弁財天の魂(マブイ)2

 弁財天の声を取り戻した真琴を、恵比寿青年は力一杯抱きしめる。


「本当に良かった、真琴の美しい声が砂浜中に響き渡るのを聞いたよ」

「ありがとう桂一 にーに。私の声が悪くなったのを、一番心配してくれたのがにーにだった。でももう大丈夫、私は自分の歌を見つけたの」

「僕は百日願掛けに失敗して、全然役に立たなかった。大黒天様が真琴のまぶいを探してくれたんだね」

「えっ、大黒天様はお腹が空いたって文句言うばかりで何もしてないよ。七海さんが私のまぶいを砂から掘り起こして、無理矢理口に突っ込んで飲み込ませたの」


 そういって真琴は笑いながら恵比寿青年を見上げる。

 従妹の久しぶりに聞く、透き通るように澄んだ高い声。

 真琴の進学先を東京の高校に薦めた恵比寿青年は、都会の悪い空気で喉を痛めたと思い責任を感じていた。

 そんな真琴の不調の原因を見つけたのは、大黒天では無くフリーター女子の天願七海で、『まぶい抜ぎ』という霊障だった。

 それだけでも驚きなのに、天願七海はわずか半日で真琴の抜け落ちたまぶいを探し出す。


「そうか、天願さんが真琴のまぶいを見つけたのか」

  

 恵比寿青年は従妹のつややかな長い黒髪についた砂を払いながら、少し離れた場所に立つ七海に視線を移した。

 ハンカチで涙を拭いている七海に、小さいおじさんが声をかける。


「グフグフッ、娘よ、ワシにもハンカチを貸してくれ」

「肩が濡れて冷たいと思ったら、小さいおじさんの涙なのね。これで涙を拭いて、うわっ、鼻をかんだら私が使えないよ」


 小さいおじさんは、七海から渡されたハンカチで思いっきり鼻をかむ。

 七海と小さいおじさんが騒いでいると、ふと視線を感じ、恵比寿青年がなにかモノ言いたげに見つめている。


「まさか恵比寿さん、小さいおじさんが鼻をかんだハンカチを欲しがっている?」


 すっかり恵比寿青年を小さいおじさんのストーカー認定した七海は、こちらに向かって歩く恵比寿青年から隠すように、小さいおじさんをポシェットの中に入れる。


「真琴から話を聞きました。真琴のまぶいを探したのは、天願さんだったのですね」

「真琴ちゃんの魂の欠片が私たちをここに呼びよせたの。魂の歌声が大きくなったから、場所はすぐ分かったわ」

「天願さん、君はとんでもないことを言っている。九州の海岸に落ちた魂の欠片を千葉で霊視して、この海岸から五十キロ先の福岡で魂の欠片の歌を聞いた」

「真琴ちゃんは歌が聞こえなかったみたいだけど、小さいおじさんも歌を聞いたよ」

「だからそれは人間では無い、神だから聞こえたのです」


 まるで問い詰めるように恵比寿青年に言われて、七海は少し不機嫌になる。

 その時小さいおじさんが、ポシェットのチャックを自分で開けて顔を出した。


「のう恵比寿よ、詳しい話は後でゆっくり聞かせてやる。ワシは腹が減って縮んでしまいそうだ」

「そういえば私も、朝サンドイッチ食べただけで、ものすごくお腹が空いた」

「しかし真琴も天願さんも全身砂まみれで、飲食店に入るのは難しい。宿で着替えてから食事を取りましょう」


 恵比寿青年はスマホを確認しながら、七海のひしゃげたキャリーケースを軽々と片手で持ち上げると、陸の方へ向かって歩き出す。

 砂浜を取り囲む防風林の向こう側に整備された駐車場があり、黒塗りの高級車とワゴン車が停まっている。


「あれ、もしかして砂浜を歩かなくても、防風林沿いに道があったの?」

「ワシらはずいぶんと遠回りして、ここにたどり着いたのだ。前も竜神に惑わされたが、今回もまぶいに惑わされたか」


 小さいおじさんの話を聞きながら七海はヨロヨロと立ち上がると、その腕を真琴が組む。

 

「七海 ねーね、ありがとう」

「えっ、真琴ちゃん。ねーねってお姉さんの意味だよね」


 七海が聞き返すと、真琴は照れくさそうに頬を赤らめながらこくんと頷いた。

 駐車場で待っていたのは黒塗りの高級車で、恵比寿青年の会社MEGUMIグループの福岡支店が手配したそうだ。

 ここまで道案内した支店の社員は、MEGUMIグループの次期後継者と噂される若社長と、神がかった超絶美少女の姿を見ると万歳三唱を始める。

 車に案内された真琴と七海は、ブルーシートの敷かれた後部座席に座り、恵比寿青年は助手席に乗った。

 黒塗りの高級車は、海岸道路を抜けて遠くに山々が連なる山道を走る。 


「大黒天様リクエストの温泉旅館を予約しました。緑の美しい山奥の宿です。大黒天様と水いらずで温泉を楽しめます」

「ワシは恵比寿より、若くて可愛い弁財天と温泉に入りたいぞ」

「大黒天様、残念ですが宿に混浴風呂はありません」

「普通の人間にワシの姿は見えないから、女風呂に入っても大丈……ぎゃあ、痛い痛い!!」


 話を聞いていた七海は、小さいおじさんの頭を摘まんで持ち上げる。


「神様のくせに女湯に入りたいなんて、まるでスケベ親父じゃない」

「ワシはお腹が空いても我慢したのだ。ささやかなワガママぐらい許されても良いではないか」

「どこがささやかなワガママよ、絶対に、女湯には入れないから!!」


 後部座席で七海と小さいおじさんは口げんかを始める。

 しかも車を運転する地元支店社員は小さいおじさんの声が聞こえないので、七海が恵比寿青年のことをスケベ親父といっているように聞こえた。

 恵比寿青年は大きく咳払いするとスマホでどこかに連絡を入れ、後部座席に話しかける。


「大黒天様が他の温泉客に迷惑をかけないように、内風呂付き部屋に変更しました。これでゆっくりと温泉につかってください。それから天願さんは大黒天様監視のため、僕らと一緒の部屋です」

「内風呂付きの温泉旅館って凄い……えっ、私と恵比寿さんが同室」

「天願さん落ち着いて、車内で大声を出さないで。内風呂付きのファミリー部屋だから、真琴も同室です」


 思いっきり勘違いした七海は、顔を真っ赤にする。

 七海は恵比寿青年に自宅の合い鍵を渡すほど信用しているが、男女の仲っぽいことを考えたことが無かった。 

(そうよ、ストーカー気質の恵比寿さんの毒牙から小さいおじさんを守るため、私がしっかり監視しなくちゃ)



 ***



 車を走らせること一時間、隠れ宿のような温泉旅館に到着する。

 これまで七海が高校のバレー部合宿や大学のスキー合宿で泊まった旅館とは全然違う。

 趣のある洗練された和洋建築の旅館は、中に通されると床は分厚い赤絨毯に年代物の調度品がセンス良く飾られている。

 受付のカウンターに置かれたランプは本物のアールヌーヴォで、ロビーに置かれたソファーは皮の手触りがとんでもなく良い。

 海外セレブや政治家がお忍びで訪れるような、格式の高い高級旅館。

 男性ひとりと女性ふたりの組み合わせだが、恵比寿青年と真琴は兄妹のように顔が似ているし、七海は真琴のつきそいと思われたのだろう。

 品の良い女将さんに案内され、長い渡り廊下を歩きたどり着いた部屋で、七海は思わず驚きの声をあげる。

 

「ええっ、内風呂があるファミリータイプと思ったら、貴賓室クラスのお部屋じゃない!! ここって一室おいくら万円するの?」


 通された部屋は洋風の応接室で、照明がアンティークなシャンデリア、天板に繊細な百合の花が描かれた八人掛けのダイニングテーブルがある。

 部屋が左右に別れ、右はダブルとセミダブルのベッドが置かれた寝室、左は障子で仕切られた広い和室で床の間に達筆すぎる掛け軸の飾られていた。

 和室の向こう側は山の深い緑、半屋外の露天風呂が設置されて、七海と小さいおじさんは大騒ぎしながら部屋の中を見学して回る。


「おお凄い、源泉掛け流しの大きな岩風呂だ。五,六人ゆったりつかれるぞ」

「洋室のドアに鍵かかかるから、私こっちの部屋で寝るね。真琴ちゃんはどうする?」

「私も七海 ねーねと同じ部屋がいい。早くお風呂に入りたいから、桂一 にーには一時間くらい外を散歩していて」


 高級旅館に慣れているらしい真琴は、さっさと荷物の整理をして館内着の浴衣に着替えていた。


「それでは大黒天様、ふたりが温泉に入っている間、僕と一緒に食事をしましょう」


 恵比寿青年と一緒に大人しく部屋を出て行こうとする小さいおじさんを、七海は見逃さない。


「ちょっと待って、小さいおじさんが女風呂に逃げたら、恵比寿さんじゃ捕まえられない」

「清らかな大黒天様が、僕の目を盗んで女湯に逃げるなんてありえない。それに天願さんが食事を与えなかったから、大黒天様はとてもお腹を空かしている」

「小さいおじさんは電車の中でお菓子をバクバク食べていたから、それほどお腹すいてないよ」

「ふたりとも、ワシを奪い合って争わないでくれっ」


 小さいおじさんに激甘すぎる恵比寿青年に、真琴が呆れて声をかけた。


「そんなに女湯に入りたいなら、ここは白濁湯だから肩までつかれば体は見えないし、私が大黒天様と一緒に温泉に入ってあげる」

「やったぁ、恵比寿都の食事は無しだ。ワシは弁財天と温泉に入るぞ」


 小躍りして喜ぶ小さいおじさんと、明らかにショックを受ける恵比寿青年。


「大黒天様は、あれほど尽くした僕よりも、真琴を選ぶのですね」

「恵比寿さん、なに血迷ったことを言っているの。一緒に温泉に入るなら、若くてピチピチの可愛い真琴ちゃんを選ぶに決まっているよ」

「ふぉーほっほっ、せっかくだ、娘も一緒に温泉に入っても良いぞ」


 調子に乗った小さいおじさんが、いらぬ一言をいう。


「やっぱりお年頃の真琴ちゃんと、スケベ親父の小さいおじさんは一緒に入っちゃダメ。若い女でいいなら私が一緒に温泉に入ってあげる」

「娘と弁財天では、お肌のハリが違……ああっ、痛い痛い」


 それから恵比寿青年は部屋から追い出され、真琴の後に七海と小さいおじさんが温泉に入ることになったが、熱いお湯が苦手な真琴はわずか五分で湯船から出てしまう。


「ふわぁ、極楽極楽。この温泉に入れただけでも、九州に来た価値あるわ」

「娘よ、もう少しお湯を薄めて、弁財天も温泉に入ってくれるように誘ってくれないか?」

「源泉掛け流しなのに、お湯を薄めたらもったいないよ」


 七海と小さいおじさんは、それから一時間近く長湯して、風呂から上がるとダイニングテーブルの上に食事が用意されていた。


「大黒天様、海鮮料理と肉料理、両方用意させて頂きました」

「おおっ、でかしたぞ恵比寿。ワシは海鮮料理がいい」

「では大黒天様は海鮮料理ですね。残りは天願さんどうぞ」

「地元の和牛料理なんて贅沢すぎる。はむっ、小さいおじさん、この薔薇色のお肉とても美味しいよ」


 部屋には板前がひとり、その場で魚をおろしたり肉を炙って料理を出すが、顔色が悪い。

 客は三人だが、料理は四人分。

 手前に置かれた一人分の料理が余って、しかも客達は誰も座っていない席に向かって話しかけている。


「どうぞ、ご、ゆっくり、お召し上がりください。そ、それでは失礼します」


 板前が青白い顔で貴賓室から出ると、待ち構えていた宿の女将が、部屋で見たことは口外しないように言われる。

 その日の夜、板前は遠距離恋愛中の彼女に結婚OKの連絡をもらうが、それはまた別の話。



 ***



 日が沈むと、半露天の岩風呂から月見が出来る。


「大黒天様、ゆっくりと温泉に浸かりながら、旨い地酒はどうですか?」


 小さいおじさんとの温泉を諦めきれない恵比寿青年は、酒を餌にして誘う。

 七海は、ストーカー恵比寿青年の魔の手から小さいおじさんを守らなくてはと焦った。

 恵比寿青年の監視を頼むつもりだった真琴は、魂を取り戻した安心と疲労感から、食事を終えるとベットに突っ伏して寝てしまっていた。


「それなら私も一緒にお酒を飲みたいな。中に入るんじゃなくて足湯するだけだから」

「僕は大黒天様と水いらすで温泉を楽しむので、邪魔をしないでください」


 浴衣女子の七海を空気扱いして、恵比寿青年は小さいおじさんにぞっこんだ。

 湯に浮かせた大きな盆の上に数種類の酒のつまみと小さいおじさんが乗せて、岩風呂の縁に上半身をあずけながら、ちょっと赤ら顔で嬉しそうに小さいおじさんにお酌をする。

 水も滴るいい男って、こういう人のことを言うんだなぁと七海は感心しながら、氷で割った地酒をチビチビと飲む。


「でもこんな高級温泉旅館に泊まれるなんてめったにないから、恵比寿さんには感謝しているわ」

「この宿は二年先まで予約が埋まっているのですが、タイミング良くキャンセルで空きが出ました」


 恵比寿青年はサラリと言ってのけたが、絶対小さいおじさんのために色々と手を回したのだろう。

 これほどの高級温泉旅館に宿泊できるなんて、人生最初で最後の経験かもしれないので、あと三回は温泉に浸かろうと考えていた七海は、大切なことを思い出す。


「あっ、そういえば明日の仕事どうしよう。店長に休むって伝えてない」

「それなら僕が連絡を入れておきました。天願さんは明日、朝七時の飛行機で千葉に戻ってください」

「ありがとう、恵比寿さんが連絡を入れてくれたのね。えっ、明日は休み……じゃなくて朝七時の飛行機に乗るの?」

「店長の奥さんが産休中で人手が足りないので、正午出勤でOKをもらいました。旅館から空港まで車で四十五分だから、逆算して朝五時に起きれば大丈夫です」

 

 常日頃ハードスケジュールの恵比寿青年は簡単に言ってのけるが、相手はすぼらな七海だ。


「そんなスケジュールじゃ、朝風呂入る時間もお土産を買う時間も無い!! ちょっと恵比寿さん、湯船から出て出て、私あと三回は温泉を堪能するんだから」

「せっかく大黒天様との水入らずの月見酒なのに、僕は風呂から出るつもりありません」

「それなら恵比寿さん、後ろ向いて」


 まさかと思いながらも、恵比寿青年は大慌てで湯船から顔を背ける。

 お湯が大きく波たち、湯船の水がひとり分溢れ出して、小さいおじさんが呆れたように呟く。


「なんという、色気の無い娘だ」

「だって大浴場の女湯は小さいおじさんが付いてくるし、もう全然時間ないし、混浴だろうが何だろうが構わないわ。あっ、私にもお酒ちょうだい」


 恵比寿青年が恐る恐る視線を戻すと、お湯に肩まで浸かりながら、小さいおじさんの乗っかっているお盆を引き寄せて酒を飲もうとしている七海がいる。


「君は本当に、僕をぞんざいに扱う」


 お風呂でドッキリな場面だが、恵比寿青年は七海の行動にため息を漏らす。

 いくら慣れ親しんだ仲でも、男女が同じ風呂に入るなんて、恵比寿天である自分だから理性を保っていられるのだ。

 ずぼらで騙されやすい七海は、警戒心も無さすぎた。

 突然家に押しかけてきた見ず知らずの男の作る食事を平気で食べて、一ヶ月程度で合い鍵を渡し、出会って数日の少女のために九州まで来るくらいの警戒心の無さだ。

 

「恵比寿さんがもの凄い目つきで睨んでいる。私ふたりの邪魔はしないから、どうぞ充分にイチャイチャしてください」


 七海は酒の入ったとっくりとおちょこを湯船の端に置くと、小さいおじさんの乗った盆を恵比寿青年の方向へ押し返す。

 年頃の男女の混浴だというのに、全く色っぽいことはなかった。




 そしてお約束通り。

 翌日、七海は朝五時に起きるつもりが寝過ごしてしまい、恵比寿青年に叩き起こされて空港に連れて行かれ、ギリギリで飛行機に間に合って九州を去る。




 朝八時前に目を覚ました真琴は、枕元に置かれたスマホを開くと従兄からメールが入っていた。

 

「七海 ねーねと大黒天様は千葉に帰ったのね。先に朝食を食べているようにって、今日のモーニングは何だろう」


 独り言を呟きながら、真琴は無意識に自分の首筋に触れる。

 ずっと熱を持って腫れていた喉の痛みは消え、普通に声が出るのが嬉しい。

 真琴は簡単に身支度を調えて食堂に向かうと、空港から戻った来た恵比寿青年とタイミングよく出会った。


「おはよう桂一 にーに。七海 ねーねを空港まで送ってきたのね」

「朝七時の飛行機なのに寝起きが悪くて、叩き起こすのが大変だった。真琴は……、お前はなんて美しい」


 従兄の言葉に真琴が戸惑っていると、食堂前の廊下を通る宿泊客や、客対応に慣れた従業員までも足を止めて真琴の姿に魅入っている。

 弁財天の力を取り戻した真琴は、その美貌に磨きがかかり、全身から神々しいオーラを放っていた。

 

「ありがとう桂一 にーに。私ずっと体調悪かったけど、まぶいを取り戻したら喉も痛くないし体も軽くて、生まれ変わったみたいに気持ちも明るいの」

「真琴の声は、前より透き通って、まるで天界の鈴の音のようだ」

「声を取り戻してくれた七海 ねーねにちゃんとお礼を言いたかったけど、仕事休めないのね」


 ふたりは並んで食堂に入り、バイキング形式の朝食で恵比寿青年は和食を、真琴はパンケーキを選ぶと、食事をしながら今日の予定を確認する。


「午前中は太宰府天満宮に参拝して、午後二時の飛行機で羽田に戻ろう」

「えっ、どうして羽田なの? 成田じゃないの」

「どうしてって、羽田空港の方が東京中野の家に近いだろ。真琴の声は治ったけど、一応病院で診察をして……」

「そうじゃないよ、桂一 にーに。私は七海 ねーねの所に戻る。あの人を野放しにしちゃダメだよ!!」


 真琴の一言に、恵比寿青年の箸が止まる。

 恵比寿青年の漫然とした不安を、弁財天の真琴も感じ取っていた。


「私、どうして大黒天様がにーにの所に来ないのか分かった。そそっかしくてお人好しすぎる七海 ねーねの力を誰かに悪用されたら大変だから、大黒天様は七海 ねーねを守っているの」

「大黒天様は、天願家にあるはず宝物を探している。それが見つかれば大黒天の力を取り戻し、天願さんの祖母と会うために彼方へと還るだろう」

「七海 ねーねってお人好しすぎて、バツ2で子連れの借金持ち男とかに騙されそうなタイプじゃない。ねぇ、桂一 にーには七海 ねーねをどう思っているの? 一緒に露天風呂に入る仲なんでしょ」


 とつぜん真琴に予想外のことを言われた恵比寿青年は、飲みかけの味噌汁で思いっきりむせる。


「あの時、真琴は起きていたのか!!」

「喉が渇いて目が覚めたの。ちらっと覗いたけど、七海 ねーねは楽しそうにお酒飲んでいたから、ふたりの邪魔しないようにさっさと寝たよ」

「ふたりじゃない、大黒天様もいらしたから三人だ。あれは彼女が勝手に風呂に入ってきただけで、何もなかった」

「桂一 兄《にーに)はハンサムでセレブな社長さんで、よく女の人に言い寄られるけど基本無関心だよね。でも七海 ねーねの行動は、いちいち気にして世話を焼いている」

「彼女は大黒天様と一緒にいるから、放って置くわけにはいかないんだ」


 弁財天の力を持つ真琴は、高校生ながら人を見る洞察力に長けていた。

 だから数日行動を共にしただけで、七海の性格を完全に把握している。 


「霊的なモノを簡単に捉えることに出来る七海 ねーねが、怪しいカルト宗教とかに引っかかったら大変だよ」

「すでに天願さんは、健康浄水器と健康サプリメントと健康布団の詐欺に引っかかって多額の借金を抱えている。福の神が側にいても、彼女自身の運は悪すぎる」


 高位の霊能力者は試練のようなやっかい事と遭遇するが、七海はまるで貧乏神に好かれているかのようだ。

 常に微笑みを絶やさない恵比寿青年が困った表情でため息をつく様子に、真琴は決意する。


「桂一 にーににお願いがあるの、飛行機の行き先を成田に変更して」

 


 ***



 駅前ディスカウントストアの仕事を終えた七海は、自転車の荷台に重たいキャリーバックを乗せるとペダルを踏んだ。


「恵比寿さん達はどこを観光したんだろう。せっかく九州まで行ったのに、修復中の熊本城も見たかった」

「のう娘よ、ワシはお腹が空いたぞ。今夜はコンビニおでんがいいな」

「そういえば真琴ちゃんの喉が治って、恵比寿さんの願いが叶ったから、我が家にご飯を作りに来る必要無いんだ」


 今日から気軽なひとり暮らし(小さいおじさん付き)に戻るだけなのに、自転車のペダルが重く感じた。

 住宅街に入ると、どこから夕食のカレーの匂いがして、七海は少し切なくなる。

 薄暗い夕暮れ、上り坂途中から自転車を押して登ると、家の前に白いハイブリット車が停められているのをみつける。

 玄関の明かりと仏間の雨戸が開け放たれ、家の中に人に気配がする。

 片側しか開かない門をくぐると、玄関前に可愛らしいピンクの電動アシスト自転車が置かれていた。


「大黒天様、おかえりなさい。それと天願さんも」

「七海 ねーね、今日の夕御飯は、私が準備した手巻き寿司だよ」

「なんと、弁財天の作ったご飯とは、楽しみだ!!」

「……どうして恵比寿さん、それに真琴ちゃんまでいるの?」


 七海のポシェットから小さいおじさんが飛び出してゆくのを、七海は玄関前に突っ立ったまま呆然とみている。


「どうしてって、僕は大黒天様に頼まれた福岡土産を届けにきただけです」

「七海 ねーね、私せっかく喉が良くなったのに、空気の悪い東京には住みたくない。だからここに住まわせてください」

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