第14話 お泊まり勉強会 その3

 もうすぐ待ち合わせの時間になります。私はニコちゃん達を迎えに桂木かつらき駅前に来ていました。

 梅雨のさなか、薄曇りの今日は、じめっとした熱気が体を不快に押し包みます。ニコちゃんを待っていると思えば苦にもなりませんが、ニコちゃんをこんな過酷な環境下に待たせておくわけにはいきません。


 もしもニコちゃんが他の人より先に着いたとしたら、まず私の家に連れて行って休んでもらうのがよいでしょう。柚原さんと縹さんの方は、改めて駅まで迎えに来たうえで、責任を持って歌葉ちゃんの家まで案内します。あとは好きにしてもらえばいいと思います。私もニコちゃんのことを好きにします。

 ですがそんな私のささやかな計画は未遂に終わりました。


「やっほー藤木さん、暑いね。お迎えしてくれてありがとね」

 ハンカチでおでこの汗を拭き拭きしつつ、柚原さんが現れます。可愛らしいピンクのチェックのブラウスの胸元が、同い年とは思えないぐらい大きく盛り上がっています。とはいえしょせんは脂肪の固まりです。この季節には暑くて邪魔なばかりでしょう。特に羨ましくはありませんし、ましてえっちな目で見たりなんてしません。同性を相手に清い気持ちでいるのは当然です。


「……おはようございます」

 縹さんはだぼっとした長袖長ズボンの服を身にまとい、頭にはキャップをかぶっています。丸メガネの縁まで全て黒で統一されているのは、いわゆるゴシックロリィタファッションというものでしょうか。少し違う気もしますが、特に重要ではないのでいいでしょう。


「妙。きた」

 そして太陽が私を照らしました。

「こんにちは、ニコちゃん。ねえ、そのお洋服って」

 ニコちゃんは少し首を傾げ、お互いの着ている服を見較べます。

「ん。おそろい」


 本当にそうでした。私がノースリーブ、ニコちゃんがパフスリーブという違いこそありますが、二人とも白のワンピースという奇跡のコラボレーションです。すっかり嬉しくなった私は、ニコちゃんの手を引いて歩き出します。


「え、藤木さん? どこ行くの?」

「もちろん空港だよ。新婚旅行に。だってほら、ニコちゃんも私もウェディングドレスだし」


 驚いたふうに尋ねた柚原さんに、私は晴れやかに答えます。

 清楚な白の装いは、花嫁の純潔の証です。身を捧げ合う覚悟完了です。

 柚原さんは祝福の笑みを浮かべてくれます。なのに微妙に眉が下がっているのは、よほど暑さがこたえているのでしょうか。軽い熱中症かもしれません。心配です。


「ちょーっと気が早過ぎじゃないかな? 未来を夢見るのも素敵だけど、きちんと現実を見るのも大事だよ?」

 いいんちょさんからのお説教です。確かにその通りかもしれません。いくら私とニコちゃんが好き合っていても、世の中のレールから外れて生きるのは大変でしょう。

 なにせ私とニコちゃんはまだお式を済ませていません。これでは婚前旅行になってしまいます。ふしだらです。


「……あの、できれば早く、神楽坂さんのおうちに行きたいんですけど……貢ぐ物もあるので……」

 そう言う縹さんは、通学カバンの他に、可愛らしい犬の絵がプリントされた紙袋を抱えています。どこかのファンシーショップのものでしょうか。


「うん、わたしも一応持ってきた。休憩時間とかにみんなで食べようと思って」

 柚原さん提供の有名洋菓子店のクッキー詰め合わせを手土産に、みんなで歌葉ちゃんの家に向かいます。私にとってはもちろん見慣れた街の光景ですが、柚原さんは感心したようにしきりと左右を眺めます。


「さすがに桂木は立派なお屋敷が多いよね。こっちはお寺か何か? ずいぶん広いみたいだけど」

 道の左手には、数十メートルに渡って背の高い白壁が続いています。中を覗くこともできないので、どことなくものものしい雰囲気です。


「あれ、でも住所からすると確かこの辺りが……」

 柚原さんが何かに思い当たったらしいのと同時に、私は足を止めました。ちょうどそこで壁が途切れて、立派な四脚門がそびえています。


「よう、来たな。妙以外の奴がうちに来るのは、お前らが初めてだぜ」

 無駄に高い背を門柱に預けていた歌葉ちゃんが、ぶらりと歩み寄ってきます。柚原さんは暫し唖然とした様子でお屋敷と歌葉ちゃんを見較べてから、クッキーの入った袋を丁寧に差し出します。


「お、お世話になります……あのこれ、つまらない物ですけど、よかったらどうぞ」

「ありがと。別にそんな気を遣わなくてもいいぞ。あたしも客扱いする気はねえからな」

「……そう? それじゃあ普通にさせてもらおうかな。友達だもんね」

 柚原さんはすぐにいつもの気安い態度に戻ります。逆に歌葉ちゃんはぎこちなく顔を背け、「と、ともだちか……」などと呟きながら正門脇の通用口を開けます。


「ボ……ボクもこれ、おみやげです。すいません……神楽坂さんがこんなすごいお金持ちだなんて知らなくて、だからただの安物で……ボクの買ったのなんか使えるかっていうなら……捨ててください」

「わざわざ持ってきてくれたってのに、そんなことするかよ。首輪とリード?」

 今度は縹さんに渡された紙袋の中身を取り出して、歌葉ちゃんが首を傾げます。


「意外っていうか意味の分んねえチョイスだな。確かにうちにも何匹か犬はいるけどよ。ん、タグになんか書いてある。えーと、『はなだあやの メス 12歳』。超いらねえ」


 歌葉ちゃんはペット用品を投げ捨てました。

 飼ってもらえずにしょんぼりとする縹さんに代わり、ニコちゃんが前に出ます。斜めがけにしたポシェットから封筒を出して歌葉ちゃんに渡します。


「歌葉。これ」

「二子までなんか持ってきたのかよ。まさか金とか入ってねえだろうな。旅館じゃあるまいし、宿泊料なんか受け取らねーぞ」

 紙幣でこそありませんが、中には高級そうな和紙が三つ折りに畳まれていました。歌葉ちゃんが広げて内容を確認します。


“誓詞 二子ニコに対して淫らな行いが為されないことを誓います。もしこの約定に違背ある時には、私の五臓六腑を贖物として差し出します”

「おねえちゃんが、それになまえかいてもらってって。歌葉の血で」

「……せめて拇印でいいか?」

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