第34話 夏風邪(仮)その5

 上品なフリルで飾られたブラウスに、ヒマワリみたいに明るい色合いのフレアスカートを合わせた少女の足元には、真っ黒い服がたたんで置いてある。その上にちょこんと載っているのは、古臭い感じの黒縁の丸メガネだ。どちらも綾乃が身に付けていたものに間違いない。

 歌葉は驚愕の思いで前に立つ相手の姿を見つめた。


「……縹、なのかよ」

 ニコやその姉の一子いちこには及ばないまでも、普段のもっさりした印象からはかけ離れた麗しさだ。蛹から蝶に羽化したぐらいの違いがあった。歌葉は空しく吐息をついた。


「結局は素材が大事ってこと、だな。いくらいい服着たって、あたしじゃ大して変わり映えしないもんな」

「そんな、そんなことない、ないよ。もしも歌、歌葉さんが男子の格好をしたら、ものすごいかっこよく変身、変身できるよ」

 おざなりではない熱い気持ちを千紗がぶつける。二人の視線が正面から結び合う。


「千紗……」

「歌葉さん……」

「言ったよな。あたしは男じゃないし、男になりたいわけでもないんだよ」

 可愛いたえが、もとい可愛いものが好きな純度100パーセントの乙女である。大事なことなので強く主張していきたい。千紗はびくりと半歩退った。


「もちろん、もちろんね、歌、歌葉さんは、女の子のままでも男子よりかっこいいなって、かっこいいって……」

 声は急速に小さくなった。余りフォローになっていないと気付いたのだろう。歌葉は綾乃に水を向けた。


「縹、それ買うの?」

「……はい、そうします……」

「マジか。即決かよ」

 値札を確かめて歌葉は唸った。実に結構なお値段だ。


「……駄目でしょうか……? ボクに服は贅沢だ……それが神楽坂さんの考えなら……もちろん言う通りにします……」

 綾乃は瞳を艶めかせながら、ブラウスのボタンに手を掛けた。歌葉は無言で試着室のカーテンを閉めた。


 幸い綾乃が全裸で出てくることはなく、元の黒ずくめの格好はいかにも暑苦しかったものの、見慣れた姿に歌葉は少しほっとした。

「買うならそのまま着てればよかったのに」

「……あっちは部屋着用です……外ではちゃんとした格好をしたいので……」

「またえらく高い部屋着だな。縹の金なんだから好きにすりゃいいけどさ」

 たぶん突っ込み所が間違っているが、相手が綾乃なので仕方ない。


「千紗は? 何か買わないのか」

「わたし、わたしは今日はいい、かな」

 買う気がないのに無理に買わせる必要などありはしない。綾乃が会計を済ませると、三人は店を出た。




 平日とはいえ夏休みシーズンなので街は賑やかだ。メインの年齢層は十代後半から二十代前半といったところだろう。はしゃぎ騒ぐグループも少なくない。

 チャラいのと柄の悪いのを足して割ったような男達が、道幅いっぱいに広がってやってくる。非情に邪魔だ。歌葉は睨みつけようとして、やめた。自分は一人じゃない。勝手には振る舞えない。


「千紗、もう少し端に」

 足を竦めた千紗の肩を抱き寄せる。このままチャラ男どもの間に突入すれば、面倒なことになるのは必定だ。

 歌葉が力を込めると、千紗はぎこちなくも身を任せた。どうにか衝突を回避する。通り過ぎざまにチャラ男の一人が嘲るような視線を投げる。歌葉は千紗の体の熱を感じつつやり過した。綾乃が逆ににたりと笑いかける。チャラ男は薄気味悪そうに顔を背けた。


 少し早めだが昼食にすることにした。有名なカフェのチェーン店に入ると、外の凶悪な暑さが一瞬にして遠くなる。折良くテーブル席が空いているのを見つけ、歌葉はいち早く腰を下ろした。


「あたしが場所取っとくから。お前達先に買ってこいよ」

「じゃあ、じゃあ、わたしが歌、歌葉さんの分も買ってくる」

 流れのまま言った歌葉だったが、千紗がやけに気合の入った様子で申し出る。


「あとで自分で行くって。カウンターでメニュー見ながら決めるし」

 実際何を注文するかまだ考えていない。

「そっか、そっか……」

 なぜそんなに残念そうにする。歌葉は汗の乾いた頬をぽりぽりかいた。

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