夏風邪(仮)
第30話 夏風邪(仮)その1
朝からむやみに蝉が元気だ。
夏休みに入ってから連日、猛烈な暑さが続いている。けれど緑の多い広い庭のおかげで、午前の早い時間帯ならエアコンを入れなくてもそこそこ過ごせる。
吹き込んだそよ風が、額に浮いた汗を撫でていく。歌葉は仄かに頬を緩めた。宿題の進みは順調で、他に面倒な用事もない。しかも夏休みはまだたっぷりひとつき以上も残っている。
「すぅー……」
今と未来に想いを馳せて、朝の爽やかな空気を大きく吸い込んでみる。
「……はぁー」
そうして膨らんだ胸が、満ちた潮が引くように平らにしぼんだ。吐息とともにこぼすのは、ささやかにして切なる望みだ。
「
中間に引き続き期末でも赤点を取ったせいで、歌葉の幼馴染みは今日も補習に出ているはずだった。
「あいつ、ちゃんと受けてるんだろうな。まさかサボって
妙がニコと手を繋いでキャッキャウフフと寄り添い歩く光景が思い浮かび、歌葉はガタッと椅子を鳴らせた。
「待て、落ち着けあたし。そんなことあるわけねえだろうが。妙があたしに断りもなく、二子とデ、デートなんかして、そのままホホ、ホテルに泊まったりして、今頃二人でモモモ、モーニングコーヒーなんて飲んでて、ほほほほ、頬を寄せ合った自撮り画像をイン○タとかにアップしてあたしに送りつけてくるなんて、そんなことあるわけが……」
ヴィーン、と机の上のスマホが震えた。
「うわっ?」
まさか妙が本当に浮気写真を、と一瞬頬を引き攣らせるが、考えてみれば妙はスマホもガラケーも持ってはいない。荒ぶった気をなだめ、手に取って確認してみる。
「メッセ……
歌葉は首を傾げた。確かにIDは交換しているものの、日々やり取りをするような相手ではない。朝からいったい何の用だ。
“おはようございます。本日お暇ですか? もしよかったら一緒にお出掛けしませんか?”
シンプルな誘いである。歌葉は間違い探しでもするみたいに暫し見入った。
「怪し過ぎるぜ。いったい何をたくらんでやがる」
文面はごく普通だが、それがかえって不気味だった。なにせ相手は重度の変態である。どんなところに連れて行かれるやら知れたものではない。
「けど、どうせ家にいたってつまんねえしな」
悩んだのはわずかのことだ。歌葉は了承の返事を送った。少し経ってから待ち合わせの時間と場所を記したメッセージが届く。これにもOKを返す。
「まだ結構時間あるな。きりのいいところまで進めとくか」
歌葉はノートの上に放ってあったシャーペンを拾うと、集中して宿題に取り組み始めた。
#
やはり雰囲気が違う。
これまでほとんど来たことはないが、そういう街だという知識はあったので、歌葉も一応スカートなどはいてきた。もっともただの普通のデニムで、可愛くも派手でもない。履き心地が気に入って選んだはずのスニーカーが、いつもより重く感じる。
歌葉は額に落ちかかる髪を振り払った。赤の他人がどうだろうと関係ない。自分が待ち合わせをしているのはあの縹
むしろ心配すべきは綾乃の方だろう。この暑い中に例の黒ずくめの格好で来れば、悪目立ちするのは確実だった。
逆方向にもっとひどい恐れもある。万一公序良俗に反し、法にまで触れていたりしたら、さすがにフォローできる自信がない。
歌葉は思わず近くの交番の様子を窺った。ハレンチな格好をした少女が、正座で説教されているといった事案は発生していない模様である。とりあえずほっとする。
目印の時計塔の近くには、多くの待ち合わせらしき人がいた。だが誰もが綺麗に着飾っており、上から下まで黒一色とか裸に縄だけといった怪人物の姿はない。
「まだ来てないっぽいな」
文字盤を見上げると、約束の時刻を既に二分ばかり過ぎている。歌葉は念のため時計塔の周りをぐるりと歩いてみることにした。
「え……か、かぐら、神楽坂さん?」
「ん?」
反対側に回ったところで、驚いたような声がした。歌葉も驚いて相手を見た。
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