第3話 席替え その3

「……はぁ、もういい。あたしが二子ふたこの引いた席に行くよ。それでいいんだろ」

 歌葉うたはは暗い目をして言った。


「歌葉ちゃんがそれでいいならいいよ。ニコちゃんは? 歌葉ちゃんと席を代わってあげてもいい?」

 たえが問う。ニコは首を傾げた。


「……じゃいあんとばばさん? はニコのおともだちみたいだから。そうしてあげて」

「んー、ニコちゃんは優しいね。本当に天使だね。よかったね、歌葉ちゃん。ニコちゃんに感謝して崇め奉ってお賽銭をあげてね? 毎日五百円ずつからだからね?」


 歌葉は突っ込まない。もうライフはとっくにゼロだった。

「るーるるーるるー、るーるるーるるー」

 物悲しいメロディを口ずさみながら、机を持って廊下側に移動する。既に隣の席には机が置いてあり、生徒が腰を下ろしている。


 着ているのはもちろん歌葉達と同じセーラー服だが、上着もスカートも丈が微妙に余っていて長い。黒縁の丸メガネのせいもあり、垢抜けないもっさりした印象だ。

「あーっと、はなだか。二子の代わりにお前の隣になった。よろしくな」

 縹綾乃あやの、特に喋った覚えもない相手だが、歌葉は気さくに話しかけた。


「か……神楽坂、さんっ?」

 ガタガタガタッ。

 机を並べた歌葉に対し、綾乃は椅子ごと体を引いた。分厚いレンズの奥の瞳が、ホッケーマスクの怪人にでも遭遇したみたいに見開かれている。


 歌葉はむっと唇を尖らせた。一七〇センチを超える長身に加え、言動もお淑やかとはほど遠い自分である。ある程度びびられるのはしょうがないとしても、このリアクションはさすがに傷つく。


「なんだよ。別になんにもしねーよ。普通に座ってろよ」

「ひぃっ、ごめんなさいっ、ぶたないでっ」

「だからっ!」

 歌葉は声を荒げ、だが綾乃がさらに縮こまるのを見て、浮かせていた腰を落とした。


「ったく」

 頬杖をついて壁に顔を向ける。相手が妙ならデコピンの一発もかましたいところだが、自分は他の女に手を出すような尻軽ではない。

 妙の尻の肉をつねるところを想像して心を慰めることにする。


「……え、本当になんにもしてくれない、の?」

 綾乃がぼそりと呟いた。なんだそれ。突っ込みたい。が、無視だ。

(んんっ、歌葉ちゃん、そんなことしたら痛いよっ……でも歌葉ちゃんにされるなら、私……)

 歌葉の心の王国では、妙がうるうると瞳を潤ませているところだ。集中集中。


「つんつん。つんつん。ぶっすー」

 頬に指がめり込んできた。歌葉はつっかえ棒をされたまま強引に顔を振り向けた。

「なんのつもりだ」


 半眼で睨みつける。綾乃はすぐに指を引っ込めた。垂れた前髪の間から歌葉のことをちらちらと窺っている。卑屈な仕草が癇に障る。が、無視だ。王国では妙が待っている。


(いいよ、歌葉ちゃん……線引きとか使っても)

「つん」

「だからなんだってんだよっ! しばくぞてめー!」

「ひぃっ、あ、ありがとうございます! ロウソクとか使ってもいいですから!」

 綾乃は恍惚とした表情で悲鳴を上げた。周囲の生徒達がざわりとする。


「聞いた、今の?」「あの二人、そういう関係なんだ」「進んでる……っ言っていいのかな、ああいうのも」「分んないけど、二人がいいならそっとしとこ?」「恋愛は自由だもんね」


「ちげーよっ、あたしとこいつはそんなんじゃ!」

 歌葉は椅子を蹴倒す勢いで席を立った。途端、みんなひそひそ話をやめて下を向く。

 例外は綾乃だけだ。餌をねだる犬みたいな熱い期待のまなざしで、歌葉のことを見上げている。


「る……るるーるるー、るーるるーるるー」

 歌葉は物悲しいメロディを口ずさみながら、安息の地を求めて教室の外に旅出った。

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