第19話 お泊まり勉強会 その8

 既に夜も更けています。入浴でたっぷりとリフレッシュしたあとも、私達は暫く真面目に勉強を続けていましたが、さすがにまったりムードが漂い始めます。

 熱心に虚空を見つめていたニコちゃんが、こくんと頭を揺らせます。どうやらもうおねむのようです。


「終わりにする?」

 私に英語の疑問文の作り方を教えてくれていた柚原さんが、シャーペンを置いて「ふぁー」とあくびをします。

「だな。これ以上やっても頭に入りそうにねえし」


 歌葉ちゃんも広げていたノートを閉じます。その隣では、縹さんが広げたお股を閉じられなくなっています。私が教えてあげた弱点を攻めたすえに、顔を真っ赤にした歌葉ちゃんに三倍返しを喰らった結果です。口の端から泡を吹いていますが、幸せそうなのでそっとしておいてあげましょう。


「そういえばさ、今日って七夕だね」

 柚原さんが手に取って眺めていたスマートフォンから顔を上げます。

「短冊を笹に吊るしたりするの、結構楽しいよね。ロマンチックだし」

「そうか? 小学校の時とかやらされたけどよ、ろくなもんじゃなかったぜ」

「せっかくだからやってみない? みんなで願い事を書くの。匿名で。それで誰がどれを書いたか想像してニヤニヤする」

「下らねえ。そんなの字ですぐ分るだろうが」

「それは言わぬが花ってことで。口に出せない切ない想いを、身近にいる誰かに伝えたい。そんな人にはうってつけだと思うなあ。ロマンチックな星空の下、相手もついに自分の本当の気持ちに気付くの。一番大切な人は誰なのか。今までは単なる幼馴染みだと思っていたけれど実は……みたいな」

「いいなそれ」

 歌葉ちゃんは前のめりに座卓に手を付いて、それからはっとしたように座布団に腰を戻します。


「いやひょっとしたら? そういう奴もいるかもしんねえな。あたしには関係ねえけどな。やりたかったらやればいいんじゃねえの。あたしには関係ねえけどな」

「じゃあ歌葉さんは抜いて、四人でやろうか。わたし準備するね」

 柚原さんは早速ノートを切り離し、手際よく短冊を作ると、私とニコちゃんと縹さんに配ります。


「……おい、柚原」

「歌葉さんはいらないよね? わざわざ二回も関係ないって言うぐらいだし」

「当り前だ。誰がそんなガキっぽいこと」

「なーんてね。はい、歌葉さんの分もあるよ。みんな自分の願い事を書いてね。他の人には見えないように。内容は自由だけど、あんまり生々しいのとか、公序良俗に反するものは控えるように」


 いいんちょさんからの指示と注意を受けて、みんなで短冊書きを開始します。

 さて何と書いたものでしょう。周りを窺うと、みんな勉強の時以上に真剣な雰囲気です。おや、ニコちゃんは早くも書き終わった模様です。妙と○○○なことがしたい、でしょうか。それとももっと具体的に、妙に○○○○○○○○してほしい、かもしれません。気になります。私も負けてはいられません。呼吸を整え精神を集中、体の奥から溢れ出る欲望を、心のままに書き付けます。


「みんなできた? そしたら裏にして出してね。それでは、シャッフルシャッフル」

 伏せられている短冊を、柚原さんがわしゃわしゃとかき回します。どれが誰の書いたものか、すぐに分らなくなってしまいます。


「行くよ、覚悟はいいかな? もしやっぱり恥ずかしいっていう人がいたら、今のうちだよ。今ならまだなかったことにできるよはいドン一枚目きた!」

 歌葉ちゃんが口を開きそうな素振りをした刹那、柚原さんは電光石火で短冊をめくります。


「もう中止はできないなー。ここでやめたら不公平になっちゃうしー。あれ、歌葉さんどうかした? 頬がぴくぴくしてるけど」

「ぐっ、なんでもねえよ」

 そっぽを向いた歌葉ちゃんに、柚原さんはてへぺろと舌を出してから、短冊に書かれた内容を確かめます。


「えーっと、一枚目は」

“神楽坂さんがたくさん愛の鞭をくれますように”

「うん、なるほど。じゃあ次ね」

 柚原さんはなめらかに流します。縹さんが期待に潤んだまなざしを歌葉ちゃんに注ぎます。歌葉ちゃんは突っ込んだら負けとばかりに握った拳を震わせます。


「二枚目行きます」

 ペラリ。

“好きな人が幸せになれますように”

 柚原さんが固まります。まるでついノリと勢いで書いてみたはいいものの、こうして見返すとすごく照れくさくなってきた、とでもいうみたいです。


「ふーん。柚原にはそういう相手がいるんだな」

「な、なんのことかな? 次行こう、次」

 ペラッ。

“これからもずっと傍にいられますように“


「おーっと、健気なの来たねー。普段とのギャップで余計きゅんとするやつだ。歌葉さんもそう思うよね?」

「ああんっ? なんであたしに訊くんだよ、こらっ!」

「妙ちゃんとしてはどう?」

 柚原さんが私に振ります。がうがうと柚原さんを威嚇していた歌葉ちゃんも、急に静かになって私のことを見つめます。私は素直に感想を口にします。


「別にどうも?」

「そんな、妙……ぐしゅっ」

 この季節に花粉症でしょうか。歌葉ちゃんが涙目になって鼻を啜ります。それはともかく、歌葉ちゃんと私が互いの傍にいるのは普通のことです。改めて何かを思うまでもありません。


 いよいよあと二枚になりました。匿名なので誰の短冊が残っているのかはこれっぽっちも分りませんが、やはりドキドキしてきます。果たしてニコちゃんはどういう思いを抱くのでしょうか。愛のゆえにとはいえ、かなりディープなところまで踏み込んだお願いを見て、気色悪がったりはしないでしょうか。もしもそんなことになったら、私は世を儚んで身投げしてしまうかもしれません。投げる先はニコちゃんの胸の中を希望します。


 そんな千々に乱れた私の心には気付いたふうもなく、柚原さんはさくっと短冊をめくります。

“あの子ともっと仲良くなりたいです”


「あれ? 普通だね。これってどっちだろう。まあ字からしても……」

 柚原さんが私をチラ見します。しかしそれはどうでもいいことです。今大事なのはただ一つ、ニコちゃんの反応です。


 ニコちゃんはガラス玉のような瞳を短冊へ向けたまま、こてん。私に身をもたせかけます。

 神はいました。正義は成りました。胸が熱くなります。蜜がとろとろとあふれます。寝る前にもう一度下着をはき替えた方がよさそうです。


「はいはいごちそうさま。じゃ最後いくよー」

“おふとん”

 くーっと安らかな息が聞こえてきます。私に寄り添うニコちゃんの体が重みを増します。すっかり力が脱けている模様です。


 柚原さんが孫を見るように微笑みます。

「もう寝よっか」

 それがいいと思います。

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