第9話 お見舞い その2

 学校の最寄り駅近くの洋菓子店でお見舞いのプリンを買ってから、私達は電車に乗り込みました。ガタゴトと揺られること十分余り、紫野むらさきの駅で下車します。


 ニコちゃんの家には私はお邪魔させてもらったことがありますし、柚原さんは「いざという時のために」さつき先生を含むクラス全員の住所を把握しているそうです。この人のことはできるだけ敵に回さない方が良いでしょう。


 とはいえ私がニコちゃん学の権威であることに議論の余地はありません。当然の義務として案内役を買って出ます。

 特に目印になるような建物もない住宅街です。私は迷ったりしないよう、くんくんと鼻を鳴らしました。ニコちゃんがいるのはこちらでしょうか。


「藤木さん? 方向逆だよ。そもそも駅の出口からして間違ってるし」

「んだよ柚原、そういうことはもっと早く言えよ」

「もしかしたら何か抜け道みたいなのがあるのかなって。だけどなんか道順覚えてなさげだから」


 私はくるりと踵を返しました。微笑みとともに柚原さんを見つめます。柚原さんは自分の胸を掌で叩いてみせます。

「おっけー、任せて。こっちだよ」

「ははっ、やっぱり妙と二子はまるっきり他人なんだな。あたしなら妙の家行くのに迷うなんてありえねーし。妙だってそうだろ。うちには真っ直ぐ来れるよな?」

 私のうちから歌葉ちゃんのおうちまでは真っ直ぐ歩いて二分です。


 柚原さんが安定のナビ機能を発揮して、やがて見覚えのあるマンションの前に辿り着きます。

「ここだね。505号室」


 柚原さんが私を見遣ります。エントランスのオートロックを解除してもらうため、インターホンを鳴らしなさいという意味だと解釈します。

 この三人の中で最適任者は間違いなく私でしょう。私は歌葉ちゃんの袖を引っ張りました。


「ここだよ。505号室」

「ふーん。だからなんだよ」

「呼び出さないと入れないよ?」

「そうか。じゃあ帰るか」


 歌葉ちゃんはにべもなく言いました。まさか怖じ気づいているのでしょうか。背は大きくても呆れたチキンハートです。

「家の人が出たらちゃんと挨拶するんだよ? 中学生なんだからそのくらいできるよね?」

 私は懇切丁寧に指導します。まるで保育士さんにでもなった気分です。やれやれです。


「知るかよ。自分でやれっての」

「だってほら、私は両手が塞がってるから」

 右手にはお見舞いのプリンを持っていますし、左手は歌葉ちゃんの袖を握っています。これでどうやってボタンを押せというのでしょう。


「とりあえずさ、わたしが押しちゃっていい? 押しちゃうよ?」

 言うが早いか柚原さんはニコちゃん宅を呼び出します。まことにあっぱれな働き、まさに一番槍の功名です。ですが本当の戦いはこれからです。


“はい”

 返事はすぐにありました。インターホン越しでも澄んだ美しい声なのが分ります。おそらく若い女の人だと推測されます。


「こんにちは、貞心女学院中等部一年の柚原と申します。二子にこさんのお見舞いに来ました」

“結構です”

「え?」


 柚原さんはぽかんとしました。瞬きをしてカメラのレンズを見つめます。向こうには名乗った通りの女子中学生の姿が映っているはずなので、まさかこんな塩対応をされるとは予想外だったのでしょう。


「……えっと、すいません、かなり具合が悪いんでしょうか? でしたら遠慮しますけれど」

“何を言っているの? せっかく来てくれたんだもの。どうぞ寄っていって”


 エントランスの自動扉が開きます。柚原さんがどうしようというように私を見ます。私は頷きました。このチャンスを逃したら、きっと次はありません。

 私達は無事マンション内への侵入を果たし、エレベーターに乗り込みます。


「藤木さん、さっきの人って……」

「たぶんお姉さんの一子いちこちゃん。ニコちゃんのことが大好き過ぎて、ときどき言動がおかしくなるの」


「へー、他にもそういう人っているんだね。確かに二子ふたこさんってものすごい美少女だもんね。アンティークのビスクドールみたい」

「まあ顔の造りは整ってる方かもな。つっても可愛さなら妙の圧勝だけどな」


 他にも、ということは柚原さんには別にそういう人の心当りがあるのでしょうか。ニコちゃんに惹かれてしまうのは世の理なので仕方ないとしても、節度は守ってほしいところです。

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