海水浴 ―夜と朝―

第50話 お風呂タイム

 一応日焼け止めは塗っておいたのですが、それでもお肌がちょっとぴりぴりします。お湯に浸かったらさらに痛むのは確実でしょう。それは嬉しくないですが、お風呂を欠かすわけにはいきません。


 海でたっぷり遊んだ私達は、夕方になると歌葉うたはちゃんの別荘に引き上げました。予め決めておいた分担に従って、夕飯を作ったり、お風呂や寝具の支度をしたあと、みんなでごはんをおいしくいただいて、既に洗い物も済ませています。楽しい時は瞬く間に過ぎ去って、あとはお風呂に入って寝るだけです。

 お風呂に入って寝るだけです。

 お風呂です。


「ニコちゃん、一緒にお風呂入ろう」

 私がごく自然な調子で誘うと、それまでまったりとくつろいだ雰囲気だったリビングに、なぜか緊張が走りました。


「ん。はいる」

 もちろんニコちゃんが断る道理がありません。むしろ心待ちにしていた証拠に、どんな肖像画よりも綺麗な無表情の下に、喜びが満ちあふれます。私の心眼にはありありと見えています。


 つまり私とニコちゃんが一緒にお風呂に入るのは、日月の運行にも等しい完璧な予定調和です。覆されざる決定事項です。

 それなのにニコちゃんが返事をすると、ざわざわと不安そうな囁きが交わされます。そしてみんなの注目が集まった先で、一子いちこちゃんがおもむろに腰を上げ、私の前へ立ちはだかります。


「なあ一子さん、気持ちは分るけどさ、ここは穏便にいこうぜ。なんならたえはあたしががっちり押さえとくんで、その間に二子ふたこと二人で入ってきちまったらどうですか?」


 おずおずと口を挟んだ歌葉ちゃんに、一子ちゃんは黙れというように片手を挙げます。それから指でペンチに似た形を作ると、私の胸の前に突き出します。要注意です。事と次第によっては、私の体の突端を縦横につまみ回そうという構えです。


「妙ちゃん、あなたまさか、ニコと一緒にお風呂に入るつもりなの?」

 同語反復にも等しい質問に、高圧が込められているのをひしひしと感じます。もしもまずい答えを返したら、すぐにも昇天させられてしまいそうです。

 私に一子ちゃんに逆らう気持ちはありません。素直に自分の思うところを申し述べます。


「そうだよ。それがどうかした?」

 風もないのに一子ちゃんの黒髪が揺らめき立ちます。指先からはバチバチと蒼白い火花が散っています。遠からず私のめしべも散らされそうです。


「妙、おふろ」

 一子ちゃんの絶技が炸裂する瀬戸際で、ニコちゃんがくいくいと私の手を引っ張ります。


「ニコ、ちょっとだけ待っていなさい。今有害物質を浄化するわ」

 駄々をこねる一子ちゃんに、ニコちゃんはもう片方の手を伸ばします。

「おねえちゃんも」


 私と一子ちゃんは嫁と小姑であり、ニコちゃんで繋がった義姉妹です。険悪になるはずがありません。一子ちゃんも私と思いは同じらしく、微笑みを浮かべながら奥歯をぎしぎし軋らせます。


「はやく。おふろ」

 焦れたニコちゃんが、私達二人の手をブランコのように揺らします。一子ちゃんのこめかみに浮かんでいた青筋が、夜叉面の後ろに引いていきます。


「分ったわニコ、三人で入りましょう。妙ちゃんもそれでいいわね」

「もちろんだよ」

 ニコちゃんさえいれば、それ以外はさして重要ではありません。私を見る一子ちゃんの笑みが奈落のように深まります。


「背中から流してあげるわね。楽しみにしていなさい」

「背中を」ではなく、「背中から」というのが気になりますが、ニコちゃんもいるのですから、滅多なことにはならないでしょう。ならないといいなと思います。


 着替えとタオルを用意して、お風呂場に到着します。温泉旅館のような大浴場でこそありませんが、三人が同時に使えるだけの広さがあります。

 私は一人で入る時と同じように、シャツを脱いで下着になります。女の子同士なので見られても平気です。


 ニコちゃんの方は順調でしょうか。もし何か問題があるようなら、脱ぎ脱ぎするのをお手伝いしてあげないといけません。お友達として当然の義務です。

 純粋な親切心から私がこっそり様子を窺うと、ニコちゃんは今まさにパンツを足から抜き取ろうするところです。


「あうっ!」

 私は咄嗟に目をつぶります。裸を見るのが恥ずかしかったとかではありません。女の子同士なのでそんなのはへっちゃらです。ニコちゃんの裸なら毎日百時間でも眺めていられる自信があります。

 実際ほんの刹那の間にも、薄く日焼けした手足や平らなお腹や可愛いおへそはばっちり視界に焼きつけてあります。


 ですが肝心の部分、ということは特にありませんが、とにかくお胸とお股は、突如放射された謎の光線に目をくらまされたせいで、何一つ見て取ることができませんでした。

 しかし超自然現象ごときに怯んでいる場合ではありません。生まれたままの格好をしたニコちゃんがここにいるのです。私は力を振り絞ってまぶたを全開にします。


「何をしているのかしら」

 ニコちゃんの姿を遮って、下着姿の一子ちゃんが私の前に割って入ります。同時に謎の発光現象が終了します。ニコちゃんは既に浴室へ行ってしまったらしく、パシャパシャジャブンと水音が聞こえてきます。


「ちょっと目がチカチカしただけだよ。もう治ったから平気」

 私は急いで残りの服を脱ぎ始めます。もしニコちゃんが浴槽で溺れでもしたら大変です。寸秒でも早く合流しなければいけません。


「挙動が不審だわ。まさかとは思うけど、念のため調べさせてもらうわね。嫌ならニコとお風呂はあきらめなさい」

 嫌ではありませんでしたが、大変刺激的な体験でした。私は二秒で全てを剥き出しにされ、三秒であらゆる場所を探られました。


「何もおかしな物は持ち込んでいなかったみたいね。いいわ。入りなさい」

 晴れて一子ちゃんの許可が出ます。しかしまだお湯に触れてもいないのに、体が熱く火照っています。再び足腰が立つまでに回復するには、少々の休息が必要でした。

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