第45話 浜辺

「ニコ、いらっしゃい。着替えさせてあげるわ」

「ん」

 ニコちゃんのお世話は本来私の役目ですが、一子いちこちゃんの方が経験に勝ることは認めざるを得ません。今後の参考のためにも今は見学に徹することにして、私はニコちゃんの直下に正座すると、かっと目を見開いて観察を開始します。


歌葉うたはさん、たえちゃんを片付けてもらえるかしら。ニコの着替えが終わるまで、しまっておいてちょうだい」

「うっす。ほら妙、力抜けよ。痛いのは初めだけだからさ」

 歌葉ちゃんは嘘つきでした。


 別荘に来ているのは全員女の子なので、覗いたり覗かれたりといった問題もなく、順調に着替えが終わります。水着の上にパーカーやTシャツをまとった私達は、歌葉ちゃんの案内で海まで歩きます。


 端から端までが一望に見渡せる、箱庭のような小さな浜辺です。海の家も立派なものは一軒だけで、あとは縁日で出るような屋台がぽつぽつ並んでいるぐらいです。

 その分、人出は少なめで、海で泳ぐにしても、波打ち際や砂浜で遊ぶにしても、あまり周りを気にせず楽しめそうです。


「いよっしゃー、遊ぶぜー!!」

 別荘から持ってきたビーチバラソルを豪快に突き立てるや、歌葉ちゃんが高々と叫びます。赤いビキニにオレンジのチューブトップを重ね着した格好はいかにも活動的で、しなやかに引き締まった肢体と合わせて、アスリート感が増しています。

 早速海へ駆け出そうとした歌葉ちゃんですが、足元の障害物に気付いてつんのめります。


「おわっ、なんだこれ……ってはなだ? なんで埋まってんだよ? 誰にやられた?」

 障害物の正体は、縹さんの生首です。肩から下がすっぽりと砂に沈み、顔から上だけがにょっきりと生えています。これでは身動きもままならないでしょう。いたずらや悪ふざけにしてはやり過ぎです。

 犯人の姿を捜して周囲を警戒する歌葉ちゃんに、縹さんが重要な証言をもたらします。


「……ボクがやりました……一子さまに踏んでもらおうと思って……急いで穴を掘って……入りました……」

「そっか頑張ったな。そのまま荷物番しててくれ」


「おいで、ニコ。一緒に泳ぎましょう」

 一子ちゃんは縹さんに一瞥もくれることなく、ニコちゃんの手を引いて海へ入ります。砂に刻まれたニコちゃんの足跡は、「妙と、いっしょがいい」のサインです。ニコちゃんのお誘いは断れません。私はニコちゃんのもう片方の手を取って後を追います。


「あ、妙……」

 歌葉ちゃんが私を見て半端に手を伸ばします。泳ぐ前にストレッチがしたいようです。手を掴んで思いきり引っ張ると、歌葉ちゃんは満足そうな笑みを浮かべて、私達に続きます。やはり準備体操は大事です。


 歌葉ちゃんの後ろでは、本山もとやまさんがおずおずと足を踏み出しかねている様子です。熱くなった砂で火傷するのを警戒しているのかもしれません。その背中を、柚原ゆずはらさんが文字通り前に押します。


「ほら、本山さんもいっちゃおうよ。当たって抱きつけだよ」

「きゃっ」

 さほど力を込めたふうではありませんでしたが、本山さんは大きく体勢を崩します。

 下は砂浜です。転んだところでどうということはなかったでしょう。しかし歌葉ちゃんは即座に私の手を離し、本山さんをがっちりと抱き止めます。


千紗ちさ、大丈夫か? 足とか捻らなかったか」

「……あり、ありがとう。平気、平気だから、から」

「よかった」


 二人の間にふっと沈黙が落ちます。早くも日焼けしてしまったのか、本山さんの顔は真っ赤です。歌葉ちゃんは固い動きでと本山さんを離すと、渋い表情で柚原さんを睨みます。


「柚原、子供みたいな真似してんじゃねえよ」

「あはは、ごめんごめん。本山さんも許してね」

「全然、全然。むしろ……」

 本山さんが小声で何かを付け足します。それを聞いた柚原さんは悪そうな笑みを浮かべます。


「おっけー千紗ちゃん、いっぱい楽しい思い出作ろうね」

「柚、柚原さんも、一緒に泳ぐよね、よね?」

「わたしはあとで。ちょっと様子見てきたいから」

 何の様子なのかを柚原さんは口にしませんが、本山さんは察したように頷きます。


「歌葉さん、千紗ちゃんのことお願いね。仲良くしてあげてね」

 柚原さんは軽く手を振り、別荘の方に引き返します。

「柚原は何がしたいんだよ。わけ分んねえぜ」

 歌葉ちゃんが斜めを向いてひとりごちます。本当に分らないのなら訊いて確かめてみればいいと思います。




 寄せては返す波に揺られてどんぶらこ、です。昔ギリシャの偉い人がお風呂場で「エウレカ!」と叫んだ通り、人の体は水に浮くようにはできていません。なので私が浮き輪を使ってぷかぷかしているのは人として当然です。恥ずかしいことなんてありません。


 穏やかな風に吹かれ、青い空を白い雲がゆっくりと流れます。あくせくしたところで無駄に疲れるだけです。大いなる自然のリズムに身を委ね、心を清らかに保つのが良き生き方というものです。


 私が自然と一体となる境地を楽しんでいると、波とは別のバシャバシャいう音が近付きます。人は浮かないのでもちろん泳ぐこともできません。ならばあれは魚でしょうか。だとするとかなりの大物です。もし鮫ならがぶりと食べられてしまいます。私は白鳥のように華麗に水面の下で足をばたつかせ、緊急回避を試みます。

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