第43話 どきどき
勝訴です。この世に正義はありました。ニコちゃんのおててに包まれて、幸せ分子が生成されます。それは私の全身を駆け巡り、汗や息と共に大気中に放出されて、私の周りにも幸せのお裾分けをします。
「くっ、ニコ、早く目を覚ますのよ」
「こ、こんなの全然大したことじゃねーし?
「……一子さま……踏んでほしい……」
「縹、いい加減にしろ」
歌葉ちゃんが力ずくで縹さんを立たせます。ですが縹さんは一子ちゃんの方ばかり見ています。
「お前ふざけんなよ。今までさんざんうざったく絡んできたくせによ」
歌葉ちゃんが再び地面を蹴ります。丸まった背中が水不足の葉っぱのようです。
「……歌葉、歌葉さんが落ち込んでる。やっぱりわたし、わたしみたいな普通、普通の子じゃ相手にしてもらえないのかな、かな」
「……そんなことないってば。むしろもっと仲良くなるチャンスでしょ」
「ねね、歌葉さん」
短いクラクションの音が響きます。黒い大型のワゴン車が、徐行しながら近付いてきます。柚原さんは途端にぱっと後ろを振り向きます。
「さつき先生! おはようございます、どうぞ、そのまま門の中に入ってください! ちょっと歌葉さん邪魔、突っ立ってないで早くどいて」
兎を追う獅子のように張り切って運転席のさつき先生を誘導します。突き飛ばされた歌葉ちゃんは地面にのの字を書き始めます。
「ここ、あたしんちなんだけどな。邪魔者扱いかよ。柚原あたしに今何か言おうとしてたけど、それはもういいんだな。分ったよ。みんなあたしのことなんかどうだっていいんだ」
まるでさつき先生が乗り移ったかのように沈んでいきます。背丈は伸びても意外と繊細なのは変わらないようです。
「ニコちゃん、ちょっとだけ待っててね」
「ん」
わたしはニコちゃんと永劫の契りを交わすと、歌葉ちゃんの引き上げにかかります。
「歌葉ちゃん、ここにいる人達はみんな、心の片隅では歌葉ちゃんのことを大切だって思ってるからね」
「……その『みんな』の中には、ちゃんと妙も入ってるんだよな?」
「もちろんだよ。だって幼馴染みだもん」
「だ、だよな。妙はあたしのことが誰より大切なのに決まってるよな」
「大切だってば。だって幼馴染みだもん」
大事なことなので二回言いました。真意が伝わったかは定かではありませんが、歌葉ちゃんが復活したようなので良しとしましょう。
「……わたし、わたしは、幼馴染みじゃないけど、けど、もっと違う間柄、間柄になれたらなって、なって」
本山さんが歌葉ちゃんの背中にぽそぽそと囁きます。たぶん聞こえてはいないでしょう。改めて私から伝えるべきことでもありません。
「さつき先生、来てくれてありがとうございます。とっても嬉しいです。思い出に残る最高の旅行にしましょうね」
「おはようございます。よく晴れてますね。空が青過ぎて淋しくなってきますね。みなさんは精一杯楽しんでくださいね。私はみなさんの気に障らないように気配を消しておきますね」
「そんなこと言わないで、先生も(わたしと)いっぱい楽しみましょう! みんなも準備いいよねー。車に乗ってー」
いつもながら柚原さんが、学級委員長らしい高い仕切り力を発揮します。一部個人的な欲望が洩れ出たように聞こえましたが、きっと気のせいだと思います。柚原さんは自分よりも周りを優先できる立派な人です。
「はよーっす。さつきちゃん、わざわざありがとな。今日と明日よろしくお願いします。問題とかあったらなんでも言ってくれな。柚原、座席はどうする?」
「適当でいいんじゃないかな。わたしは色々と都合もあるから、助手席に座るけど」
歌葉ちゃんに答えつつ、縄張り争いをする獣みたいな一瞥を一子ちゃんへ飛ばします。
運転席に座ったさつき先生を、一子ちゃんがちらりと見やります。しかし特に主張は挟みません。柚原さんはほっとした様子で、いそいそと助手席に乗り込みます。隣のさつき先生に向けた笑顔には、正妻の風格がにじみ出ます。
「ニコちゃん、一緒に座ろうね」
私はニコちゃんの左手を取ります。
「ニコ、一緒に座ってあげるわ」
一子ちゃんがニコちゃんの右手を取ります。
そして私達はニコちゃんを間に挟んで見つめ合います。
もちろん両側から手を引っ張り合うような真似はしません。ニコちゃんを真に思いやる心があるのなら、どうするのが最善なのかは自ずから明らかです。
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