第2話
夏期講習は続くのさ。
でも林田君は相変わらず現れない。本人が話していた「ややこしい」時期がまだ続いているんやろか。多分そうなんやろう。
そんなある日、道ちゃんが、
「なぁ、凛の、バスケ部の練習見に行こうや」
と私を誘う。
昼休みの食堂。夏期講習が充実しているとは言え、学期内と比べるとやはり人は少ない。
「またぁ?」
私はぶどうこんにゃくをストローで飲みながら言う。
道ちゃんが男バスの練習を見に行きたがるのは、今に始まったことじゃない。
「ええやん、暇やし」
「まぁー、別にええけどさ」
まず、道ちゃんの目的は凛ではない。
一年上の木下先輩がお目当てなのだ。
凛はただの口実。
木下先輩は中等部からバスケ部で、背が高くて、細っそりしてるのに上手くて、県選抜なんかに選ばれたりしてて、学内では有数のイケメンやった。
華麗にレイアップする木下先輩の細身の腕。さらさらの茶がかった髪。
そんな姿に一年下の女バス陣はバッタバッタとやられた(私はやられんかった。ああいういかにもイケメンというタイプは苦手なのだ。ワッハッハ)その中でも道ちゃんは特にやられた。ドが付くタイプやねんなぁ、なんて本人は言うてた。
ほんで中三の時、告白して見事にフラれた。
私と違って道ちゃんのすごいのは、それで諦めへんかったこと。高一の夏に再度告白して、再度フラれた。
それでもまだ諦めてへんのか(二回目にフラれた時、口ではきっぱり諦めたとか言うてたけど)今でもたまに男バスの練習を見に行こうと私を誘うのだ。凛を口実にして。
体育館に行くともわっと熱気がすごくて、体育館は中等部も高等部も共通やから、私も二年前まではここで走ってたんやなぁ、と思うとゾッとした。今じゃどうあがいてもそんなことできひん。
くっそ暑いのに体育館では半面を男バス、半面を女バレが今日も汗を流して練習してた。私達は女バレのクラスメイトに手を振って、二階のギャラリーへ上がる。
凛がコートを走ってる。
汗をたくさんかいて、声を出して。
うちの男バスはもともと全国区の強豪校やった(テニスと言い、うちは地味にスポーツ校)それが私らの二年上の先輩の話。全国大会のベスト8まで行った。でもそこから後が続かず、一年上の先輩は県大会の決勝で負け、全国大会へ行けなかった。木下先輩は確かにすごかったが、他が育ってない。専門誌にはそんなことを書かれたらしい。そして今年、一年上の先輩が抜けた後は、それよりも弱体化すると言われているのだ。
だから凛は頑張っている。
多分そういう言われ方するの、めっちゃ嫌なんやと思う。
「今日、木下先輩おらんやんー」
道ちゃんがぷっくりした唇をツンと尖らせる。
「あ、木下先輩が目当てなこと認めたな」
「別にそういうわけちゃうけどさ」
道ちゃんはスカートやのに胡座をかいて頬杖をつく。
木下先輩は引退しているんやけど、既にスポーツ推薦で大学が決まっているから今でも部活に顔を出す。でもなぜか今日はいない。
「パンツ見えちゃうで」
「見えへんよ」
道ちゃんはちょっとムスッとしてて、私は苦笑いをした。恋って何かあほみたい。
そこで、ギャラリーの反対側にも私達と同じように男バスの練習を見ている女子がいることに気づいた。
あの子は確か、D組の松井さんと浅見さん。
あぁ、そうか。
ちょっと前に噂で聞いたことがある。
松井さんはどうも凛のことが好きらしい。
それで練習を見に来てるんやろう。
凛は意外とモテる。
まぁー、バスケ部で、背も高いし、ちょっとクールな感じに見えるから、モテることにも納得はいく。それで中等部の頃からちょいちょい女の子から告白されてて、そのうち二回は付き合ったんやけど、けっこうすぐに別れた。どうも付き合う前は「クール」で良い感じやったのが付き合うと「愛想がない」に変わってしまうようで、女の子側が辛くなってしまうらしいのだ。それで上手くいかない。私の逆パターンや。
対する松井さんは軽くギャルで、長く茶色い(地毛なんですよぉー、でぎりぎり乗り切れるくらいだが確実に地毛じゃない色)の髪を巻いて、スカートは少し長め。ほんで女子高生ならぬその制服のシャツを張る巨乳。
「松井さんまた来てるね」
道ちゃんが言う。
「人のこと言えないけどね」
道ちゃんが私の脇腹を指で小突く。それで私はきゃってなる。
「まったく、凛のどこがええんやろ」
「はは」
や、道ちゃん、それは凛が可愛そう。
てか私からしたら木下先輩のどこがええんやろとも思う。でも道ちゃんからしたら林田君のどこがええんやろ、という感じなんやろなー。ループアンドループ。ま、いーや。カブったらカブったでいろいろややこしいし。
なんて話してたら凛が私達に気づいて軽く手を挙げる。
私と道ちゃんはそれに手を振る。
すぐに凛はまたボールを追って駆けて行った。
で、はっと気づいたら松井さんが反対側からすっごい顔でこっちを見てた。
明らかに怒ってる。
私はちょっと目が合ったけど逸らしてしまった。すると、松井さんは浅見さんを連れてプイっとギャラリーから出て行ってしまった。
はぁー?
呆気に取られる。
「なーに、アレ」
私はぷーっとしかめ面をする。
「ほっとけほっとけ」
と、道ちゃんは相手にしてない様子。
「あんな態度取られてもねぇ」
「恋は盲目、というやつです」
「バッカみたい」
「祭理ちゃんよー、人のこと言えるんか?」
道ちゃんは私の恋愛遍歴を全て知っている。
「でも道ちゃんにだけは言われたくない」
すると道ちゃんは少し笑って、
「まぁ、でもそんなもんよねー。恋は盲目というより、盲目やから恋なのよ」
少し考えて、
「うーん、それはそうかも」
ギャラリーの窓から風が入ってきて、あ、涼しい。灰色の重たそうなカーテンがなびく。
「帰ろっか」
「うん」
それでその日は帰った。
しかし「盲目やから恋なのよ」とはよく言ったものだ。
スパーンと真理を捉えたような言葉やね。あれ、道ちゃん、その場で考えついたんかなぁ。
なんてことを考える二十二時半。自室のベッドの上。ステレオからは嘘つきバービー。弟から借りたやつだ。けっこう大きな音で。でもちゃんと聞こえるメール着信のバイブ音。
私は布団の海上、携帯に手を伸ばす。
林田君。
あの日から私は、なんやかんや林田君と毎日メールしてる。
特に用事は無いんやけど、朝起きたら『おはよう』なんつって、それで『おやすみ』までひたすらどうでもいい話を、例えば『無印のカレーが美味しかった』とか『宝塚ファミリーランドっていつなくなったんやっけ?』とか『最近の新しいジャニーズの名前が覚えられない』とか『炒飯でオムライス作ってみてん(写真添付)』なんて感じで、それでたまに『おやすみ』が無い夜は次の朝の『おはよう』が『ごめん、寝てた。おはよう』になる。
分かる?
すごくええ感じなのだ。
平たく言うと。
まぁ、でも会ったりはしてへんくて、メールだけ。それに学校をドースルだとか、そういう真面目な話は一切してない。てかできないのだ。少なくとも私からは。
『そういえば、グラウンドの二個手前にあった一軒家が、今日みたら無くなってたよ』
現状報告。これは私。
『あの、お爺さんが一人で住んでた家?』
『そうそう』
『そう言えばあのお爺さん、しばらく見いひんかったなぁ』
『亡くなったんかな?』
『かもなー。けっこう歳いってたもん。俺、たまに話したりしてたで』
『うそやん! 何話すん?』
『や、今日の天気とか。暑いですねぇ、とか寒いですねぇ、とか』
『それで何て?』
『せやなぁーって』
『さすが林田君笑』
『えー、笑うとこかー?』
『笑うとこかは分からんけど、林田君らしいエピソード笑』
『そうかー?』
なんて他愛の無い会話をしてると会いたくなる。
林田君は、私とこんなやり取りをしている今、ちゃんと近くにいるのだ。
詳細な場所は分からんけど、私と中山観音駅との間、このどこかに林田君は確かにいる。数学の問題みたいだ。でもこれは数学ちゃう。いずれにせよサンダルを突っかけて外に出ればすぐに会える距離。しかしそれがモドカシイ。
会いたいなぁ、なんて絶対言えねぇ。そんな変なプライドを持ちつつ今日も私は夏に溶けてく。
そんなある日のことだ。
午前中の夏期講習を終えて早々に家に帰るとお母さんと弟の浮雄がちょうど出かけようとしているところに鉢合わせた。
「あら、あんた帰ってきたん」
お母さんがキョトンとした顔で言う。斜めがけの鞄を下げて、ティーシャツにサンダル履き。その後ろにいる浮雄は全身高校の体操服やった。
「アイルビーバック」
「ちょうど良かった。浮雄、昼から部活やからその前にご飯食べに行くとこやったんよ。あんたも行くやろ」
「うん」
アイルビーバック=また戻ってくる。ってもう帰ってきとるやないかーい、てツッコミを期待していたのにお母さんは見事にスルーした。
「制服、着替える?」
「あー、うん」
それで私は自室に戻る。制服を素早く脱ぎ、床に落ちてた適当なポロシャツとハーフパンツに着替える。
どーせ、またいつもの荒牧のガストなのだ。洒落込む必要はない。
「おまたせー」
私が戻ると、お母さんは煙草を吸っていて、浮雄は座り込んで携帯でゲームをしてた。
「ほな行こか」
それで三人歩き出す。
暑い。
陽射しは刺すようで、今日は何か冷たいやつ、サラダうどんとかそういうのにしよかなー、なんて思って、汗をかいて、会話もなく夏道を歩いた。
言うてる間に荒牧のガストに着く。
中に入ると痛いくらいに冷房がガンガンに効いていて、でも暑さで逆上せ切った私らにはそれがちょうど良かった。
店員さんがやってきて、人数分のお水を置き、
「ご注文がお決まりになりましたら……」
と言うのを食い気味でお母さんが、
「私、サラダうどん」
「僕も」
なんて弟も続く。
なんやー、みんな。「私も」と続く。
サラダうどんの夏。
あとドリンクバーも付けた。
「しっかし暑いわねー」
お母さんは参った顔をしてハンカチで額を拭く。
浮雄は早くも二杯目のドリンクバーを取って帰ってきた。
「いいわねー、浮雄は昼からプールなんて」
「プールって市民プール行くんちゃうねんで、練習やで、何キロも泳ぐんやで」
と、浮雄がお母さんに反論する。
浮雄は水泳部なのだ。一個下で高一。近所の公立高校に通っている。
「ほんでも涼しいやろー?」
「そりゃまぁ。でもめっちゃキツいねんで」
「夏場のプールやったら別にいけるやろー。外走るんちゃうんやから」
これは私。
「いや、姉ちゃん、それは水泳をナメとる」
「そうかぁー」
なんて言うてたら店員さんがサラダうどん三皿を手に現れる。お待たせいたしましたぁ、って、夏休みのバイトっぽい私と同い年くらいの女の子。
サラダうどんは思っていた通りの、期待を裏切らない味で、冷たくて、美味しかった。
「姉ちゃんも一回ちゃんと泳いでみたらええねん」
なんて浮雄はまだ言うてる。
しつこいっての。
あー、はいはい、せやねぇ、なんて言うてると浮雄の向こう、入り口のドアが開く。
あ。
私は心の中で声が出た。
入ってきたのは林田君やった。
それともう一人、少し歳はいっているが綺麗なおばさん。あれは多分、林田君のお母さんだ。私は直感でそう思った。
って、え、こんなとこで唐突に林田君。
私、今サラダうどん食べてるけど。っていうか部屋着同然のポロシャツとハーフパンツやけど。何ならビーサンやけど。って、ええっー。
私は咄嗟に正面に座る浮雄の影に隠れた。
確かに会いたいって思っとったけど、なんで今なんよ。
「トマトもちゃんと食べや」
お母さんがでかい声で言うから私は慌てた。
「食べる。食べるって」
なんて小声で言う。
「何よ祭理、その話し方」
まった、でかい声。せめて実名は伏せてくれ。
バレんとってくれ。
切にそう思った。
けど、あっさりバレた。
店員さんに案内された林田君とお母さんは私たちの席の横を通り、目を合わせないよう私はサラダうどんに視線を落としていたが、林田君が、
「高橋さん?」
なんて声をかけるから、お母さんも浮雄も林田君を見る。
「あー、林田君」
極力今気づいたような話し方。
「偶然やなぁ」
なんて林田君が笑う。
「高校のお友達?」
と、私のお母さん。
「うん」
「娘がいつも仲良くしていただいて……」
「あ、いえいえ、こちらこそ」
林田君のお母さんはそう言って会釈する。近くで見ると顔のパーツが林田君に似ていた。
てか「仲良くしていただいて」って、やめてよー、そういうの。マジで恥ずかしいから。
それで林田君親子は自分の席に行った。
「姉ちゃん、イケメンやん」
「そうかー?」
なんて誤魔化す。
「クラスが同じなん?」
と、これはお母さん。
「いや、違うクラス」
「じゃ何の友達なん?」
「んー、何やろ」
そう言われてみれば確かに、私と林田君は何繋がりの友達なんやろ。考えてみれば共通項なんてなんもない。最低限、同じ学校の同級生ってくらい。やけど毎日連絡を取り合ってる関係。
そうこうしてる間に、サラダうどん完食。
あまり好きではないトマトも全部食べた。
それで食後のコーヒーをドリンクバーに取りに行ったら林田君と鉢合わせた。
「何食べたん?」
「サラダうどん」
だっさい格好をしていることは自覚していたが、もうどうにもならんことを受け入れ、私は逆に堂々と開き直った。
「だけ?」
「うん」
「そかそか」
「こんなとこで会うなんてびっくりしたよー」
「ほんまにな。弟さんはそんなにやけど、お母さんは似てるな」
「えっ、そう? 初めて言われた」
「うん、目元とか」
「そうかなー。林田君も似てるね。お母さんと」
「あー、あれ母親ちゃうねん」
「え、そうなん?」
自信満々のわりに私の直感はしばしば外れる。
「うん、あれは叔母さん。母親の妹やねん。ほら、うち今いろいろと大変やから手伝いに来てくれてて」
「そうなんや」
林田君はメロンソーダを自分のコップに入れた。その時、不意にこの前みんなでガストに行った時のドリンクバーの話をしようかと思ったけど、直前で「あかん」と思ってやめた。
「学校にはまだ来れへんの?」
「うーん。どうなんやろなぁ」
「まぁ、明日からはお盆やから夏期講習もいったん休みになるんやけどね」
「そうなんか。もうお盆か。夏休みに入ってからずっと一人でうだうだしてるから日にちの感覚が分からんくなってるわ。お盆、どっか行くん?」
「別に。なーんも予定ない」
「ほほう。ほな、一日くらいどこか行く?」
驚いた。
メールしてる時から林田君をどっかに誘ってみようか、という気持ちはあったんやけど、まさか林田君の方から誘ってくれるなんて。
「全然ええよ」
なんて私はまた極力自然な回答を心掛ける。
「ほなまた連絡するわ」
なんて言って林田君は自分の席に戻って行った。
私も戻ろうと振り返ると、浮雄が立っていて、にまにまとこちらを見ていた。
「何よ」
「姉ちゃん、青春ってやつか?」
「うるせいやい」
蒸発してまいそうなくらい頬の温度が上がった。
お盆。
夏に行われる日本特有の祖先の霊をまつる行事のことを指すらしい。ほんでお盆休みと言うのはそのようなことをするためのお休みなのだと。
祖先って、私にも確かにいる。
お爺ちゃん、お婆ちゃんはまだ元気やけど、その更にお爺ちゃん、お婆ちゃんになるとさすがにもう亡くなっていて、私は顔すら一度も見たことがなくて、更にそのまたお爺ちゃん、お婆ちゃんとなると、もはや授業で習う歴史上の偉人なんかと同じような存在で、もちろんとっくの昔に亡くなっていて、つまりはそのような長い道のり、私にまで繋がる魂、そういうものをまつるのだと。
でもそもそもまつるって何だ? 具体的に何をどーすればええのか。御墓参りに行けばそれでまつったことになるのか。
となると、うちの家系はお父さんは九州、お母さんは兵庫やけど、西脇って、だいぶ奥の方で、どちらも簡単には帰省できないところのにある。祖先のお墓もそこにあり、今年のお盆は都合が付かずどちらにも帰らないことになっている。
つまり私は今年のお盆、祖先をまつることができないことになる。
なんて話をする八月十三日、十三時半、林田君がこぐ自転車の後ろ。
「俺なんて親の実家両方近いけど、墓参りなんて滅多に行かへんよ。そっちの方がタチが悪いわ」
「なんで行かへんの?」
風の音に負けないように、私はちょっと大きめの声で聞く。
「親父の方は爺さんと親父が仲が悪いからやなぁ。母親の方はー、よく分からんけど」
「へぇ」
今日、メールで約束していた時間通りに林田君はうちに来た。自転車に乗って。それで「観たい映画があんねん」って言うから「ほな今日はそれ見に行こか」ってなって、ほんで今林田君の自転車に二ケツして伊丹のダイアモンドシティを目指しているのだ。なーんか、デートっぽくない?
なんてJーPOPのミュージックビデオみたいな淡い感じで猪名川沿いを走って行ったんやけど、映画館に着いたあたりで何かちゃう感じになってきた。
「え、観たい映画ってこれなん?」
「そうそう。好きやねんよこのシリーズ」
「ほう」
林田君が観たいと言った映画はよく分からんがポスターを見た感じでは、いろいろな車が変形してロボットになって、何やか悪そうな集団と戦う的な、大迫力的な、的なって言うかそのまんまで、いかにも男子な、というか少年なやつで、私は一ミリも興味をそそられへんかった。
しかし林田君の観たい映画でいいと言うてしまっている手前、今更やっぱりあかんとも言えず、しゃあないなぁーと思いながらも、その車ロボットの映画のチケットとジュースを買い、映画館に入る。
映画の内容はポスターから受けた印象と大差なかった。
やはり車が出てきて、ロボットに変形して、変形シーンに対してはガチャガチャっと、シャキーンシャシャシャと、轟音をあげて、すっげぇなと思う部分もあったんやけど、話自体がこれはどうも続編のようで、前の映画での内容を当然分かってるやろ? 的な感じで説明を割愛するから、今作から入った私は見事に出遅れて、それでも最初のうちは付いて行こうと頑張ったんやけど、ぼんぼん知らんキャラ(基本は車。で、変形する)出てくるし、話は意外と複雑やしで、一時間も経たないうちに諦めた。
諦めたら急に楽になって、ぼんぼん吹っ飛ぶビルとかロボットの腕に付けたバズーカ砲が吐く煙とか、スクリーンに映るそう言ったものをほぼ無感情で眺めていた。林田君は隣で興奮気味で、たまに小声で「おっ」とか「あーっ」とか言ってる。多分この人はマジでこの映画を見たかったんやろうな。
で、思い出したのは去年の夏のこと。
当時、私にも彼氏がいた。
夏休みに入ってすぐくらいの頃、二人で映画を観に行った。
私は彼をけっこう好きで、会いたい口実で映画に誘ったのだ。それで塚口に住んでた彼を引っ張り出して梅田まで出た。でも私、会いたい一心で連れ出したんはいいんやけど、何の映画を観るとか全然考えてなくて、チケット売り場前まで行ってそのことに気づいた。
何が観たい? と彼に聞いてもちょっとヤンキーが入ってる悪ぶった彼は「別にぃ」なんて曖昧やし、でもここでアニメとか選んだら子供やと思われるかなぁ、とかバリバリの恋愛系はそれはそれで「あ、そういう女なんや」的な感じになるかなぁ、とかいろいろ考えた挙句、なんとか一つの映画を選んだ。
でもそれが最悪やった。
私は聞いたこともないタイトルの映画やったんやけど、どうも任侠系のやつだったみたいで、髪を巻き上げた着物の熟女が「ナメたらあかんでぇ」なんて言って背中の刺青をチラ見せするようなやつで、明らかに十六のカップルが夏休みに観にくるような映画ではなくて、私はもう、上映中から恥ずかしくて死にたかった。
「ああいうの好きなんや」
映画が終わった後、彼に言われた。
私はもう何も言えなかった。
その彼とはそのまま、夏休みが終わる前に別れた。
あれが去年のことかー。一年経つの早いのー。
なんて考えてたら映画が終わった。悪者はみんなやっつけられたんやろか? それすらも分からんかった。
「や、おもろかったな」
映画館を出ても林田君はまだ興奮気味で話す。
「ああいうの好きなんや」
試しに言ってみた。
「せやねん。昔っから」
「ほほう」
「高橋さんはどんな映画が好きなん?」
「え? 私? 映画かー。あんま見ないねんなー」
「そうなんや」
「だから全然詳しくないねんけど、強いて言うならジブリかな」
「おー! ええやんジブリ。俺も好き。トトロとかめっちゃ見たわー」
「メイちゃーん」
私の数少ないモノマネレパートリーを披露する。
「おもろ。めちゃ似てるやん」
林田君は爆笑した。
これくらいウケてもらえたら気持ちが良い。やった価値がある。
それで時刻は十六時半やった。
小腹が空いた私達はフードコートに移動して、たこ焼きとマクドのポテトとジュースを買って二人で分けた。
林田君はまたメロンソーダを飲んでいた。
「メロンソーダ好きなん?」
「うん。よく気づいたな」
「や、この前も飲んでたから」
「あー、そっか」
「でもベロ緑にならん?」
「なるなる」
「私それが嫌やわー」
「そんなこと気にしてたらメロンソーダなんか飲めへんわ」
それで林田君のベロは案の定すぐに緑になった。
で、ちょいちょい緑の舌を見せてくる。
それがめっちゃおもろくて笑う。
十八時半くらいまでだらだらと話して、自転車で来た道を引き返した。
猪名川沿いを再び。日が長く、まだ明るい。
私は軽く林田君の腰に手を当てて、今日のことを思い出す。
まず映画。んー、映画は今まで観た中でトップ3に入るくらいおもんなかったな。てかタイプが違うな。私の趣味ちゃうかった。あとはー、モノマネしたりとか、いっぱい笑った。
通じて見ると、なんか全然デートっぽくなかったな(別に今日はデートだなんて誰も言うてへんねんけど)友達と遊んでるような感じやった。気、遣わんというか。これは今までの私にはない傾向やった。恋、というか気になるってレベルでも、二人になったりすると、私はけっこう緊張する。ほんで頑張る。で、空回る。
しかし林田君に対してはそんなこと、全然なかった。まるままいつもの私やった。
楽しかった。
家の前で降ろしてくれた時、もしかしたらチューされるかなぁ、なんてちょっと思ったんやけど、もちろんそんなことはなく、バイバイ言うて、未だにメロンソーダで緑に染まった舌を見せて帰って行った。
はは。
てか、ほんまにキスされたら私、どんな顔したんやろ。後になってそんなことを考える。で、そんなことを考えながら久しぶりに湯船に浸かって水中でぶくぶくした。
言うてる間にまた夏期講習が始まるなぁ。
夏休みもそろそろ折り返し地点なのである。
祖先の霊をまつるためのお休みを経て、夏期講習は再開。
私は何人かの友達に「ね、まつった? まつった?」なんて聞いてみたけど、「はぁ?」なんて顔をしかめられるだけやった。どないなっとんの、大日本帝国。
夏期講習が再開したその日に合唱コンクールの練習があった。
久しぶりに「ホール・ニュー・ワールド」を歌う。
初回以来の二回目。けっこう間が空いた。けど初回を良いイメージで終われたこともあり、「まぁ、何とかなるやろ」的な感じで歌い出す。
でも、この日は何度やってもどうにも上手く合わなくて、クラスに動揺が走った。「大丈夫、大丈夫よ。初回のイメージ思い出して」なんてさっこちゃんが言うんやけど、結局この日は最後までぐだぐだで、何ともすっきりしないうちに練習時間が終わった。
私と道ちゃんは練習後、食堂に一服しに行く。
さっきまではみんなと一緒にやっべーなー、なんて言っていたんやけど、食堂の椅子に腰掛けて冷たいパックのりんごこんにゃくを飲み出すと、急に合唱コンクールなんてどうでもいいことのように思えてきた。
別に私ら合唱団ちゃうしな。
やれるだけやろう。
やれるだけ「ホール・ニュー・ワールド」を歌おう。なんて。
「お盆休みは何してたん?」
道ちゃんがパックのコーヒーを飲みながら聞く。道ちゃんはいつも同じコーヒーを飲んでいた。
「や、なんも」
「どこにも行ってないん?」
「うん、特別は」
何となく林田君のことは隠した。
ほんまは言いたかったけど、微妙な時期やし、もう少し秘密にしておきたかった。
「へぇー、引きこもりか」
「うん。道ちゃんは?」
「私はバイトよ。ずっとバイト」
道ちゃんは蛍池の駅前のコンビニでバイトをしている。
「あー、バイトね」
「祭理も引きこもってたんならバイトでもすればよかったのに」
確かに。
そういう発想が全然浮かばなかった。
実際林田君と遊んだ日以外はずっと家にいてテレビを見たり漫画を読んだりと堕落した生活を送っていたのだ。
「あっと言う間ねー、夏休みも」
「ほんまやー」
「十七歳の夏休みよ、これって後々けっこう重要やで」
「え、そうかな?」
「そりゃそうやろ。だって十七の夏っていかにも青春って感じちゃう? 後々、十七の夏は……みたいな、三十くらいになって久しぶりに会ったりした時、絶対そんな話になるよ」
「うーむ、そう言うものか」
三十って言われてもなんか果てしなく遠くてピンとけえへんけど、道ちゃんの言うこともまぁ、確かに分かる気がする。
道ちゃんが教室に携帯忘れたって言うから二人でもう一度校舎に戻る。
そしたら階段の下で下駄箱の方から歩いてきた凛と鉢合わせた。
「おう。久しぶり」
「うん、部活終わり?」
凛は珍しくジャージではなく制服姿やった。
「や、今日は部活はない」
「あ、そう。どしたん? 今日は夏期講習もうないやろ?」
「あー、せやねんけどなぁ」
凛はなんだか歯切れが悪かった。
一緒に階段を上がっていく。
二年の教室に行くともう夏期講習はとっくに終わっていたが、まばらに生徒が残っていた。
「じゃー、俺あっちやから」
と、凛は早々に立ち去ろうとする。
「あっちってA組の方やん。あんたC組やろ」
「ちょっと用事で」
「へぇー」
なんて道ちゃんが意味深な笑みを浮かべるから凛は、
「いや、付いて来なくていいからな」
と掌を突き出して念を押した。
ほんで歩いていく。
「どう思う?」
道ちゃんが私に聞く。悪そうな顔で、にまにましとる。
「どうって、そりゃー」
「怪しいよな」
「見に行く?」
「行こ行こ」
私達はあっさり凛の言い付けを破りA組の方に歩いていく。
高等部の校舎はL字型になっていて、B組からG組までは横一列に並んでるのに、A組だけは角を曲がったところ、少し離れたところにある。
で、ドアの窓からこっそりA組の教室を覗き込むと、案の定、凛ともう一人女の子がいた。二人は前後の椅子に腰掛けて何かを話してる。
「あの女の子、誰?」
と、私。ヒソヒソ声で。
「A組の百井さんよ。外部生の」
「あー、はいはい」
名前に聞き覚えがある。
百井さんは猫みたいな顔をして甘ったるい笑顔を浮かべてる。いかにも、男子という生き物はこういう子が好きなんやろなぁ、という感じの女の子やった。
「凛のやつ、ああいうのがタイプやったんかい」
「バカ。よく見てみ。どう見ても百井さんの方が好きで攻めてるって感じやん」
言われてみれば確かに。
あ、なんかちょっと手とか触っちゃってる。凛のごつごつした手に百井さんの白い手が重なる。
ひゅー。
「でも意外と付き合うかもね、あの二人」
と、道ちゃん。
「え、マジ?」
「いや、分からんけど。何となくよ、何となく」
「何となくね」
私の何となくより、道ちゃんの何となくの方が当たりそうな気がする。何となくやけど。
まぁ、ええんちゃう。それも。
お幸せにー、なんて思いながらA組を後にする。
で、曲がり角を曲がると目の前に松井さんと浅見さんが立っていた。これにはさすがに私達もびっくりした。
気まずくて、何も言わずに黙って横を通り過ぎると、
「ちょっと待ってよ」
なんて松井さんの声に私と道ちゃんは恐る恐る振り返る。
「何?」
松井さんはキッとこちらを睨んでいる。
いや、睨まれても。
浅見さんはその少し後ろにいた。
「何って」
私達は顔を見合わせる。
「凛君と仲良いんやろ」
「まぁ、うん」
と、道ちゃん。
「あの二人、仲良しなん?」
「いや、今日初めて見たからよく知らんねんけど」
「付き合ってんの?」
「だから知らんって」
少し苛立った道ちゃんが強めに言うと、松井さんは堰を切かったかのように泣き出した。
「ちょっとちょっと」
急な展開に私は戸惑った。浅見さんは泣き崩れる松井さんを慰めた。でも松井さんはなかなか泣き止まなかった。綺麗な化粧をぐしょぐしょにして、情けなく鼻水を垂らして。
いつものギャル風で、びっとしてる松井さんからはちょっと想像が付かない顔やった。そんな顔するつもり、おそらく本人もなかったんやろう。盲目。恋は盲目。盲目こそが恋。
さすがに道ちゃんも一緒になって慰める「大丈夫やって。まだ付き合ってるわけではないと思うよ」なんて。私も「そう、そう」なんて言う。それでも松井さんはまだ泣いてた。
でも内心、多分、凛は松井さんのことを好きになることはないんちゃうかなぁ、なんて思った。あくまで何となくやけど。
でも、すごいな松井さん。そんなぐしょぐしょになるくらい凛のこと、好きなんやな。本気で恋してんねんな。
なんか羨ましかった。
頑張るとかじゃないけどさ、電子レンジで温めるんじゃなくて、自然に、置きっ放しのアイスが溶けるように、そんなふうに恋になれれば、なんて、ちょっと十七の夏、それっぽいそれに憧れた。
松井さんはしばらくして泣き止んだ。
それで四人でもう一度食堂に言って、ちょっと話した。
松井さんも浅見さんも中等部から一緒で、お互い面識はあったが、こうやって話をするのは初めてやった。松井さんは話してみると素直ないい子で、「いやー、凛君マジタイプやねん」なんて笑って言うてた。いつも松井さんの陰に隠れているイメージやった浅見さんは、喋ると面白い子で、私達は実に笑った。
こういうことを意外と三十になっても覚えてるんかもしれへんな、なんて思った。
十七の夏。
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