第23話 ウォーターランド その3

 平日の午前中ということもあり、プールは比較的空いています。私達は手初めに流れるプールで遊びます。レンタルしたビーチボールやビニールのイルカさんをお伴に連れて、泳ぐというよりぷかぷかと浮いていきます。


「妙、疲れてねえか? 足がつったりとか、なんかあったらすぐに言えよ。いつだってあたしに抱きついていいんだからな?」

「ニコちゃんいいよー、かわいいよー、じゃあね、次はちょっと大胆なポーズいってみよっか。イルカさんにまたがったまま、お股を大きく広げてー、それから手をぱたぱたーって」

「イルカさん、たのしい。史恵もニコとのる?」

「本山さんって泳ぐの上手だよね。何気に色々スペック高い人だなー。苦手なこととかってあるの? 私にこっそり教えてみて。悪いようにはしないから」

「は、縹さん、危ないよ、危ないから。そんなふうに人の後ろに近付いたら、付いたら」

「……か、神楽坂さんのおみ足が、うがっ、ごぼっ、ぶくぶくぶく……」

「ん? 今なんか蹴ったような感触が……誰もいねえな。気のせいか」


 頑張って泳ぎ過ぎてしまったせいか、縹さんが水底に沈んでしまったので、いったん休憩に入ります。

 プールサイドに陣地を定め、気ままに座ったり寝転んだりします。肌にまとう水滴が、本格稼働を開始した夏の日差しに熱せられ、乾いていくのがこそばゆいです。


「このあとってどうする? わたし実はあれやってみたいなーって」

 柚原さんが遥かな天空を指差します。「あれ」というのはきっとあれのことでしょう。明るく楽しいレジャー施設にはそぐわない、雲を突くような禍々しい塔がそびえています。そのてっぺんからは次々と人が滑り落ち、恐ろしい悲鳴を響かせます。


「お、ハイパースライダーか。あれ高さ二十メートル以上あるらしいな。ビル五、六階分ぐらいか? 実はあたしも気になってたんだ。いいぜ、行こう」

 嘘です。ビルで言えば百階以上にはなるはずです。あれは断じて大きな滑り台などではありません。処刑台です。命を粗末にするのはよくありません。


「ニコちゃんは行かないよね? だってあんなの興味ないもんね。またイルカさんに乗ってぐるぐるしようね」

「たのしそう。ニコもすべる」

「そうだねニコちゃん、突っ込むに決まってるよね! 楽しそうだもんね!」


 私は喉も裂けよとばかりに叫びます。ニコちゃんがやると言っているのです。それなら怖いことなんてありません。やってやるです。

 猛る私に歌葉ちゃんは呆れ顔です。


「妙、声めっちゃ震えてるからな。二子はあたしが連れてくよ。お前は待ってろ」

「ボクは高いところ全然平気ですから……神楽坂さん、いつでも天井から吊るしてください……」

「本山さんは? チャンレンジしてみる?」

「え、わたし、わたしは」


 本山さんはぶるりと身を震わせて、傾斜角91度(わたしの目測による推定値です)の滑降台を見やります。そしてちらちらと歌葉ちゃんを窺う素振りは、あのハイパースライダーなる代物が、果たして歌葉ちゃん何人分の高さになるかと計算したのかもしれません。


「……柚原さんがやるなら、なら、わたしもやってみようかなって……かなって」

「おっけー、女は度胸だ。ってことでごめんね妙ちゃん、一人にしちゃうけど、そんなには掛からないと思うから。ジュースでも飲んでで待っててね」

「じゃあニコちゃんの愛のジュースがいいな」

「あはは、それは二子さんに頼んでみて」

「本山」

「え、え。なに、なに」

 柚原さんのあとについて歩き出そうとした本山さんが、歌葉ちゃんに名前を呼ばれて子犬みたいに竦みます。


「悪いけど、妙と一緒にいてやってくんねえかな。迷子とか誘拐とか、残してくのは色々心配だからよ」

「それは……」


 本山さんが惑う様子でうつむくかたわらで、歌葉ちゃんが私に向かって痛々しく顔面を崩壊させます。ただし本人的にはウインクをしたつもり、という可能性もクォークレベルで存在します。私は歌葉ちゃんへ向けて頷くと、本山さんの頼りなげに揺れる手を取りました。


「本山さん、私と一緒にいてもらってもいいかな?」

「う、うん……わたしでよければ。よければ」

 本山さんがほっとしたように私の手を握り返します。そして柚原さんの生温かいまなざしに気付き、あわあわと頭を下げます。


「ごめん、ごめんなさい柚原さん、行くって言ったのに、のに」

「全然問題なしだよ。自分のしたいようにするのが一番だからね。ではでは、わたし達は行って参ります」

 柚原さんはすちゃっと敬礼すると、歌葉ちゃんとニコちゃんの手を引いて高みへと旅立ちます。縹さんも歌葉ちゃんの影に入ってついていきます。


「本山さん、私達も行こうか」

「え、どこ、どこに?」

「あっちの方。ニコちゃんが滑り降りてくるところを、ばっちり正面から見られるよ。でも盗撮は駄目だからね。動画と画像は頭の中に保存するだけで我慢してね」

 私の脳内ニコちゃん用ストレージなら無限かつ永遠に置いておけます。ネットに流出する恐れもなくて安心です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る