え……それって、それってどういう、どういう……」

「違っ、変な意味じゃねえって」

 ではどんな意味なのか。千紗が歌葉をじっと見る。歌葉は目を逸らすこともできず、息苦しさが募る。

 千紗の瞳が決意に色づき、二人の間の距離がわずかに詰まる。ただそれだけで、歌葉は熱風に煽られたみたいに仰け反った。


「あ」

 声が上がる。自分ではない。千紗でもない。歌葉の後ろにいて、ぶつかった相手だ。

「え、柚原!?」

 この場にはもう一人いたのだ。さっぱり頭から抜けていた。歌葉はうろたえきった様子で立ち上がった。

「あたしもう先に上がるから!」

 盛大に水しぶきを跳ね上げ、湯船を飛び出してそのまま脱衣所へ逃走していく。


「……はぁ」

 未だ激しく波を打つ水面に、千紗は気の抜けたため息を落とした。磨りガラスの向こうでは、歌葉が慌ただしく体を拭いている姿が窺える。

「歌葉さんってさ、意外とヘタレだよねー」

 史恵は半笑いだった。呆れているふうだが、楽しそうだ。


「わたし、わたしもそう思う、けど、そういう、そういうところも、ところも……」

 ガラス越しのぼやけた裸身を見やりながら、千紗は口元までお湯に沈んだ。こぼれて出た呟きは、ゴボゴボいう泡に変わって消えた。

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