summer girls standard
@hitsuji
第1話
花火、ぱっと開いて、散り散りになって消えていく。末端がきらきらときらめいていて、それがなんとも言えず美しいなぁ、なんて私は思う。
群青色の空に、次から次へと打ち上って。
様々な色、様々な形で。はは。
そんな夏。
私、高橋祭理の十七の夏。
淀川花火大会は関西でも有数の規模の花火大会で、夏休みの初め、道ちゃんと凛と、三人で来ていた。私達は三人、中等部からの仲良しなのである。
夏休みに入ってからもう既に二週間が経つ。でも数日前から夏期講習が始まったので、二人と顔を合わせるのは久々ではなかった。てか何なら昨日も学校で会った。だから懐かしくも何ともない。
でも花火大会というものはどこか特別で、今日は、私も道ちゃんも夏休み前に二人で買いに行った揃いの浴衣を着て、いかにも「私ら、青春を謳歌しとります」ってな感じで、ノリで、着飾っていた。
あ、てか道ちゃん、今日の髪型可愛い。
道ちゃんは夏休みになってから、明るめのブラウンに髪を染めた。校則違反やけどな。今日はそれを頭上で結って、お団子ヘアにしていた。ぷっくりとした唇にグロスを塗って、何やか大人の女って感じ。首筋が細くて綺麗やった。
対して私は黒髪のまんまで、あー、なんだか幼いなぁ、なんて。まぁ、別にええけどさ。私、髪染めるの嫌いやしー。それに浴衣はお互い可愛いしさ。
凛だけがただ一人部活帰りで、男子バスケ部のティーシャツ、スポーツ用のやつで、高校の名前が明朝体でデカデカとプリントされたやつを着ている。下はジャージで。擦り切れた膝下が破れてて、そこから少し、ごつごつとした地肌が見えていた。凛なんて女の子のような名前やけど、彼はレッキとした男の子で、男バスの、ごりごりのスポーツマンなのだ。
で、花火はすごく綺麗で文句なしだったんやけど、帰り道はもう、信じられないくらいに混んでいた。
「だから西中から行けばよかったのに」
と凛はぶつくさ言う。
確かに。
十三から回って橋の上から花火を見ようとしつこく言ったのは道ちゃんやけど、それに便乗した私も少し責任を感じた。
「でも、花火、めっちゃ綺麗に見えたよなぁ」
なんて場を盛り上げようと言ったは言ったんやけど、凛も、十三を推した道ちゃんすらも少し疲れ気味で「そだねー」なんて気の無い返事やった。
人の列はすっかり渋滞していて、電車が来た時だけ少し前に進む。
改札まではまだ遠い。
そんな時、凛が、
「そういえばE組の林田の話聞いた?」
「え」
凛の口から出た意外な名前に私はどきりとする。林田君のくしゃっとした笑顔と天然パーマの髪型が頭の中を駆け抜ける。
「なに、なに」
道ちゃんは行き道でもらった団扇で火照った頬を扇ぎながら聞く。
「あいつ、どうも学校辞めることになるみたいよ」
「は? 何で?」
驚いた。
「ほら、あいつの親父さん、この前捕まったやろ?」
「えっ、マジで?」
驚きの連発。
「ニュースでやってたな。議員の林田義秀やろ? 政治資金を使い込んでたって」
道ちゃんが言う。
林田義秀。
その名前なら私も知ってる。
選挙ポスターで街中に顔写真が貼られてるし、駅前で選挙演説をしているところを見たこともある。頭の良さそうな顔立ちなんやけど、何となく頼りなさげなおじさん。
地元ではちょっとした有名人やった。
「あの人、林田君のお父さんなん?」
「そうやで。有名やん」
「知らんかった」
列が少し進む、けどまたすぐに止まる。誰かの短い溜息が聞こえ、デオドラントの匂いがどこからともなくした。
「でもそれで何で林田君が学校辞めないといけなくなるん?」
道ちゃんが不思議そうに聞いた。
「あいつ、高等部から入ったやん? それがどうも、親父さんが学校にお金払って裏口入学させたっぽいんやって」
「えええ、マジ?」
「うん。例の政治資金問題でいろいろ調べてる中で発覚したらしい」
「何かすごい話ねぇ。誰情報よ、それ」
「男子テニスの奴ら。ほら、林田ってテニ部やろ? それで最近、テニ部の顧問とE組の担任とでそういうゴタゴタのことをいろいろ相談してるらしいんよ。その情報が漏れてる」
「意外と信憑性が高い」
「うん。実際親父さん捕まってるしな。それに林田自身も夏休みに入ってからテニ部の練習にも夏期講習にも来てない」
「うわー。マジなやつやん」
道ちゃんが顔をしかめる。
「しかもメールとかしても全然返ってこないらしいで」
「それ、相当落ち込んでるよ。まぁ、そりゃショックやろうなぁ」
なんて道ちゃんと凛でどんどん話は進んでいく。後半、私は驚きでほとんど発言できなかった。
本当に驚いた。
てか、ショックやった。
え? なんでショックかって?
そりゃ私は林田君のこと、密かにちょっと気になっていたから。
道ちゃんも凛も知らないんやけど。
そもそもの始まりは修学旅行だった。
あれは今年の六月。
三泊四日で北海道に行った。
札幌に函館に旭川、あとどこやっけ、あまり地名を覚えてないけど。あ、ジンギスカン食べたな。あと、ラベンダーソフトクリーム。美味しかった。夜はみんなで恋愛話なんかして。うん、あれは楽しい旅行やった。
二日目に遊覧船に乗った。
今にしても思う。あれはいったいどこから出て、どこの海を渡っていたのか。いやいや、そんなことも分からんってどうなん? はは。まぁ、そんなもんよ。バス移動ばかりで位置感覚が狂っちゃってたのよね。
とりあえず、船上、ずっと遠くの空が灰がかった色で曇っていたことはよく覚えてるんやけど。
あと、林田君。
船。私は道ちゃんと甲板に出て風に当たったり、カモメを見たりしてはじゃいでいた。持ち寄ったお菓子を開けたりして。
でも出航して三十分が経つ頃から船はだんだん揺れ出して、それに比例して道ちゃんもだんたん笑わなくなって、顔色も悪くなってきて、これはさすがにいかんなぁ、と私が声をかけるも、事態は既にもう取り返しのつかないところまで行ってしまっていたようで、
「ごめん、祭理。私吐きそう」
なんて言って、ベンチの上、うずくまってしまった。
でも甲板には同級生達がうろうろしていて、私は素直に「ええっ、ここで?」なんて思って、まず第一に道ちゃんのこれからの高校生活のことを考えた。
高二、女子。こんな人目につくとこでリバースしちゃったら、道ちゃんのハイスクールライフがそのままフィニッシュしてしまう。
それで私は強い使命感を感じて、
「道ちゃん、立てる? トイレまで頑張ろ」
なんて言って肩を貸す。
道ちゃんはさっきまでの笑顔はどこに行ったのやら、弱々しく「うん……」なんて言って私に寄りかかった。その時、私、めっちゃマジな顔してたと思う。多分。
ほんでふらふらと二人、室内に入っていく、きゃぴきゃぴしてる同級生の間を縫って、トイレ、トイレ、とトイレを探し、やっとこさ見つけて個室の中に道ちゃんを入れた。
「背中さすろうか?」
「や、いい。吐く」
そう言って道ちゃんはドアをパタンと閉めて、吐く。私は意外と乗り物には強くて、全然船酔いとかなかったんやけど、人がリバースしている生々しい音声を聞くのはやはり不快で、心なしか胃のあたりがキュッとなった。
しばらくすると道ちゃんが個室から出てきて、
「ありがとう。だいぶ楽になったわ」
なんて真っ青な顔で言う。「いやいやいや、全然楽になってなさそうやん」なんてツッコミ待ちかよ、ていうくらいのひどい顔やった。
「道ちゃん、無理せんときや。座って休んどこ」
「うん。せやな。そうするわ」
なんて言って私に寄りかかる。
結局、道ちゃんはトイレを出てしばらく行った廊下の隅に力なくへなへなと座り込んでしまった。船の隅の方で人影は少なく、私は焦って、「大丈夫? 大丈夫?」なんて言って道ちゃんの背中をさすった。
で、そこに現れたのが林田君だった。
林田君は私達を見ると少し驚いて、
「何? 具合悪いん?」
「あ、そうやねん」
林田君は一人やった。
私は林田君とは同じ文系やけどクラスもずっと違ったから、直接の面識はなくて、テニ部で、なんか上手らしいってこととか、何となくの人となりとかを薄っすら知っているくらいやった。
林田君はしゃがみ込んでぐったりした道ちゃんの顔を覗き込み、そっと額に手を当てた。それで、
「これはあかんな」
なんて真面目な顔で言うから、私も真面目な顔で頷く。
でも内心「え? 今ので何か分かんの?」って思ってたけど。
「顔色悪いな」
「せやねん」
「とりあえずさ、先生とこ連れてくか」
「その方がええよな」
それで林田君は、よし、なんて言って道ちゃんをさっとおぶる。
その動作があまりにも自然で、こういう年頃やから、普段はまぁ、みんな多少なりとも男女の間には照れや恥じらいがあるんやけど、その時の林田君にはそれが一切感じられなかった。私がちょっと目を丸くしていたら、
「てかさ。先生らってどこおるん?」
「中央客室にいるから何かあったらそこにって言うてたけど」
「あ、言うてたか」
「うん」
どうも林田君は先生の話とかちゃんと聞かないタイプのよう。
「悪いけど案内してや。俺トイレ行った帰りに迷ってここまで来てもうたから道がよく分からん」
「あ、うん」
何か可愛い。
それで林田君は私の案内で中央客室まで行くんやけど、その道すがらたくさんの同級生にすれ違った。「どいて、どいてー、緊急外来やぞー」なんて言ってずいずいと進んで行く。同級生は皆、ぎょっとした顔でそれを見ていた。
道ちゃんはぐったりしてるから何も言わんけど、正直、これは恥ずいやろなぁ、なんて思った。誘導する私やって恥ずかしかった。
林田君はちょっと天然というか、変わったところがある。
背も高くて、身体も引き締まってる細マッチョやからスタイルも良くて、顔やって少し童顔やけど悪くはなくて、髪型も、多分何もセットとかしてないんやろうけど、天パで、無造作で何となく良い感じやし、それでなんと言ってもテニス部の同学年の中で一番上手いらしく、わりと強豪校のうちの高校でも一年からメンバー入りしてたらしく、よく知らないがすごいらしいんやけど、そういう変わった一面があるから女子からの人気は特別高くない。そんな男の子やった。
先生のいる中央客室に行くと、先生らは「あー、はいはい、船酔いね」的な感じでドライな応対をするから私はちょっとムッとしたんやけど、よく見ると奥の方のソファに道ちゃんと同じようにぐったりした同級生が何人か横になっていて、道ちゃんだけやなかったんやな、と知ると少し安心した(道ちゃんは後日、この時のことをあまり覚えていなかった。私が「林田君に連れてってもらったんだよー」と教えると、一応隣のクラスまで行ってお礼を言うたみたいやけど)
それで、先生に道ちゃんを引き渡すと、林田君と二人になった。
何となく甲板に出ると潮風が気持ち良くて、遠くの空から微かにカモメの鳴き声が聞こえた。太陽はまだ見えない。
「ジュースでも飲む?」
そう言って林田君は甲板の端にある自動販売機を指差す。
「飲もう」
二人で自販機の前まで行く。
林田君は制服のポケットからぼろぼろの財布を出して、小銭を自販機の中にどんどん押し込んだ。
「ほら、いいよ」
と、なぜか林田君は奢ってくれる様子で、私はそういう好意にはとりあえず甘えようというタイプなので、お礼を言って遠慮なくボタンを押す。
それから林田君も自分の分を買おうとするんやけど、自動販売機の電光表示が示す金額を見ると、ジュースを買うにはどうも十円だけ足りていないようで、それを見た林田君は何やら財布の中をがさごそとあさっていたがダメで、諦めたらしく、
「悪い。十円貸して」
と私を見て言った。
私は財布から十円を出して自動販売機に入れた。
「サンキュー。また返すよ」
そう言ってボタンを押す。ガタン、とジュースが落っこちる音。
「ええよ、別に。てか私、ジュース奢ってもらってるし」
すると林田君は少し不思議そうな顔をして、
「そっか」
なんて言う。
甲板のベンチに腰掛けてジュースを飲む。
私はファンタのグレープで、林田君がカルピスソーダやった。
隣り合っていても少し間を空けた。
恋人じゃないし、むしろ今日初めて話したってくらいの関係やもん。
「高橋さんやんね」
「あっ、名前知ってたんや」
「うん。知ってた」
「あなたは、林田君やろ。テニ部の」
「おぉ、そんなことまで」
林田君は驚いた顔をつくる。
「知ってるよ。テニス部のエースなんやろ」
「あぁー、それはあれやわ。ちょっと前までの話」
「今はちゃうん?」
「うーん。この前の校内戦で矢野に負けちゃったからなぁ。矢野は知ってる? G組の」
「知ってる。中学の時一回同じクラスやった」
矢野君。少し悪そうな顔立ちをしてて、林田君とは逆のタイプの男子だった。
「じゃ高橋さんは中等部からか」
「うん。林田君は高等部からよね」
「そう。お受験組」
お受験組なんて言ってくれてるが、私だってちゃんと中等部に入る時にお受験したんだ。一応塾とか通ってたし。
でも私達の通う中高一貫の学校は、もともとは宝塚の端っこにあるぼのぼのとした学校やったんやけど、私が中二の時に校長が変わって、そこから一気に進学校化が進んだ。いきなり特進コースとか超特進コースとか、もう少しマシなネーミングはなかったんかーい、と思えるクラスができたりして体制が変わり、学校の雰囲気も変わった。
その成果か、ここ一、二年は大学の合格率も上々で、有名私立大学だけでなく、一流国立大学への合格者もちらほら現れ出して、学校の評価・人気もうなぎ登りで、校長も左うちわ。
そんな状況やから多分、高等部から入った外部生達はおそらく私ら内部生の受験時よりもはるかに厳しい受験戦争を勝ち抜いてここにいることになる。
「テニス、悔しかったんちゃうん?」
「え?」
「いや、矢野君に負けて。ずっとエースやったんやろ」
「まぁ、そりゃ多少は」
「多少て、何か情熱が足りんなぁ」
私は素直に頑張って! なんて言うタイプの女ではないのだ。
「あー。それよく言われる。別にそんなことないんやけどな」
「言われるんや」
「うん。そう見えるみたい。高橋さんは部活は?」
「なんも。中学はバスケ部やったけど」
「へぇ、なんで高校ではやらんの?」
「んー、背も伸びひんかったしなぁ。何か練習ついて行けなさそうやし。道ちゃんて、さっきの子も辞めるって言うから」
「はぁ。そういうもんか」
「そういうもんよ。林田君は中学からテニスなん?」
「小学校から」
「すごいね。好きなんやね」
「うん。好き」
なんて林田君は屈託なく笑う。
くしゃっと。
あ、待って。
その笑顔はちょっとヤバいかも。
私はそういう笑顔に滅法弱いのだ。
なんて。
「何?」
林田君が不思議そうな顔で私を覗き込む。
「や、別になんもないよ」
焦る。
私今どんな顔しとったんやろ。
「まぁーしかし北海道は良いね」
急に話が変わった。
「うん」
「修学旅行なんつっても、まだ一年半くらい学校あるんやで」
「せやな」
「何が修学なんやろなぁ」
なんて言って林田君はまたあの笑顔をする。
はは。って私も笑う。
林田君。
それで私はあの日から林田君が気になっている。
これが私と林田君のファーストコンタクト。
で、その林田君が学校を辞める。
しかも裏口入学って。なんて展開。なんて展開や私の青春。
「祭理!」
凛に呼ばれた時、はっとして、あの果てしなかった十三の改札が目の前まで来ていることに気づいた。
雑踏。改札に吸い込まれていく。
私も。
それで三人で阪急電車に乗って帰った。
家に着いたらもう二十二時半で、お風呂から上がったらなぜか二十三時半になっていた。
で、すぐ自分の部屋に寝に行った。
なかなか寝付けなかったけど。
はっきりと言っておきたいんやけど、私は別に惚れっぽい女なわけではない。
や、んー、まぁ、一概にそうも言い切れへんかもしれんけど、いやいやでも、少なくとも次から次に男を追い回すようなタイプではない。断じてない。
ただ、なんかちょっと、「あ、この人ええなぁ」なんて思うタイミングはまぁ、確かにあるのだ。
今回の林田君なんてまさにそうで、「あ、この人ええなぁ」って感じ。
恋って言うか、平たく言うと付き合いたいとかそういうとこまでは行っていなくて、何となく目で追ってしまう、次の授業へ向かう廊下とか下校時の靴箱とか、そんな感じ。だからあの修学旅行の遊覧船以来、実は話すらしていない。
とにかくこれはまだ恋ではない。
しかし恋に発展する可能性は、ある。
経過観察という感じ。
そして、恋をすると私は意外と頑張る。
悪く言うと重たい、らしい。のめり込んでしまうのだ。
中三の時、クラスメイトの男子を好きになって告白して、玉砕した。その時は失意のうちに三日も学校を休んだ。短い期間ではあるが、ちゃんと彼氏がいた時もあった。二度ほど。けっこう好きやった。でもどちらも何だかんだでフラれた。
ふいー。そう考えると私、恋愛関係で上手いこといったこと、ほとんどないなぁ。今回やって林田君、学校辞めちゃうらしいし。
それで八月の頭は、何となく気の抜けた日々になった。でも、そんな私の個人的事情とは無関係に夏期講習は続く。
前述したように進学校化した我が学校、もちろん夏期講習のメニューも充実していた。
何だかんだと一日、二、三時間は授業がある。これじゃ全然夏休みちゃうやーん。と、私は思うんやけど、皆文句も言わず通っているようなので私もそうする。
学校は私の家からだと電車で二駅。生徒の中で、これはかなり近い方やった。遠い人は高槻とか亀岡とか気が遠くなるほど遠くから通っている人もいるのだ。
蝉時雨の中を校舎まで歩いて行く。教室に入ると冷房が涼しくて、生命の息吹、生きた心地がした。道ちゃんが私を見つけて教室の端、手を振ってる。
「おはよ」
「うん、おはよ」
夏期講習は席が充自由なので、道ちゃんの隣に座る。
「眠みー」
私がそう言うと道ちゃんは笑う。
「夏休みやのに全然寝坊できひんな」
「ほんまに。道ちゃん、今日は三限まで?」
「うん。やから十五時まで何してようかなって思ってる」
「え、何? 十五時から何かあるの?」
「何って、今日合唱コンクールの練習日やん」
「え、マジ?」
「マジだよ。忘れてたんかーい」
「すっかり忘れてた。今日か」
「うん」
うちの学校は夏休み明け、九月の頭に文化祭があって、その時、中等部から高等部の三年まで全クラス参加の合唱コンクールがある。
毎年夏休み前に歌う曲を各クラス決めて、夏休み中に音楽室を三、四回予約して練習するのだ。
我が二年F組の合唱曲は「ホール・ニュー・ワールド」アラジンの歌ね。
誰かが強く推したわけではないけど、多数決でこの曲に決まった。男子の中には予想外にロマンチックな曲に決まったことに不平を言う輩もおったけど、私はアラジン好きやったし、綺麗な曲やし、まったく問題なしやった。
ほんで今日がその初回の練習日やったのだ。すっかり忘れてた。
私達は午前中、夏期講習でみっちりしごかれ、昼に一度学校を出て、隣駅まで行ってマクドで昼ごはんを食べ、うだうだと話し、ボーリング場に隣接するゲーセンでUFOキャッチャーをやったり、プリクラを撮ったりと、実に彼氏のいない女子高生同士の友情、といった感じの昼下がりを過ごしたあと再び学校に戻った。
音楽室に行くと、意外にもクラスの大多数が来ていた。選曲に文句を言っていた男子達も来ていて、過去の経験の中でもこんなに集まるのは珍しい。危ねー、忘れて帰ってたらヒンシュクを買うところやった。
「ほな、男女に分かれて立ってー」
と、学級委員のさっこちゃんの呼びかけで音楽室の左右に男女がさっと割れる。
それで一気に合唱っぽくなって、私はあぁ、またこの季節がやってきたんやなぁ、何てちょっと俯瞰した感想を抱く。
その午後はひたすら「ホール・ニュー・ワールド」を歌った。
歌い過ぎて最後の方は最早良いんか悪いんかよく分からんくなってたけど、とりあえず初回の練習としては上手くまとまったよなぁ、というのが大多数の感想で、夏休みの宿題を盆前に大半終わらせてしまったかのような、何となく合唱コンクールへの心持ちも軽くなって、初回の練習が終わっただけやのに打ち上げでもしよかー、なんて盛り上がってみんなで音楽室を後にした。
けっきょく練習に参加してた半分くらいの人数で池田駅近くのガストに行く。
人数が多いからやっぱり何卓かのテーブルに分かれて、けっきょくはいつもの仲良しグループで固まってそれぞれ話してたんやけど、途中から男子たちがドリンクバーのジュースを混ぜ始めて、明らかに不味そうな色したその飲み物達を飲み比べて、「まっずぅー」なんてやってるから、何となく他のテーブルもそれ見て笑って、「そりゃそうやろー」なんて、そうすると、「お前らも飲んでみろよー」「えっ、やだよ」「いいからいいから、ほら」「えー、まっずぅー、よくこんなん飲むわ」(顔をしかめる)「ははは。ええリアクション」「ははは」なんて妙なクラスの一体感が生まれてた。
私も飲まされた。私が飲んだのはメロンソーダ+コーラ+緑茶で不味かったけど、道ちゃんが飲まされたオレンジジュース+ジンジャーエール+コーヒーよりはマシやな、と思った。
コーヒーはあかんわ。
店員さんに怒られるかなぁ、と思ったけど、ちゃんと全部飲み干したら何も言われなかった。
そんな調子でその夜はめっちゃ笑った。
池田駅で梅田方面組と宝塚方面組とで左右のホームに分かれて手を振る。阪急電車に乗って真っ暗な猪名川と阪神高速を越えるまではわぁきゃあ言ってたんやけど、偶然にも私以外はみんな川西能勢口で降り行って、いきなり一人になった。
中山観音に着いて電車を降りると生温い夏の夜が空から落ちてくる。
二十時。
冷房のいい感じが身体に残ってるのは、長く見積ってもあと二分ってところやろう。家までは歩いて二十分。ほんまはいつもは自転車で駅まで来ているんやけど、最近は調子が悪く、今朝も出しなにチェーンが外れて、直すのが面倒でそのまま歩いてきた。
溜息をついて改札を抜けると、ロータリー横のファミリーマートの方から歩いてきた林田君と鉢合わせた。
「あ」
私は驚きで目を見開いた。
「お」
それで林田君も少なからず驚いていた。
林田君はスヌーピーの絵がプリントされた白色のティーシャツと色の薄いジーパン生地の半ズボンにサンダルという格好やった。
「久しぶりね」
「うん」
「修学旅行以来?」
「廊下でちょくちょくすれ違ってるやろ」
あ、気づいてたんや。
私のことなんて見てないんやと思ってた。
「そやね」
なんて自然なフリで言う。
「夜でも今日は暑っついなぁ」
「うん。てか林田君、家中山やったん?」
「せやで。荒牧中の方」
「伊丹なんや。私と同じやん」
「マジで。知らんかった」
私も。意外とご近所さんやったんや。
それで私はちょっと嬉しくなって、
「ほんなら送ってくださいまし」
なんて調子に乗る。
林田君は少し苦笑いを浮かべたけど、
「ええよ」
と言ってゆっくり歩き出す。
少し先を行く林田君の背中は近くで見ると思っていたより大きかった。
その上に天パの頭がちょこんと乗ってる。
もっと上には少しやけど星が。
中途半端な欠け方の月が。
それで何も話さずにしばらく歩いた。
でも全然気まずくはなかった。むしろ今の、沈黙の、この感じが愛おしかった。
共通の話題なんて特に無い。
それでも何か話せばええのに、昨日のテレビの話やとか、あのアイドル歌手が「俺、視力は両目とも3・0なんすよ」なんて言ってたけど、あれほんまなんかなぁ? とかさ、中山駅がいつから中山観音駅になったかとか、むしろスヌーピーの話でも、なんでもええのに、そんなこと言おうと思えば簡単に言えるのに、言わなかった。
笑顔がこぼれそう。
ええ夜やなぁ、なんて詩人みたいなことを思ってた。
「毎日暇やなぁー」
なんて、その愛しい沈黙を破ったのは林田君やった。
「毎日何してんの?」
「別になんも。さっきもコンビニでジャンプ立ち読みしてただけやし。学校も部活も行けへんからさぁ」
そこで私ははっとした。
そういえば林田君はお父さんが捕まって、裏口入学が判明して、学校を辞めなければならないって話やった。ずっと気にしてたくせに、いざ本人を前にして忘れてしまうなんて。
「あの噂はほんまなん?」
「うん?」
「学校辞めるって」
林田君はちょっと笑って、
「やっぱもうけっこう広まってる?」
「どうなんやろ。分からんけど」
「そっか。うん、多分学校は辞めることになると思うー」
「そうなんや」
笑ってるけど、林田君の顔はやっぱりどこか寂しそうやった。私はその顔とさっきの楽しそうなクラスメイト達の顔を比べてしまう。
夜が、一気に暗くなった気がした。
「みんな心配してると思うよ」
「うん」
「連絡全然返してないらしいやん」
「そんなことまで広まってんのか」
林田君は少し笑ったけど、私は笑わない。
「心配させる気は無かったんやけど」
JRの線路を超える。暗く、犬を散歩している親子連れとすれ違った。
「ただ、なんかみんな連絡が重くってな、この世の終わりかってくらいに重いねん。分かる?」
「いや、あんまり分からん」
「みんなだいたい、お前、大丈夫か? とか、死ぬなよ、とか、そんな感じで、俺別にそこまで悩んでないんやけどなぁ。そのテンションの差がすごすぎてさ、申し訳ないとは思ってたけど返事を返せずにいてん」
「ふーん。まぁ、とりあえず思ってたより元気そうで良かったわ」
「そう」
「もう学校には来ないん?」
「分からん。とりあえず今はいろいろややこしいらしい」
「来てよ」
「いや、俺やって行きたいわ」
そんなことを言っている間に私の家に着いた。
「一軒家やねんな」
「うん。林田君の家も一軒家ちゃうん?」
「うちはマンションやで」
「へぇ」
意外やった。議員さんの家なんて、ものすごい豪邸のイメージやったから。
「何人家族なん?」
「五人。お姉ちゃんと弟、と両親。お姉ちゃんはもう出てったけどね」
「大学?」
「うん。大阪やけどだいぶ南の方なんよ」
「そっか」
「林田君は、兄弟は?」
「弟が一人おるよ」
「あー、ぽいわ」
「ぽいって何やねん」
「いや、弟おりそうな顔してる」
「そうか」
そう言って林田君はそろそろ帰ろうとするから、
「ね、番号」
「え?」
「携帯の番号教えてや」
「あぁ、うん」
「ちゃんと返事してくれな嫌やで」
「分かってるよ」
「何も気遣わんくてええからさ」
「うん」
それでお互い携帯を取り出して番号を交換する。
「林田君の家はもっと先?」
「や、ちょっと戻る」
「わー、ごめんな」
「いやいや」
「ありがとう」
「こちらこそ」
そう言って林田君は帰って行った。
見えなくなるまで、私はその背中を見てた。
林田君が振り返って、私が見ているのがバレたら恥ずかしいから、ちょっと隠れて。でも、心のどっかで振り返ってほしいな、という気持ちもあった。
お風呂から上がった後、林田君にメールをした。
『送ってくれてありがとう』
『どういたしまして』
それだけ。
でもちゃんと返ってきた。
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