第32話 夏風邪(仮)その3
「ちょっとは本山を見習えよ、
「う、歌、か、神楽坂、さん?」
千紗が声を引っ繰り返らせる。歌葉は首を竦めた。
「悪い、ペットはないな。でもそれだけ可愛くて似合ってるってことだ」
「わたしなんて全然、全然だし。神楽、神楽坂さんの方が……」
千紗は歌葉の格好を見た。白い無地のTシャツにデニムスカート。一瞬口をつぐんだのち、難しい顔をして続ける。
「……背が高くてすらっとしてるから、そういうつまらない、じゃない、適当な、違う、えっと、無難な? うーん、そうだシンプル、シンプルな着こなしもいいかなって、かなって」
「いいんだよ。分ってる」
歌葉はため息をついた。
「あたしなんかがお洒落したって笑えるだけだ。いっそ男の服でも着てみるか。そっちの方がまだましかも」
「それいい、いいよ! かっこいいに決まってる!」
千紗は前のめりで頷いた。歌葉はほろ苦い気持ちになった。
「ありがとよ。あんま嬉しくねーけどな。別に男になりたいわけじゃないからな」
「歌、か、神楽坂さんだったら、ボーイッシュだってガーリーだってどっちも素敵、素敵だよ。縹さんも、そう思うよね、よね?」
「……もちろんです……どんな難易度の高い女王様コスチュームも、最高にお似合いですよ……ああ、想像しただけでお汁が……」
「きたねえな、よだれを拭け。で、このあとはどうするんだ? 他にも誰か来るのか? 例えば
歌葉は夢見るような表情を浮かべた。綾乃は首を横に振った。
「……この三人だけです……特に予定は決めてませんが……例えば神楽坂さんのお宅にお邪魔して、一緒にお風呂に入るというのはどうでしょう……ボク、石けんとボディタオルの役をやります……それからお風呂椅子と足拭きマットも……」
体をくねらせる綾乃の姿を、歌葉は己の視覚から消去した。
「とりあえず移動しようぜ、千紗。お前はどこ行きたい?」
「そうだね、買い物、買い物はどうかな。お洋服を見たりとか、とか……今、わたしのこと千紗、千紗って」
戸惑った様子の千紗に、歌葉は気安く確かめた。
「お前の下の名前、千紗だよな」
「そう、そうだけど」
「別にいいだろ? 千紗だって、さっきあたしのこと歌葉って呼ぼうとしてたんだし」
「いい、けど。歌……歌葉、さん」
「……ではボクのことは牝豚と……呼んでください……」
歌葉は綾乃の声を聴覚から締め出した。
「あたしこの辺って知らないんだよな。千紗、案内してくれよ」
「歌、歌葉さんの気に入るかは、分らないけど、けど。それ、それでよければ」
「千紗の好みなら大丈夫だろ。それと縹、あんまり変なことするんじゃねえぞ」
たぶん言っても無駄だろうけどな、と歌葉は思った。
#
お洒落に興味がないわけではない。可愛い格好だってむしろ好きだ。
だがしょせん自分には似合わない。歌葉の身長は中一にして既に170を超え、そのくせ胸の方はさっぱりだ。体型だけならほぼ男である。
軽い憂鬱をやり過ごしながら、歌葉は試着室のカーテンを開けた。
「わっ、わっ、思った通り、歌、歌葉さんにぴったり。すごく、すごくいいよ」
目を輝かせた千紗が、高まった声を上げる。歌葉は素直に喜ばない。
「お世辞はいいよ。どうせ千紗だって、内心じゃ男が女装してるみたいとかって思ってるんだろ」
拗ねたように横を向く。千紗に選んでもらった手前、一応着てはみたものの、およそ歌葉のイメージからはかけ離れている。
「歌葉さんってば、鏡、鏡ちゃんと見ようよ。ね、ね、素敵でしょ、でしょ?」
千紗は小鼻を膨らませて試着室に上がり込んだ。歌葉を強引に鏡へと向かわせる。映っているのは、すっきりと大人っぽいワンピースを纏った女の子だ。
「でももし歌、歌葉さんの好みと違ったら、また別のを選ぶから。感想、感想教えて。どう、どう?」
「あ、や、まあ、そんなには悪くないんじゃないかなって気も、しなくはない、けど」
「だよね、だよね!」
「か、勘違いするなよ! あたしがっていうんじゃなくて、あくまで服がいいってことだからな! でもこれさ、ちょっと丈が……」
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