お見舞い

第8話 お見舞い その1

 とってもアンニュイな一日でした。私は何もする気が起きませんでした。たぶん呼吸もほとんど止まっていたと思います。幾度かため息をついた時を別とすれば、あえて意識して吸ったり吐いたりもしませんでしたから。

 それにはもちろん理由があります。


 学校で習う教科全般こそ不得意な私ですが、基本的には自他ともに認める優等生と言っていいと思います。授業時間中も自分から積極的に頭の中で空想を巡らせていることが多く、ただじっと先生の話に耳を傾けたり、黒板の内容をまるまるノートに写したり、指示されるままひたすら問題を解いたりといった、受動的な過ごし方は好みません。


 けれど今日は全然駄目です。頭がずっとぼうっとしていて、見るもの聞くもの全てが素通りしてしまいます。記憶に残っているものといえば、せいぜい給食のメニューぐらいです。


 でも仕方がないのです。

 だって本来一番に見るべきものがありません。何より先に耳に入れるべき音が届きません。常に鼻の穴を満たしているべき匂いがしません。


たえ、何ぼんやりしてんだよ。帰ろうぜ」

 確かにこの場所でただじっとしているのは不毛です。授業ももう終わっていますし、私は部活動もやっていませんから、今すべきことは一つです。私は隣の席の椅子を掌でさすさすします。


「はぁ、冷たい。どうして? こんなことってある?」

 そこに体温の名残りはありません。丸一日誰も座っていなかったのですから当然です。ニコちゃんは学校をお休みしました。


「おい、ぐずぐずしてると置いてっちまうぞ? あとで淋しくなって泣いたって知らねえからな?」

「もうこれっきり会えないなんて、そんなことないよね?」


「あるわけねえだろ。どうせただの風邪とか……いっそ仮病って可能性もあるかもな。二子ふたこのことだし、今日は行きたくないから休む、ぐらい言いそうじゃね?」

「行きたくないって、まさかいじめ!? でもこのクラスにそんなひどいことする人なんて……」


 信じたくはありません。ですが不都合な真実から目を逸らしても事態は悪くなるばかりです。私は全力で推理を働かせて犯人を絞り込みます。レクター博士も顔負けのプロファイリングです。


「いじめをする……暴力を振るう……背が高い……目つきが悪い……すぐチョップとかする……名字が長い……おしっこが近い……そういうことだったんだね! すぐに先生に知らせないと!」

「濡れ衣にもほどがある!」


 真実は暴かれました。ですが私のテンションは上がりません。たとえ犯人をスカートのまま逆さ吊り三十分の刑に処したとしても、この場にニコちゃんが現れるわけではないのです。


「はあ、つまんない」

「なんだよ、つまんねえのはこっちだっての。そんなに二子のことが気になるんだったら、見舞いにでも行けばいいじゃねえか」


 私は雷に打たれたように目を見開きました。向こうが来ないのならばこちらから行く。まさに逆転の発想です。パンがなければニコちゃんをケーキにすれば良いのです。


「うん、そうしよう! ……あれ? 歌葉うたはちゃん、いつからそこにいたの? でもごめんね、私今忙しいの。遊ぶのはまた今度ね!」

 私はカバンを手に取るといそいそと席を立ちました。


「待てよ妙、それならあたしも一緒に行く。お前をあいつと二人きりにして何か間違いがあったらいけないからな」

 私の手を掴んだ歌葉ちゃんがおかしなことを言いました。


 女の子同士が二人でいてどんな間違いが起きるというのでしょう。私とニコちゃんの間ならもしかしたら赤ちゃんぐらいできるかもしれませんが、それはむしろ正しいことです。


「それならわたしも行こうかな。二子さんの様子は一応確認しておきたいしね。藤木ふじきさんだけで訪問するなら遠慮するとこだけど」

 柚原ゆずはらさんも参戦を表明します。もちろん学級委員長としての責任感ゆえのことでしょう。念のためスキャンをかけてみましたが、ニコちゃんにたいする邪な想いは見つかりません。同行を認めても良さそうです。


「か……神楽坂かぐらざかさんが行くなら、ボクもお供しよう、かな」

 歌葉ちゃんのスカートの下にははなださん潜んでいます。どうやら気付いていなかったらしく、歌葉ちゃんはびくりと仰け反りました。


「うおっ!? てめえ、どっから頭出してんだよ。あと今回は来んな。遊びに行くんじゃねえんだぞ。無駄に人数増えると迷惑だろうが」

「うん、縹さんと神楽坂さんが盛り上がれるようなシチュエーションは、わたしが何か考えておくからさ。今日は遠慮してもらった方がいいかも」


「柚原さんがそう言うのなら、あきらめます……でもその代わり、今度神楽坂さんにいっぱい踏みつけられちゃいそうで怖いけど……ふふふ」

「あたしの方がこえーよ……」


 歌葉ちゃんの股の間から、すすすっと縹さんの生首が引っ込みます。なかなか慎み深い去り際です。無作法な歌葉ちゃんにも見習ってほしいぐらいです。

 私は柚原さんに提案しました。


「あのね、お見舞いの品を買おうかなって思うんだけど、一緒に選んでもらっていい?」

「もちろん。ちゃんとお金も半分出させてね」


「ありがとう。やっぱりいいんちょさんは優しくて頼りになるね」

 私達は二人仲良く教室を後にします。何か忘れている気もしましたが、たぶん問題ないと思います。

「あたしも行くっつってんだろ! ちょっといい雰囲気とか出してんじゃねえよ!」

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