第15話 お泊まり勉強会 その4

 今日の勉強会は、歌葉ちゃんのおうちの人もきちんと承知のことらしく、私達のためにわざわざ部屋を用意してくれていました。

 離れにある広い二間続きの和室です。片方が勉強部屋、もう片方が食事や休憩、そして夜には寝るための部屋になっています。歌葉ちゃん曰く、「どうせろくに使われてないから」とのことですが、青畳の香りも爽やかに、床の間には風流な生け花まで飾られています。


「わ、すごい。いいお部屋だねー」

 足を踏み入れるなり柚原さんが目を丸くします。それから何気ないふうに尋ねます。

「神楽坂さんの家って、何してる人なの?」

 歌葉ちゃんは瞬間「うっ」と喉を詰まらせました。代わって私が軽やかに口を滑らせます。


百合ひゃくごう組の経営だよ」

「え……」

 百合組は、国内最強の呼び声も高い伝統あるヤ○○組織です。柚原さんは荷物を置きかけた格好のまま一時停止、それから逆回し映像のようにすすすっと後ろに退ります。何も聞かなかったことにして、このままフェイドアウトを決め込もうという構えです。


「妙、変なこと言うな! 柚原、ちげーからな。うちは昔っから続く古い家ってだけだ。ちょっとぐらいハメ外したからって、誰もお前の指詰めようなんて考えない。安心しろ」

「そ、そうだよね、冗談だよね……あー、びっくりした。藤木さんも人が悪いなー。で、本当のところはどうなの?」

「それはね」

「妙はもう黙れ。いいか柚原、絶対詳しく調べようとかすんなよ。絶対だぞ」

「え、それってフラグなの? ひょっとしてわたし煽られてる?」

「まじで違う。頼むからやめとけ」


 小鼻を膨らませて迫る歌葉ちゃんに、柚原さんは引き気味に頷きました。

 もちろん歌葉ちゃんは百合組の構成員などではありません。ただ神楽坂家は……おっと誰か来たようです。この話はここまでにしておきましょう。


 勉強部屋には立派な座卓が据えられています。ニコちゃんは特に何を考える様子もなく、手近な端の位置にちょこんと膝を揃えました。まるで子猫が香箱座りをしているみたいです。大変に愛らしいです。


 私は特に何を考える必要もなく、ニコちゃんの脇にすちゃっと腰を下ろしました。おそらく風水的に良い場所なのでしょう。とても心が安らぎます。きっと勉強も捗ります。私の席はここに決まりです。


 歌葉ちゃんはいったい何を考えているのか、やけに詰め気味に私の隣に座りました。対面が空いているのですから、そちらに行けばいいと思います。私の傍に来ると歌葉ちゃんには嬉しいことでもあるのでしょうか。さっぱり見当も付きません。

 縹さんは歌葉ちゃんの隣に這いつくばって足の匂いを嗅ぎ始めます。あ、蹴り飛ばされてしまいした。お気の毒です。


「バランス悪いなあ。こっちにも誰か来ない?」

 一人だけ反対側に座った柚原さんが、冗談っぽく口を尖らせます。確かにこれでは仲間外れにでもしているみたいです。


 色々とお世話になることの多い学級委員長さんです。恩を仇で返すような真似はいけません。しかし私はニコちゃんの隣から動くことができません。小指と小指が見えない赤い糸でがっちりと結び付けられてしまっています。


「よっと」

 歌葉ちゃんが軽い掛け声と共に立ち上がりました。ちょっと拗ねたように私を見てから、対面の席に移動します。その足跡を舐めるようにして縹さんも後を追います。


「神楽坂さんってば、優しいね。けどいいの?」

 改めて隣に来た歌葉ちゃんに柚原さんが尋ねます。歌葉ちゃんはデニムのショートパンツから伸びる長い足を折りたたみ、お行儀悪くあぐらをかきます。


「今日の目的は勉強だしな、柚原にはちゃんと教わりたいんだよ。だから、お前の傍にいてもいいだろ?」

「……は、はい、もちろんです。わたしに分る範囲なら、なんだって教えちゃいます」

 柚原さんはいきなり丁寧語になると、わたわたした手付きでカバンから勉強道具を取り出しました。これでめでたく席決めは完了です。


 座卓の上に教科書やノートを広げ、いざ勉強会の開幕です。私は一番得意な国語から取り組むことにします。隣のニコちゃんはと見れば、いにしえの哲学者を思わせる叡智に溢れた表情で、座卓の木目をなぞっています。なめらかに動く指の軌跡は、たぶん世界の真理か何かを表しているのだと思います。


「おい二子、てめぇはなんで鉛筆すら出してねえんだよ。いったい何しに来たんだ」

 しかしニコちゃんの高尚さを理解できない愚物が、浅はかな突っ込みを繰り出します。ニコちゃんはきょとんと見返しました。

「ニコが、歌葉のおうちにくるの、だめだった?」

「違っ、そういうことじゃなくてさ……うん、いいや。お前は好きにやってくれ。妙の邪魔だけはすんなよ」

 もちろんニコちゃんが私の邪魔になるわけがありません。

「ニコちゃん、よかったら私と一緒に国語のお勉強しよう?」

「ん、する」

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