第39話 補習 その3

「高等部から、二子ふたこさんの匂いに気付いたんだ……」

 柚原ゆずはらさんが不思議な生物を目撃したみたいに身震いします。

 確かに驚くのももっともです。


 こんなことを言いたくはないですが、はっきり言って一子いちこちゃんはおかしいです。いくらニコちゃんの香りがしたからといって、中等部の校舎にまで押しかけてくるのは高等部生としての自覚に欠けます。即刻退去を要求します。


「この人達の嗅覚が特殊なのはともかく、二子さんはお姉さんに用があったんだよね?」

「ん」

「あらそうだったの、ニコ」

 柚原さんがいらないことを言います。無垢なニコちゃんはちょこんと頷き、煩悩にまみれた一子ちゃんはすかさず食いついてきます。


「私も色々忙しいから手短にお願いね。ニコの望みなら地球と引き換えにしても叶えてあげるわ」

「プリン」

「プリンが食べたいの? 百個ぐらいでいい? じゃあ早速買いに行きましょうか」

「ちがう」


 ニコちゃんが首を振ります。全国模試で一番を取るぐらい勉強が得意な一子ちゃんですが、ニコちゃん読解問題ならやはり私が一番です。

 正解は、プリンプリンのニコちゃんのお尻を私に撫で撫で揉み揉みしてほしい、です。


「おねえちゃんは、どれがいい?」

「私はニコがいいわ」

「ニコ、おかあさんにおつかい頼まれた。おだちんに、好きなプリン買っていいって。おねえちゃんのぶんも」


 つまりニコちゃんは、一子ちゃんに好みのプリンの種類を尋ねるため買い物の途中でわざわざ学校に立ち寄ったということです。

 もちろん私はニコちゃんの匂いをひと嗅ぎした瞬間に察していましたが、一子ちゃんは今頃になってようやく理解したようです。祈りを捧げるように手を組んで天井を仰ぎます。


「ああ、可愛いニコ……本当に私のことが大好きなのね。仕方のない子。姉離れできる日はまだまだ先ね。むしろ永遠に来ないわね」

 感動している一子ちゃんの邪魔をしてはいけません。私はニコちゃんの手を引いて無音潜航で離脱です。


「待ちなさい」

 下半身の風通しがずいぶんと良くなります。後ろから一子ちゃんが私のスカートの裾を掴み、ぐいと引っ張り上げています。半ば宙吊りで踵が浮いてしまい、もはや一歩も先に進めません。


「二子先輩!? 駄目ですよ、丸見えになっちゃってるじゃないですか。いくら女の子同士だって、こんなの完全にセクハラです。時と場所を弁えてください」

 柚原さんが頬を赤らめますが、幸い今日私はちゃんと下着をつけています。パンツだから恥ずかしくありません。

 悪行を止めようとする柚原さんに、一子ちゃんが闇を秘めた瞳を瞠ります。


「あなた、ずいぶん勇気があるのね。面と向かって私を咎められる子なんて、高等部にもほとんどいないわよ。感心したわ」

「そんな、わたしは別に……ただ当り前のことを言っただけ、でひゅっ!?」

「でもね柚原さん、私はニコを守らないといけないの。その邪魔をするというなら、覚悟はあるのよね?」


 一子ちゃんは右手で私を捕らえたまま、左手を伸ばして柚原さんのスカートを大開帳です。しかも裾を掴んだ指を白蛇のように妖しくくねらせます。柚原さんの喉がごくりと鳴ります。


「えっとぉ二子先輩、できれば離してほしいなぁって」

 上のお口で恥じらいつつも、下のお口を覆う意外とアダルトな薄布を隠そうとはしません。柚原さんは瞳を潤ませ、もじもじと一子ちゃんを見上げます。


「柚原さん、一子ちゃんのイヤンヤン・クローを期待してるのかな?」

「にゃんにゃんくろ、ってなに?」

「一子ちゃんに可愛がられた柚原さんがね、にゃんにゃんって気持ち良さそうに鳴くんだよ。柚原さんも年頃の女の子だからね。軽蔑しないであげてね」


「ち、違うよ? 別に期待してるとかじゃないからね? わたしは捕まっちゃって抵抗できないだけで、わたしをどうするかはあくまで二子先輩しだいなんだからね?」

「二子さんが何をするんですか?」

「だからそれを決めるのは先輩で、って、さつき先生!? これは違うんですわたしは嫌がってるのに二子先輩が無理やりっ」


 柚原さんはすぐさま一子ちゃんの手を振り払いました。まるでその気になればいつでも脱出できたみたいに簡単至極です。

 さつき先生は一子ちゃんに私のスカートも離させると、背筋を正して前に立ちます。


「二子さん、ここは中等部の校舎ですから。高等部のあなたが正当な理由なく立ち入るべき場所ではありませんし、まして生徒の勉強の邪魔をするようなことは許されません」


 驚きの光景です。どちらかといえば気弱なあのさつき先生が、どちらかといえば獰猛なあの一子ちゃんを相手に、真っ向から正論を説いています。

 教育者としての凛々しい姿には柚原さんも感激です。


「素敵……さつき先生が頑張ってる。これってわたしのためなんだよね?」

 柚原さんの疑問に答えるように、先生がずいと一子ちゃんに迫ります。

「いいですか二子さん、もしあなたがこれ以上私の担当する生徒に手を出すというなら、私にも考えがありますから」


「警告、ということですか。私に疚しいところはありませんが、一応お聞きします」

「私が身代わりになる……駄目ですか? 駄目ですよね。私にそんな価値はありませんよね。柚原さんの方がいいに決まってますよね。だけど私と二子さんだって知らない仲ではないですし。二子さんは知りたくもなかったでしょうけど。私のことは誰にも知られないのが世のため人のためなんでしょうけど」

 先生の顔の角度が下がっていきます。重力の導きに従い、安定の三角座り状態に移行します。

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