第26話 ウォーターランド その6
ニコちゃんは私のサンドイッチをきれいに平らげてくれました。けっぷ、と赤ちゃんがするみたいな可愛らしいおくびを洩らします。ニコちゃん語翻訳アプリが「まことに結構なお手前でした」と訳します。こちらこそお粗末さまでした。
ですがもっとお粗末なことに、私のお腹がくーっと鳴ってしまいます。歌葉ちゃんの松阪牛ステーキ買ってくる宣言のせいで、期待が裏返ってひもじさを募ります。少し帰りが遅いのではないでしょうか。売店が混んでいるのかもしれませんが、調達任務の速やかなる達成を望みたいところです。
「歌葉?」
ニコちゃんがふと首を傾げます。私は視線を追って振り返ります。ようやく四人が帰還してきます。けれどどこか様子がおかしいです。
まず歌葉ちゃんの水着がタンクトップに変わっています。というかあれは柚原さんの着ていたもののはずです。その柚原さんのスポーツブラタイプは、おそらく元から下に付けていたものでしょう。
四人とも疲れているみたいです。そして誰も食べる物を持っていません。何も買えなかったのでしょうか。だとしたら、うなだれるのも納得です。胃袋だってしんなりしてしまいます。
「はぁ」
歌葉ちゃんは重いため息をついて、私の隣に腰を落とします。ずいぶんと距離が近いです。文字通り肌を触れ合わせ、ぴったりと擦り寄ってきます。そのくせ何も喋ろうとしません。そんなアンニュイな歌葉ちゃんに、他の人も声をかけあぐねている様子で、柚原さんは困ったなという笑顔を浮かべ、縹さんでさえぺろぺろするのをためらってか、舌を出しては引っ込めてを繰り返しています。
「歌葉は、おなかがいたいのかしら。ニコのおくすり、のむ?」
ガラス玉のような瞳を瞠り、ニコちゃんがぴたぴたと歌葉ちゃんの膝頭を叩きます。
「……なんでもねえよ」
ぶっきらぼうに首を振った歌葉ちゃんは、一呼吸置いてから顔を上げます。
「それより薬ってのは? 二子こそどっか悪いのか?」
「おねえちゃんが、ねんのためって。ぷーるでおなかひやすといけないからって」
「そっか。あたしも少し冷えちまったかも。悪いけど先帰るわ。みんなはあたしの分まで楽しんでいってくれな」
重りを引きずるような動きで、歌葉ちゃんが立ち上がります。それを見た本山さんがぴょこんと腰を跳ねさせます。
「神楽坂さん、ごめんなさい。わたしの、わたしのせいで……」
「ばかやろ、本山はちっとも悪くねえよ」
頭を下げようとした本山さんを、歌葉ちゃんは指先で小突いてやめさせます。
「むしろあたしこそ、かえって怖い思いさせちまってごめんな。次に何かあった時にはびしっと決めるからさ。今日のとこは勘弁してくれな」
返事を待たず、歌葉ちゃんは歩き出します。引き止めるのは難しそうです。ですがこのままでは柚原さんの水着を借りパクです。
「ねえニコちゃん、まだここにいたい?」
まずはニコちゃんの審判を仰ぎます。ニコちゃんは迷いなく神託を下します。
「ん。またきたい」
「そうだね、ニコちゃん、今度は二人だけで来ようね。柚原さん、やっぱり私とニコちゃんも今日はもう帰るね」
「わたし達もね。本山さんと縹さんもいいでしょ?」
「……はい、ボクも賛成です……神楽坂さんの水着……脱ぎたてのまだ新鮮なうちに……」
「本山さん?」
「え、あ、なに、なに?」
「だからさ、今日はもう帰ろうって。だけど本山さんのせいじゃないからね。変に気にしたら駄目だよ」
「……うん」
ひとり出口へと向かう歌葉ちゃんの後ろ姿を見つめて、本山さんは頷きました。
「なんだよ、みんな揃ってぞろぞろと。ガキじゃねえんだ、あたしだけで帰れるっての」
追いついた私達に歌葉ちゃんが憎まれ口を叩きます。だけど実力行使で追い払おうとはしません。柚原さんも気安く隣に行って言い返します。
「だってほら、わたしって学級委員長だからさ。みんなでまとまって行動することに喜びを感じちゃうんだ」
「微妙にウゼーな。でも柚原がいりゃあ、うちのクラスにいじめの心配はないかもな」
「キレて暴力を振るう子はいるかもだけどね、歌葉ちゃん」
「だな。こんなふうにな」
「いたいいたいいたいっ」
歌葉ちゃんがコブラのように私の胴体に絡みついてねじり上げます。悶え苦しむ私の後ろから、荒い息遣いが吹きつけます。
「……いいな、ボクもあんなふうにされたいな……って、思いますよね……分ります」
「え? そういう、そういうのは、わたしはちょっと分んないけど、だけど……」
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