七海と怪しいリフォーム会社

 真琴は七海の正面に立つと、よろしくお願いしますと言って深々と頭を下げた。

 

「と言う訳だ。従兄の僕からも真琴を頼みます」


 続いて恵比寿青年が頭を下げるのを見て、七海は驚きの声をあげる。


「えっ、真琴ちゃん本当にイイの? この家は駅から遠くて、カエルや蝉の声がうるさいだけの田舎だよ」

「七海 ねーねったら可笑しい。私が住んでいた南の島は、電車は通ってないし雑誌は五日遅れで届くド田舎だよ」


 真琴は玄関前に立ち尽くす七海に駆け寄ると、両手をぎゅっと握りながら顔をのぞき込み小首をかしげる。

 超絶美少女にきらめく瞳で見つめられたら、お願いを拒むことは出来ない。

 七海はこくんと頷いて、同居を許可するしかなかった。

(アイドルの片鱗を感じる握手。これが歌と踊りの芸能の神、弁財天のパワーなの?)

 真琴に手を引かれて家に入ると、廊下に大きなダンボールが四箱置かれている。


「これは恵比寿さんに頼んだお土産ね。飛行機の出発時間が早すぎて、お土産を買う時間が無かったの」

「さすが九州、あちらでは最高の買い物が出来ました。以前から欲しかった原木干し椎茸や切り干し大根や特撰八女茶、国産の無農薬押し麦もあります」

「ちょっと待って恵比寿さん。九州土産っていったら、地元特産和牛とか海産物とか果物じゃないの?」

「だからこれは生産地域でしか手に入らない、貴重な一級品焼き海苔と佐賀のヒジキです」


 いくら恵比寿青年が料理好きだからって、切り干し大根とか海苔とかヒジキなんて近所のスーパーで買えるのに、お土産に乾物を買い占めてくるとは思わなかった。

 そもそもジャンクフード舌の七海には、海外産と宮崎産の干し椎茸の違いが分からない。


「私はお肉にしようって言ったのに、兄(にーに)ったら全然言うこと聞かないの。でも大丈夫、太宰府天満宮のお土産を多めに買ったから、七海 姉(ねーね)に分けてあげる」

「真琴ちゃん、私、太宰府は観光してないけど……まぁいいか」


 願いを叶えた恵比寿青年は、この家には来ないと思っていた。

 七海はついさっきまでひとり暮らしに戻る寂しさを噛みしめていたけど、家には明かりがついて、恵比寿青年は相変わらず小さいおじさんと従妹しか目になくて、真琴は甘えるように七海の腕にしがみついている。

 七海は目に涙が潤んで、ツンと鼻の奥が痛くなる。

 そんな彼女を、小さいおじさんがチラチラと見ていた。

 

「私、にーにに習って手巻き寿司を作ったから、沢山食べてね」

「ありがとう真琴ちゃん。手巻き寿司って久しぶり」


 仏間の座卓には、数種類の手巻き寿司の具材が並んでいた。

 七海はどうして手巻き寿司だろうと思いながら、カニカマとキュウリとサーモンを海苔に巻いて一口食べる。


「この手巻き寿司、モグモグ、なんだろういつもと違う。次は卵焼きとイカと大葉を巻いて、うわっ、とても美味しい」

「七海 ねーね、手巻き寿司の具材は冷蔵庫にある物で、お米も普通に炊いただけだよ」

「これは真琴ちゃんの愛情入り手巻き寿司なのね。だから今まで食べたどんな手巻き寿司より美味しい!!」


 モリモリ食べる七海と嬉しそうな真琴を横目に、恵比寿青年は縁側に座り月見をする小さいおじさんに九州の地酒と酒のつまみを持ってきた。


「のう恵比寿よ、あの手巻き寿司の美味しさの種明かしをしてくれ」

「大黒天様、そんなの簡単です。スーパーの激安焼き海苔しか食べたことのない天願さんが、地元でしか手に入らない一級品焼き海苔で作った手巻き寿司に感動しただけです」


 これなら七海と真琴の同居はうまくいきそうだと、恵比寿青年は胸をなで下ろす。


「大黒天様も、どうか真琴をよろしくお願いします」

「弁財天のことならワシに任しておけ。恵比寿よ、そんなに娘が心配なら、お前もこの家に住めばいい」

「何をおっしゃいます、大黒天様。僕は真琴のことが心配で、天願さんの心配はしていません」

「大黒天のワシと、弁財天と恵比寿天の三人がいれば、娘の運も少しは良くなるだろう」

「天願さんの運が好転すれば、大黒天様は僕の所へいらしてくださいますか?」


 そんなふたりを、七海と真琴は手巻き寿司を食べながらチラチラと盗み見ていた。


「うわぁ、桂一 にーにが、大黒天様をかいがいしくお世話している」

「恵比寿さんはいつも小さいおじさんとイチャイチャして、小さいおじさんを譲らない私には真逆の態度なの」


 七海の言葉に真琴は首をかしげる。

 恵比寿天の加護を受ける従兄は、誰に対しても優しい聖人君主で、常に穏やかな微笑みを浮かべている。

 なのに七海に対しては、まるで普通の人間のように露骨に感情を見せた。


「桂一 にーには身長が高くてハンサムで大きい会社の若社長で、ついでに料理上手なセレブだけど、七海 ねーねはなんとも思わないの?」

「うん、小さいおじさんにあれだけ尽くせて偉いなぁって思うよ。真琴ちゃんも、素敵なお兄さんを持ったね」

「ちがう七海 ねーね、私が聞きたいのはそんなことじゃないの」


 真琴の目には、七海と恵比寿青年はお互い気になる存在なのに、激しくすれ違っているように見える。

 月光で照らされた庭が陰り、雨戸を開け放った縁側から肌寒い風が部屋の中に流れ込んできた。


「なんだ、月が雲に隠れてしまったのぉ」


 小さいおじさんはポツリと呟いた。

 

 ***


 夜十一時を回り、恵比寿青年は帰り際までしきりと心配をした。


「申し訳ありません大黒天様。今回の騒動で仕事を後回しにしたので、朝こちらへ伺う時間が作れません。朝食は台所のテーブルにフランスパンバケットと、冷蔵庫にスープとサラダを準備しました」

「小さいおじさんと真琴ちゃんのことは、私に任せてよ」


 無理矢理時間を作って九州に行った恵比寿青年は、しばらく仕事に追われそうだ。

 七海とは恵比寿青年を見送ったあと、雨戸を閉めて家の戸締りをする。


「恵比寿さんの買った新品のお布団セットがあるから、真琴ちゃんは仏間の隣の和室で寝てね」

「ワシも弁財天と一緒に寝たいのぉ」

「小さいおじさんは、仏間の座布団で寝ること。真琴ちゃんのお布団に潜り込んだら頭グリグリするから。それじゃあ二人ともお休みなさい」


 七海は布団に寝転がってスマホのゲームをしている真琴と、テレビのスポーツニュースに釘付けの小さいおじさんに挨拶をして、二階の自分の部屋に戻る。

 最近階段のきしむ音が大きくなってきたのと、ドアが歪んで開けにくい。


「昭和の古い建物だから、色々とガタが来るよね」


 十月に入って薄着では肌寒いので、隣の部屋の押し入れから厚めの生地の服を引っ張り出して着替えるとベッドに入った。

 なんだか布団がじめじめしている。

 明日晴れたら布団干したいけど、仕事が忙しくて日が沈むまでに家に帰れない。

 七海はうつらうつらと取り留めも無いことを考えながら寝入った。




 まだ深夜、時間は午前四時二十五分。

 その異変に気づいた七海は暗闇の中、手元に置いたスマホのライトをつける。

(布団が湿っている。また私、布団の上にコーヒーこぼした?)

 寝ぼけながら触れた布団の表面はじっとりと濡れて、その手の甲に突然水滴が垂れてきた。


「ひゃっ、冷たい!! えっ、何で水が落ちてくるの」


 一瞬で目が覚めた七海はベットから飛び起きると、慌てて部屋の電気をつける。

 ポタン、ポタン。

 七海のベットの真上、天井に茶色い大きなシミが出来て、そこから冷たい水が落ちてきた。

 掛け布団はぐっしょり濡れて、枕も敷き布団も湿っぽい。


「天井裏に水道管は無いし、まさかこれって雨漏り」


 耳をすませば、窓の外からザアザアと雨音が聞こえる。

 七海は急いで風呂場からバケツを持ってくると、雨漏りのする場所に置いた。

 

「旅行先からバイトに直行して、やっと家でゆっくり寝られると思ったらベッドの真上が雨漏りなんて……ひどい、辛すぎる」


 七海はしばらくポツンポツンと垂れる雨水を眺めていたが、大きくため息をつくと部屋を出て一階に降りて、仏間の座布団で寝ている小さいおじさんの隣で薄いタオルケット二枚に包まって眠る。


「大黒天様、おはようござい……七海 ねーねーどうしてここで寝ているの?」

「むにゅむにゅ、真琴ちゃん今何時? まだ六時、あと一時間寝かせて」


 七海に声をかけた真琴は朝七時に家を出て、そして二度寝した七海が目を覚ますと、時計の針は八時二十分を示していた。


「えっ、もうこんな時間!! お風呂入る暇ないし、小さいおじさんの朝ご飯もまだだ」

「娘よ、やっと起きたか。ワシは弁財天と一緒に早起きしてご飯も食べたぞ」

「顔を洗って服を着替えて化粧をして、旅行でお金使って財布の中空っぽだから、途中コンビニのATMに寄らなくちゃ」


 遅刻寸前で慌ただしく家を飛び出した七海は、忙しさに追われて二階の雨漏りをすっかり忘れてしまう。

 その日のスケジュールは昼間ディスカウントストアのバイト、夜は居酒屋バイトに直行して、自宅に帰る頃には日付も変わっていた。

 

「ただいまぁ、真琴ちゃん留守番ありがとう。今日は居酒屋団体さんが入って、とても忙しかったよ」


 深夜十二過ぎて帰宅した七海を、眠たそうな目をした真琴が迎える。


「おかえりなさい七海 ねーね。今日の夕御飯はホットパイのクラムチャウダーで、とても美味しかった」

「おおっ、ワシもクラムチャウダーが食べたい。恵比寿の作るクラムチャウダーは味が濃厚でとても旨いのだ。居酒屋はゆっくり食事が出来ないから、味がよく分からん」


 七海は小さいおじさんを居酒屋バイトに連れて行くけど、仕事中が忙しくてほったらかし状態だった。

 小さいおじさんは、夜は真琴と一緒に家で留守番した方が良いかもしれない。

 それから七海は真琴とおしゃべりをしながら、クラムチャウダーを温めて小さいおじさんに食べさせる。

 今日も一日忙しくて疲れた、早くベッドで寝たい。

(あれ、なんだろう、とても大切なことを忘れているような。)

 

「あーーっ、天井の雨漏り!!」


 七海は慌てて階段を駆け上がり部屋へ飛び込むと、ベッドの上に置いたバケツの中に五センチぐらい水が溜まっていた。


「ベッドの場所を移動したいけど、夜中から部屋の模様替えするわけにはいかないし、今日も一階で寝るしかないか」


 七海はため息をつきながら、着替えようと椅子の背にかけたパジャマに手を伸ばす。


「うわっ、パジャマがぐっしょり濡れて、まさかここも雨漏りしているの?」

 

 驚いて天井を見上げると、濡れて変色した場所が二カ所あった。 

 今夜は晴れているが、明日明後日の天気は雨の予報だ。


「急いで屋根を直さないと、雨漏り箇所がどんどん増える。でも雨漏りの修理代金っていくらだろう?」


 あんずさんが時々家の修理をお願いしていた職人さんは、数年前に引退したと聞いた。

 七海は憂うつな気持ちになりながら、リフォーム会社をネットで検索する。


「やっと運が良くなったと思ったのに、またトラブルが起こった。私ってまるで貧乏神に好かれているみたい」


 七海は夜中からネット検索でリフォーム業者を探し、テレビでひんぱんにCMの流れるリフォーム会社にメールを送った。

 気がつくと、時計は午前三時を回っている。

 七海は階段のきしむ音を気にしながら一階に降りて、仏間で寝る小さいおじさんの隣で横になった。

 堅い畳の上で雑魚寝は体は冷えるし、数日前の高級温泉旅館のベッドが懐かしい。

 それでも七海はなかなか寝付けず、三時間後には真琴が起きる。

 二日連続寝不足気味の七海に、朝から元気いっぱいの真琴が話しかけた。


「おはよう七海 ねーね、今日は午後から喉の検査で病院受診があって、桂一 にーにが付き添ってくれるの。土日は中野のおばさんの家に戻ります」

「真琴ちゃんの喉はもう大丈夫だよ。お医者さんからお墨付きがもらえるといいね」


 七海は真琴に雨漏りの件を話そうとして、思い留まる。

 あんずさんから受け継いだこの家は、自分が責任を持って守ってゆかなくてはいけない。

 居候の真琴に心配かけないように、さっさと雨漏りを直してしまわなくては。




 そして昼間、七海のスマホにリフォーム業者からメールが入り、夕方にはリフォーム会社の営業マンと近所の喫茶店で待ち合わせる。

 高そうなダブルのスーツに派手な柄の紫のネクタイ、先のとがった革靴を履き、髪をオールバックで固めたリフォーム会社営業の男性は、分厚いパンフレットをめくりながら早口で説明をはじめた。


「天願様、ご連絡ありがとうございます。リフォームを検討したいと言うことで、先ほどご自宅を一通り撮影してきました。築五〇年以上経過した建物で、内部もかなり老朽化しているでしょう」

「えっと、お願いしたいのは室内リフォームではなく、雨漏り修繕です」


 リフォーム会社営業はしきりに家の古さを強調するが、あんずさんとの思い出が詰まっている家の雨漏り以外直す予定は無い。

 しかしリフォーム会社営業は大げさに肩をすくめると、手元のタブレットに撮影してきた七海の家を映し出す。

 

「写真から判断すると、ご自宅の屋根はかなり劣化が進行しています。出来るだけ早く修繕する必要がありますし、壁板の亀裂から雨漏りが発生することもあるので、是非外壁修繕もおすすめします」

「あのう、屋根に上がって雨漏りの確認はしないのですか?」

「我々はリフォームのプロです、外から見れば家の劣化具合がよく分かります。天願様のご自宅は大変危険な状態です」


 七海はそれから二時間近くリフォーム会社営業の説明を聞かされ、グッタリと疲れた状態で喫茶店を出る。


 渡された修繕見積もりを見た七海は、大きなため息をついた。


「はあぁ~っ、天井の雨漏りの原因は瓦屋根の劣化破損で、屋根の張り替えと外壁塗装をする必要があるなんて思わなかった」


 屋根の修繕見積書には、数字が七桁も並んでいる。


「今、貯金はゼロだけど、屋根の雨漏りは早く直さないといけないし……」


 リフォーム会社営業マンから渡されたパンフレットに、リフォームローンのチラシが挟まっていて、少し前の七海なら何も考えずにローン支払いを選んだだろう。


「もう借金なんてしたくないし……お金が欲しいなら稼がなくちゃ。今より給料のいい仕事を探す? でもディスカウントストアは店長の奥さんに子供が生まれるまでは辞められないし、居酒屋バイトはまかない付きだし」

「あの喫茶店のスパゲティミートソースはなかなか旨かった。しかし娘は今でもダブルワークで、とても忙しいではないか」


 七海がリフォーム会社営業の説明を聞いている間、小さいおじさんは大人しく食事をしていた。

 もちろんリフォーム会社営業には小さいおじさんの姿が見えないので、注文した食事が冷めるまで(小さいおじさんが食べ終わるまで)手をつけない七海を、相手はとても不思議がった。


「一緒に住む真琴ちゃんの家賃が入って金銭的に楽になったと思ったら、このタイミングで雨漏りが発生するなんて。お金が右から左へ逃げるみたい」

「娘よ、この件は恵比寿に相談した方がいいぞ」

「えっ、どうして。二階の私の部屋が雨漏りしているだけで、真琴ちゃんの住む一階は雨漏りの心配は無いよ」


 リフォーム会社の営業は見るからに怪しげで、家の修繕に関して全く知識の無い七海が自己判断するのは危険だ。

 しかし小さいおじさんの意見を、七海は別の意味で捉えた。


「そうだね、リボ払いの件で恵比寿さんには散々怒られたし、屋根の修繕費の頭金は自分で作るよ。やっぱり仕事を増やして稼ぐしかない」


 リフォーム会社は、最初に頭金を三十万円用意して欲しいと言われた。

 七海はスマホをタップして、求人情報をチェックする。


「ねぇ小さいおじさん、駅前のビジネスホテルが週四日・午前五時から八時まで、モーニングの調理補助スタッフ募集している。仕事内容は居酒屋バイトと似ているし、これに応募しよう」

「まさか娘よ、これ以上働くつもりか? 三カ所で働くなんて無理だ、体を壊しては元も子もない」

「高校生の頃バレー部朝練で五時起きだったから、似たようなモノよ」

「娘が高校生の時と比べたら、若さが全然違うではないか」

「真琴ちゃんの家賃と朝のバイト代を貯めれば、屋根修繕代の頭金が捻出できる」


 思い込んだら一直線、猪突猛進な正確の七海には、小さいおじさんの言葉も耳に入らない。


「朝五時バイトが終わったら朝九時ディスカウントストアのバイトに直行して、仕事が終わったら少し仮眠して夜八時の居酒屋バイトに行ける。睡眠も四時間確保できるから大丈夫」


 この時運の悪いことに、真琴も恵比寿青年も東京に戻っていて、七海の行動を止められる者はいなかった。



 ***



 翌日、早朝バイト面接に出かけた七海の前に現れたのは、頬がこけるほど痩せて目の下に黒々とクマの浮き出てたレストランマネージャーだった。


「天願七海さん、早朝アルバイト即採用です。それじゃあ明日から、早朝シフト五時から八時、週六日勤務、火曜休みでお願いします」

「えっ、私の希望は週三日で……」

「いやぁ、本当に助かった。店が忙しすぎて僕は先々週から十連勤で、やっと休みが取れる」

「私、昼は別の仕事をしているので、バイトは週四日になりませんか」

「それならせめて追加のアルバイトが決まるまで、ひと月ほど週六日勤務を引き受けてくれないか。僕は朝は家族が寝ている時間に出勤して、帰宅も夜十時過ぎで、この間三才の娘に「おじさんまた来てね」っていわれたんだ」


 バイトを募集しても集まらず猫でも犬でも手も借りたいところだったと、マネージャーは七海に泣きついた。

 お人好しすぎる七海は、終電前に家に帰れると喜ぶマネージャーを見て、週六日勤務を拒むことが出来ない。

 面接を終えた七海は、素早くスマホの電卓アプリを起動して計算する。


「追加のバイトの人が来るまでだから大丈夫。週六日四時間、月一〇〇時間バイトで給料は……これなら雨漏り修理の頭金がすぐ貯まる」


 思わずガッツポーズをする七海に、小さいおじさんはため息をつく。


「この店はただでさえ人手不足で忙しいのに、娘が手伝ったら大変なことになるぞ」

「えっ、小さいおじさん、それってどういうこと?」

「ワシは大黒天、商売繁盛の神だ」


 翌日から七海は、駅前ビジネスホテルのレストランスタッフとして働き始めた七海は、小さいおじさんの言うことがやっと理解できた。


「モーニングのメニューが和食・洋食・中華・インド・イタリアって、ちょっと凝り過ぎだよ。これじゃあ店が忙しいのも分かる」


 バイキング形式のモーニングは、料理を事前に準備する必要がある。

 しかもこだわり気質のコック長のせいで、店手作りの白パンに自家製パスタ、カレーに付くナンも自家製で、調理補助の七海は厨房でひたすら小麦粉をこね続けた。

 さらに小さいおじさんの予言が当たる。

 隣駅の大型ホテルが大規模修繕のためひと月休館となり、客が駅前ビジネスホテルに押し寄せてホテルは満席、レストランを利用するモーニング客も増えた。


「小さいおじさんのご利益、勘弁して。朝から忙しさMAXで、私の体力が持たない」

「だからワシは、無理に働くのはやめろと言ったのだ」


 早朝バイトを始めて一週間、痩せこけたマネージャーの目の下のクマが薄くなる代わりに、七海の目の下にクマが現れた。 

 ひたすら小麦粉をこねて体力を消耗した七海は、コンビニでエナジードリンクを買って一気飲みする。


「これからディスカウントストアのバイトがあるから、気合いを入れなくちゃ。昼休みの一時間仮眠すれば体力も回復する」


 そう呟いた七海のポケットの中で、小さいおじさんは大きなあくびをする。

 小さいおじさんは朝五時前に叩き起こされて、七海の早朝バイトに付き合わされているのだ。

 それに朝は真琴と顔を合わすことが出来ず、夜も居酒屋バイトで帰宅が深夜十二時を回っている。


「私に付き合って、小さいおじさんも退屈だよね。夜は真琴ちゃんと一緒に家で留守番したほうがいいかも」


 恵比寿青年は仕事の都合で夜しか来ないし、そろそろ同居人の真琴に早朝バイトの話をする必要があった。


「真琴ちゃんに学校帰りお店に寄ってもらうから、小さいおじさんは真琴ちゃんと一緒に家に帰ってね」

「ワシは娘が心配だから、居酒屋バイトに行きたい」

「居酒屋まかないと同じぐらい恵比寿さんの作る夕御飯は美味しいし、私より若くて可愛い真琴ちゃんの方が、一緒に居て楽しいでしょ」


 小さいおじさんがどれほど心配しても、七海は全く取り合わない。

 その後、メールで連絡を受けた真琴は学校帰りにディスカウントストアに寄ると、七海がWワークしている話を聞いた。


「真琴ちゃん、小さいおじさんを宜しくね。それとWワークの事、恵比寿さんには内緒にして」

「七海 ねーね、いくら体力だけは自信あるからって、朝五時から深夜十二時まで十六時間勤務なんて働きすぎだよ。私から にーにには言わないけど、きっとすぐバレて怒られる」

「恵比寿さんは小さいおじさんとイチャイチャ出来るチャンスだし、私に興味なんて無いよ」


 七海から真琴に手渡された小さいおじさんは、心配そうにしている。


「のう娘よ、ワシがいなくてもちゃんと食事を取ってくれ。昼もおにぎり一個とゆで卵しか食べてないぞ」

「うーん、仕事中は眠くなるから、ご飯は後で食べる」

「七海 ねーね、仕事の後に食事するって、それじゃあ夜中十二時過ぎになっちゃう」


 ズボラで美味しいモノ好きな七海が、まるで人が変わったように食事もとらずに働く。


「大黒天様、七海 ねーねの様子が変だよ」

「弁財天よ、『忙しい』という漢字は『心を亡くす』と書く。今の娘はその状態だ」


 真琴と家に帰ってきた小さいおじさんは、しょんぼりと背中を丸め、仏壇に向かって話しかける。

 

「あんずさんよ、ワシが何を言っても娘は話を聞いてくれない。どうやったら娘の心を取り戻せる?」

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