第33話 夏風邪(仮)その4

 薄水色のワンピースの裾を歌葉は下に引っ張った。売り物なので軽くだが、気持ち的にはもっと長く伸ばしたい。下がすーすーして落ち着かない歌葉を、千紗がじっと眺める。


「わたし、わたしはこのくらいでいいと思う、思うな。これより短いと、下着、下着が見えちゃいそうだし。でもせっかく、せっかく綺麗な足なんだから、隠すのは勿体ないって歌、歌葉さんが言うなら」

「逆だ逆、短過ぎるんだってば」


「だけど気に入ってくれたんだよね、よね?」

「んー」

 歌葉は曖昧に頷いた。自分なんかがと思いつつも、本音ではこういう格好をしてみたかった。


「決まりだね。このまま、このまま着ていくでしょう。すいませー……」

「ちょっ、待てっ」

「ふぐっ」

 店の人を呼ぼうとした千紗の口をがっちり塞ぐ。


「お前、値段見てないのかよ。こんなのほいほい買えるわけねえだろうが」

 いつも歌葉が着ている服と比べて一桁二桁違う。半年分のこづかいを注ぎ込んでもまだ足りない。


「む、ぐっ、んあっ」

「あ、悪い」

 千紗がパンパンと腕を叩いているのに気付いて手を離す。荒い息をついたまま、千紗が歌葉を見上げた。


「それならわたし、わたしが買うから。いいでしょ、でしょ?」

「……いいんじゃねえか。あたしなんかより千紗の方が似合うだろうし。サイズがあるか聞いてみないとな」


「じゃなくて、じゃなくて、わたしが、歌、歌葉さんの服を買う、買うの」

「ほへ?」

 意味が分らなかった。冗談かと思ったが、千紗は目をらんらんと輝かせて歌葉に迫る。


「いいよね、ね?」

「なんでだよ。買ってもらう理由なんてないだろ」

「ある、あるよ。だってほら、えーと、そう、もうすぐ誕生日、誕生日だから、プレゼントに」


「あたしの誕生日は四月だ。もうとっくに過ぎてる」

「わたしの、わたし誕生日がもうすぐ、もうすぐだから、歌葉さんにプレゼントっていうのは……おかしい、おかしいよね」

 千紗はしょぼんとした。


「買うとしても、あとで貯金と相談してからだな。とりあえず着替えさせてくれよ。こういう服はなんか慣れない」

「ごめん、ごめんなさい。無理に勧めるみたいなことしちゃって、しちゃって」

「いいからさ」


 千紗を外に追いやってから、歌葉は自前の服に戻って試着室を出た。丈の長さだけならさっきのワンピースとそれほどは違わないが、厚いデニム生地が肌に馴染みながらも野暮ったい。


「あれ、そういえば縹は?」

 正直、存在を忘れていた。千紗もはっとしたように店内を見回す。

「いない……いないね。気が付かなかった。どこ、どこに行っちゃったんだろう」


「ずっとあたしと千紗だけで話してたせいで、いじけて帰っちまったとか……ないな。そんな繊細な奴のわけがねえ。千紗もそう思うだろ」

「どうなのかな、かな。だけどいないならいないで別に、別にいいかなって」

「お前って案外黒いのな。気持ちはすごくよく分るけど」

 歌葉がしみじみ突っ込むと、千紗は焦った様子で弁解を始めた。


「あのね、違うの、縹さんが嫌い、嫌いっていうんじゃなくて、歌、歌葉さんと二人きりの方がいいなって意味で、意味で、じゃなくて、じゃなくて、だから、だからね」

「落ち着けよ。分ってるから」

「え、分って、分ってるって」


「縹の相手は疲れるからな。たまにマジどっか行ってろって思うもん」

「……全然、全然分ってないよね」

 千紗がごく小さな声で呟くかたわら、歌葉はスマホを出して綾乃を呼び出す。


「縹か? 今どこだ」

「……ボクなら、ここに……」

 電話での応答と同時、隣の試着室のカーテンがいきなり開いた。


「うわっ、びっくりした。お前、いつの間にそっちにこもってたんだ。けど意外だな、縹も服とか興味……すいません、どちら様でしょうか?」

 歌葉は尋ねずにいられなかった。瞳のきらきらした愛らしい美少女が、スマホを耳に当てたままきょとんと見返す。


「……他人の振りプレイ、ですか……? さすがは神楽坂さん、奥が深いです……でもボクはしがない肉奴隷なので……普通に痛くしてもらった方が……」

「本当に、本当に縹さんなんだ……すごい、かわいい、かわいい」

 千紗は驚きつつも感動したように吐息をこぼした。頭のおかしい発言で相手を綾乃だと認定したのだろう。しかし歌葉は未だ自分が目にしているものを信じられなかった。

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