貧困フリーター女子VSイケメン神人青年2

 満面の笑みを浮かべながら小さいおじさんに話しかける恵比寿青年を見て、七海は天敵を見つけた猫のように全身の毛を逆立てる。

 

「恵比寿さん、ちょっと持ってください。どこで小さいおじさんの食事を作るつもりですか?」

「どこってもちろん、この家の台所を使わせてもらう」

「そんなこと勝手に、我が家の台所を他人に使わせるなんて……」

「恵比寿ぅ、ワシは腹が減ったぞ。早く夕ご飯が食べたい」


 気がつくと小さいおじさんは自転車のかごから出て、恵比寿青年の持つ買い物袋の中をのぞき込んでいる。

 七海は慌てて小さいおじさんを捕まえると鞄の中に隠し、恵比寿青年をにらみつけた。


「私が料理できないからって、食べ物で小さいおじさんを釣ろうとするなんて卑怯よ!!」

「大黒天様の姿を取り戻すには、充分な食事を与え、お世話する必要がある。それに君も知っているはずだ、大黒天様は食事に満足するとご利益をもたらしてくださると」


 恵比寿青年に正論で返されてしまい、七海はぐうの音も出ない。


「ふたりとも何を揉めている。恵比寿が料理を作っている間、娘は家の掃除をすれば良いではないか」


 こうして七海は、しぶしぶ恵比寿青年を家に招くことになった。



***



 七海は家に入る前に郵便受けを覗くと、届いた数通の封筒見て思わず顔をしかめた。


「娘よ、こんなに沢山手紙が届くと、返事を書くが大変だ」

「小さいおじさん、これはカードローン会社からのダイレクトメールだから、返事は必要ないの。ああっ、ローンのリボ払い残高がまだこんなに残っている」


 七海はそうボヤキながら、届いた郵便物を台所のテーブルの上に放り投げた。

 台所に置かれた八人がけのテーブルは、カップ麺やらお菓子の入った買い物袋や未開封の郵便物の束、鍋やフライパンが置きっ放しだ。 

 テーブルの下にも洗剤やらティッシュの消耗品などの生活雑貨が無造作に置かれ、これではテーブルに座って食事ができない。

 恵比寿青年はモノが溢れかえった台所を一瞥すると、調理台の上に買い物袋を置いた。


「恵比寿さん、調味料は右の戸棚にあります」

「僕は食材と調味料と鍋をすべて持参しています」

「久しぶりに恵比寿の料理が食べられるなんて、とても楽しみだ」


 恵比寿青年がジャケットを脱いでシャツの袖を折り曲げ、持参した黒いエプロンを着る仕草は、まるでモデルのようにカッコいい。

 思わずその姿にみとれた七海は、ハッと正気に返る。

 金持ちでイケメンで料理ができても、彼は七海の敵だ。


「夕御飯ができるまで、小さいおじさんは私と一緒に玄関の掃除をしよう」

「ええっ、ワシは恵比寿が料理を作るところを見たい」


 しかし七海は小さいおじさんを問答無用で鷲つかむと、ポケットの中に押し込んだ。

 台所を出ると、廊下の向こうに玄関を埋め尽くす古雑誌の山が見える。

 これを大至急片付けなくてはいけない。


「自転車の買い物かごに古雑誌一束と、後ろの荷台に二束。一度に運べるのは三束が限界ね」


 古紙回収している街のリサイクルセンターまでは、自転車で十五分、往復三十分かかる。

 古雑誌の山を全部片付けるのに、リサイクルセンターまで何往復すればいいのだろう?

 いっそ古雑誌を庭で焼却処分してしまおうかと考えた七海は、あることを思いつく。


「そういえば、せっかく男手があるんだから、少し手伝ってもらおう」

「娘よ、ワシは箸より重たいモノは持てないぞ?」

「ふふっ、小さいおじさんの代わりに、彼に手伝ってもらう」


 七海は急にご機嫌になると、玄関のドアを全開にすして古雑誌の束を家の外に運び始めた。

 しばらく作業に没頭していると、ポケットから頭を出した小さいおじさんの鼻がひくひくと動く。


「娘よ、なんだか食欲のそそる、とても美味しそうな匂いがするぞ」

「この甘辛醤油が焦げたような、空きっ腹を刺激する香ばしいかおりは!!」


 小さいおじさんは、七海のポケットから飛び出して家の中へ駆け込む。

 その後から家に入った七海は、恵比寿青年が仏間のちゃぶ台に朱色の漆塗りどんぶりを運んでいるのを見た。

 炭火と甘辛ダレの香ばしいかおりが漂い、厚みのあるふっくらとしたウナギがどんぶりから溢れんばかり盛られている。

 パラリとふられた山椒の香りが、さらに食欲をそそる。


「お待たせしました大黒天様。今日仕事の会食が鰻重だったので、大黒天様の分を持ち帰りました」

「素晴らしいぞ、恵比寿。アメリカでは食べたくて夢にまで見た鰻丼だ」

「ずるいよ恵比寿さん。お店で買ったウナギのかば焼きを温め直しただけじゃない」

「素人がウナギを捌くなんて無理です。それとも天願さんはウナギを捌けるのですか?」


 こっとりした鰻丼に、副菜は緑が色鮮やかなほうれん草のおひたし。

 お吸い物には三つ葉が浮かんでいる。

 食事はもちろん小さいおじさん一人分しかない。

 恵比寿青年は、いそいそと楽しそうに小さいおじさんの食事の準備をする。


「はむはむ、旨いのぉ、旨いのぉ。表面にこんがりと焼き色がついて、中はふっくら柔らかでジューシー、味に深みのある甘辛いタレと山椒の風味が香ばしい」

「大黒天様、そんなに慌てなくても大丈夫です。ゆっくりお食べください」


 美味しそうに鰻丼を食べる小さいおじさんにつきっきりで、お茶を入れている。

 台所をのぞいた七海は、フライパンに残ったウナギのタレを白米にかけて食べようと思いつく。

 一応うなぎのタレを使っていいか恵比寿青年に聞こうとして、彼が壁の時計をちらちら見るのに気づいた。

 恵比寿青年が握りしめるスマホから、しきりに呼び出しのバイブ音が聞こえる。

 小さいおじさんの食事の様子を眺めていた恵比寿青年は、とうとうスマホをタップしてメッセージを確認すると、とても名残惜しそうに立ち上がった。


「申し訳ありません大黒天様。僕は取引先との打ち合わせがあるので、今日はこれで失礼します」

「恵比寿は日本に帰ってきても、相変わらず忙しいな」


 箸をとめる小さいおじさんに恵比寿青年は一礼すると、七海の方を見た。


「それから天願さん、漆のどんぶりはレンジで使えないので、温め直すときは別の皿に移してください」

「えっと、温め直すって、私が残りの鰻丼食べていいの?」

「僕はこれから、仕事の接待があるので、食事はそこで済ませます」


 もしかしてこれからは、恵比寿青年が作った小さいおじさんの食事の残りを、七海が食べることになる。

 つまり食費が浮く、ラッキーかも。

 そんな都合の良い考えをしながら、七海は車に戻る恵比寿青年の後ろを追いかけて外に出た。

 家の塀沿いに止めた銀色の高級ハイブリット車の前で、恵比寿青年は困惑気味に立ち止まっている。


「僕の車の前に、古雑誌の束を置いたのは君かな?」


 恵比寿青年のハイブリット車の前に、古雑誌の束が無造作に置かれていた。

 

「恵比寿さんの車なら古雑誌をたくさん運べるでしょ。帰りながらリサイクルセンターまで持って行って、と小さいおじさんが言いました」

「大黒天様がそんなこと言うわけないだろ。君は僕の車を資源回収車扱いするのか?」


 アルカイックスマイルを消して真顔で睨む恵比寿青年に、七海は満面の笑みを返す。


「我が家に出入りしたかったら、大掃除の手伝いもお願いします。か弱い女子ひとりの力仕事は大変で、男手が欲しかったの」

「へぇ、どこにか弱い女子がいるのか教えて欲しいね」


 嫌みを言われても、七海はひるまない。

 すると恵比寿青年は諦めたように大きなため息をついて、車の後部トランクを開ける。

 見た目以上に広いトランクに七海は喜びながら、せっせと古雑誌の束を詰め込んだ。


「リサイクルセンターは国道を左に折れて、二つ目の信号を右……四つ目の信号だったかな?」

「君の説明は面倒だから、地図アプリで探して行くよ。それなら僕も頼みがある、天願さんの帰宅時間を知りたいからアドレスを交換しよう」


(ちょっと待って。アドレス交換するなんて、超絶イケメンにナンパされているみたい。)

 七海は思わず相手を見上げるが、全然甘い雰囲気は無くつまらなそうな顔をしている。

 

「私はまだ貴方を信用していないよ。明日は夜居酒屋バイトが入っているし、小さいおじさんも連れて行くから晩御飯はいらないわ」

「明日は朝五時半に朝食を作りに来るから、合図をしたら玄関の鍵を開けてくれ」

「えっ、明日も来るの、しかも朝五時半っ!! 朝は忙しいから、私が適当にご飯を作って小さいおじさんに食べさせます」


 うんざり顔の七海を、恵比寿青年は真顔で見返す。


「僕は大黒天様のために、毎日朝食と夕食を作りに来る」

「ちょっと待って、私はダブルワークで深夜十二時半に帰宅、寝るのはだいたい深夜一時半。そもそも女性ひとり暮らしの家に朝五時半に押しかけるなんて、非常識だと思わないの?」


 言い返された恵比寿青年は不思議そうな顔をする。


「これは願掛けのお百度参りのようなものだ。大黒天様をお招きしたい僕の願いを叶えるために、身を削って仕えてこそ奇跡がもたらされる」

「小さいおじさんは我が家の居候だし、貴方の都合より私の都合が最優先よ。朝七時に玄関を開ける、それでいいでしょ」

「僕も会社に出かけなくてはならないから、朝七時では遅い。それなら朝六時に訪問する」

「朝六時なんて早すぎる、まだラジオ体操も始まっていないよ」


 そして二人の激しい駆け引きが続いたが、恵比寿青年のスマホから何度も呼び出し音が聞こえてくると、彼は譲歩して朝六時四十分に玄関を開けることになった。


「天願さん、僕は段取りよく料理をしたいから、台所をきれいに片付けてください。足下に酒瓶が転がっているなんて、女性が住んでいるとは思えない」

「あれは酒瓶じゃなくて、みりん瓶です!!」


 七海の言い訳など聞かず、恵比寿青年は古雑誌を詰め込んだハイブリット車に乗り込むと、猛スピードで走り去った。




 これから毎日、朝食と夕食を作りに恵比寿青年が来るのだ。

 七海は重たい足どりで家に戻ると、食事を終えた小さいおじさんは座布団の上で寝転がっていた。


「ワシの食事は済んだから、残りは娘が食べて片付けるがよい。今日からゲームの新イベントが始まるから、早くスマホを貸してくれ」

「小さいおじさんは気楽でいいわね。明日から恵比寿さんが毎日来るってことは、寝転がりながら服を着替えたり、朝食食べながらテレビの芸能ニュースを見ることが出来なくなる。ああっ面倒くさいっ」


 七海は冷めた鰻丼をむしゃむしゃ食べながら、先ほどの揉め事を思い出して大きなため息をつく。


「娘は恵比寿を見て、なんとも思わないのか? あれほどの美形は珍しい、恵比寿と目を合わせば老若男女がアイツの虜になるぞ」

「恵比寿さん、顔はものすごく良いよ。でも私のダメ親父も顔は良くてフェロモン出まくりの色男だから、男は顔じゃないというか、美形見ても時めかないのよね」


 ジゴロで女癖の悪い父親を持つ七海は、見目麗しい恵比寿青年に対して憧れの感情を持たなかった。



 ***



 宣言通り、朝から恵比寿青年は小さいおじさんの朝食を作りに来た。

 仏間のちゃぶ台の上に真っ白なテーブルクロスが掛けられて、恵比寿青年が持参した高級洋食器が並べられる。

 生ハムと野菜のマリネサラダと白身魚のムニエル・バジルソース添え、冷たいヴィシソワーズと焼きたてクロワッサン。

 朝食を作る時間が限られているので、恵比寿青年は下ごしらえを済ませた状態で料理を持ちこんだ。


「大黒天様のために朝四時起きでクロワッサンを焼きました。生ハムを薄く削いで脂身の少ない柔らかそうな部分を切り分けましょう」


 恵比寿青年の持ち込んだエスプレッソメーカーから、豆からひいた香ばしいコーヒーの香りが漂う。

 レストランのモーニングでも、ここまで凝らないだろう。


「嬉しいのぉ、朝から豪華メニューだ。それじゃあワシは冷たいスープをいただこう」


 戸惑い顔の七海にかまわず、恵比寿青年は喜色満面の良い笑顔で小さいおじさんの料理を給仕する。

 小さいおじさんは、縁に金の文様が入ったお皿にそそがれた真っ白なスープを、スプーンですくって飲むと満足そうにうなずいた。


「さすがは恵比寿。このヴィシソワーズ、ジャガイモの冷たいスープは口当たりがとてもなめらかで、スープが喉の奥にスルリと落ちてゆく。娘の作るインスタント粉末を溶かすスープとは全然違う」

「それは小さいおじさんが、粉末スープをしっかり混ぜないから塊が残るの。それにヴィシソワーズなんて、庶民の朝食には出てこないよ。」

「大黒天様に喜んで頂けて、僕も料理の作りがいがあります。この白身魚のムニエルもどうぞ、全て骨を取り除いてるので安心して食べられます」


 小さいおじさんの美味しそうな食事を眺めていたいけど、七海も仕事に行く準備をしなくてはならない。

 それは恵比寿青年も同じで、何度も壁の時計を確認した後、名残惜しそうに立ち上がった。


「僕はこれから仕事に行って参ります。大黒天様も一緒に連れて行ければ、千客万来・商売繁盛なのに」

「恵比寿さん、急がないとお仕事に遅刻しますよ」


 立ち去りがたい恵比寿青年を七海は茶化すが、彼は見事な作り笑いを浮かべながら答える。


「天願さん、台所のテーブルの上に郵便物の山やレトルト食品があって、料理を置けません。明日までにテーブルの上を片付けてください」

「今日は深夜まで居酒屋バイトがあるから、帰ってから掃除なんて無理。うわっ、私も時間が無い!!」


 この時七海は気づかなかった。

 七海と恵比寿青年以外、普通の人には小さいおじさんの姿が見えないという事を。

 しばらくするとハイブランドスーツで身を固めたイケメンセレブ青年が、ひとり暮らしのフリーター女子の家に通っていると、ご近所で噂になった。

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