七海と怪しい浄水器業者

 恵比寿青年が七海の家に通い出して一週間が過ぎた。

 玄関前の古雑誌の山が片付いたので、七海は台所の大掃除に取りかかっている。

 仏間で恵比寿青年と向かい合わせで食事をしていた小さいおじさんは、恵比寿青年に小声で話しかけた。


「実は、恵比寿に頼みたいことがあるのだが……」

「何でしょう大黒天様、この恵比寿に出来ることでしたら、何なりとお申しつけください」


 頼られた恵比寿青年は、嬉しそうに身を乗り出して返事をする。


「恵比寿に頼みたいのは、他でもない娘のことだ。どうやら娘は借金で困っているらしい。娘は住む家もあるし、大掃除で沢山の古着を処分するぐらい着るモノもあるのに、ワシの目に見えない借金がある」

「食事に関しては僕の作る朝晩のお供え物と、居酒屋バイトのまかない料理があります。大黒天様は、彼女は衣食住満たされているように見えるとおっしゃるのですね」


 七海は気づいていないが、食事に困らなくなったのは、小さいおじさん(大黒天)のご利益が作用している。 


「ワシは大黒天として娘にアドバイスしたいが、この世界の金はえーてぃーえむという機械でやり取りして、金の流れが見えにくいのだ。昔は帳簿を見れば借金の原因か分かったが……」

「そうですね大黒天様。僕もカード一枚で買い物の支払いを済ませるし、金銭のやりとりも銀行口座間で行います」

「そのかーどだ!! 娘はかーどろーんやりぼばらいの支払いに苦しんでいると言った」

「カードローンにリボ払い……なるほど、彼女は金融について知識が無いのですね。分かりました大黒天様、それでは僕が彼女に探りを入れてみましょう」



 ***



 台所の大掃除に取り掛かり、床に転がっていた瓶類を片付けて、ついでにガタつく椅子を二脚解体してゴミに出したので、少し障害物が少なくなった。

 しかし台所の中央に鎮座する八人掛けのテーブルの上には、まだ大量の荷物が置かれたままだ。


「天願さん、僕はこれからステーキ肉をフランベしたいのに、台所に可燃物が多すぎます、どうしてテーブルの上の荷物が一向に減らないのですか?」

「恵比寿さん、ここはステーキハウスじゃ無いんだから、普通に肉を焼けば?」


 朝と晩、小さいおじさんの食事を作りに通ってくる恵比寿青年は、料理自体が趣味の域に達していると思う。


「僕は大黒天様をおもてなしする料理に妥協したくない。テーブルの上が片付けば、ここでパン生地を練ったり伸ばしたりできる」

「だから、パンなんてわざわざ自分で作らないで、パン屋で焼き立てを買えばいいじゃない。それにテーブルの上に荷物を置くのは、何があるか一目瞭然で便利なの」

「君の話は、モノを片付られない言い訳にしか聞こえない」


 恵比寿青年に指摘されて、七海は思わず押し黙る。

 実は七海自身、テーブルの上に散らかる荷物を把握できていなかった。


「それから台所入り口に置かれた、円柱の大きな機械は何?」

「あの機械は浄水器よ。だけど濾過フィルターを三ヶ月取り替えていないから、今は使えないの」

「まだ新しいし、家庭用にしてはずいぶんと大きな浄水器だね。邪魔」

「恵比寿さん、邪魔って、語尾に本音漏れている……」


 冷蔵庫の隣に縦1メートル直径60センチの円柱形浄水器が置かれているせいで、冷蔵庫の扉が全開できない。

 大量の食材を買ってくる恵比寿青年は、冷蔵庫が使い辛いので、浄水器を移動できないか調べている。


「ちょっと待って恵比寿さん、この浄水器とても高かったんだから、無理に動かして壊したら大変!!」


 七海はそう言って身じろぐと、テーブルの上に山積みになった郵便物に手が当たる。

 積み重なっていた郵便物の山が雪崩を起こし、せっかく片付けた台所の床にばらまかれた。

 七海は慌てて郵便物を拾い、恵比寿青年も足元に落ちてた数通の郵便物を拾う。


「ありがとう恵比寿さん。そのダイレクトメールちょうだい」

「君は……金使いが荒いように見えないけど、カードローンのダイレクトメールが沢山届いている」


 恵比寿青年の手元にあるのは、人気アイドルが明るい笑顔で買い物をするCMのローン会社ダイレクトメール。

 似たようなダイレクトメールが二、三通では無く、十通以上束になっている。


「これは浄水器を購入した時に組んだローンで、それは奨学金支払いの通知とか色々。でも毎月ちゃんとローン支払いしている」

「この浄水器は飲食店や食品工場の業務用だよ。どうして高額ローンを組んで業務用浄水器なんて買ったんだ?」

「えっ、この浄水器って業務用なの、全然知らなかった。現代は飲み水の中に悪い化学物質が含まれているから、体の中から浄化するために……」


 七海は食器棚の引き出しから、電話帳ぐらい分厚い浄水器の説明書を引っ張り出す。

 そこには《飲み水で体が毒される》《大病が薬無しで治った》のあおり文句が書かれていた。


「人間の体の90%は水分で出来ているから、綺麗な水を飲んで毒素を排出すれば……あんずさんの病気も治ると言われたの。でも効果は無くて浄水器の支払いだけ残っている」

「つまり君は家族の病気につけ込まれて、高額の浄水器を買わされたのか」


 そう話しながら、七海はハイブランドの服に身を包む恵比寿青年と、汚屋敷住みで借金まみれフリーターの自分を比べてしまい、落ち込んで下をうつむいてしまう。

 どうしてもあんずさんの病気を治したくて、七海は勧められるがままに健康器具や健康食品を買いあさり、多額の借金を作った。

 その事を知人や友人やダメ親父にさんざん罵られた七海は、きっと恵比寿青年も自分に呆れているだろうと思った。


「これの他に、借金はあるかな?」

「えっと、病気に効くと言われて海外からサプリメントと、眠りながら電子のチカラで病を治す敷布団。あんずさんの貯金は全部父親が持って行ったから、大学を卒業するまでの生活費が足りなくてカードを利用したの」


 何か嫌みを言われると身構えていると、スマホのシャッター音が聞こえた。

 七海は驚いて顔を上げると、恵比寿青年は業務用浄水器をスマホで撮影している。


「画像検索をしたらイギリス製の浄水器メーカーが表示された、これと同じ物か詳しく調べよう。天願さん、浄水器の業者は知っている?」

「毎月25日に業者の人がフィルター交換に来るけど、一万円のフィルター代を払えなくて三回も断っているの。それで業者の人を怒らせている」


 七海は憂鬱そうに壁に下げたカレンダーを確認すると、二日後に業者がフィルター交換にやってくる。


「それならちょうどいい。天願さん、僕にその浄水器の取扱説明書を貸してくれないか」


 七海に話しかける恵比寿青年は、これまで見た中で一番美しい微笑みを浮かべた。



 ***



 そして二日後。

 今日は居酒屋バイトは無いので自宅に直帰できる。

 夏も後半、日没が早くなり帰り道はずいぶんと薄暗くなった。

 自販機で買った缶コーヒーを抱えて涼みながら、小さいおじさんは七海に話しかける。


「娘よ、今日の夕飯は何だと思う? 最近脂っこい洋食が続いたから、はさっぱりしたものが食べたいのぉ」

「脂っこいモノ……。そういえば私この時期に体調を崩すけど、今年は全然夏バテしなかった。もしかして恵比寿さんの料理を食べてスタミナがついたかも」


 坂を上りきって家の前に来ると、普段は銀色のハイブリット車がある場所に薄汚れた白の軽トラが停まっていた。

 そして玄関前に立っている作業着の小太り男性を見た七海は、気まずそうな顔をする。


「七海さん、こんばんは。浄水器のフィルター交換に来ました」

「こ、こんばんは、純星素水サービスさん。すみません、今は浄水器を使ってないのでフィルター交換は必要ありません」

「七海さんは確か、先月も先々月もフィルター交換をさぼっている。それに使用していない浄水器はきちんとメンテナンスをしないと壊れるぞ!!」


 七海に断られた作業服の男はいきなり語尾が荒くなり、浄水器のメンテナンスをするから家にあがらせろと言う。


「今お金が無くて、フィルター交換もメンテナンスも払えません」

「手持ちの金が無くても、フィルター代もメンテナンス料金はクレジット払いで受け付ける」


 すると七海と作業服の男のやりとりを聞いていた小さいおじさんが、ポケットの中から出てくると七海の指を引っ張った。


「いたたっ、ちょっと小さいおじさん、こんな時にイタズラはやめて」

「娘よ、早くこの男から離れろ。其奴から貧乏神の気配を感じる」

「まさか貧乏神って、そんなの家に入れたら大変。小さいおじさんの神通力とかでなんとかならない?」

「無理を言うでない。ワシは箸より重たいモノは持ち上げられない非力な神だ」

「なにひとりでブツブツ呟いて薄気味悪い。早く俺を家の中に入れろ」


 家の前で十分近く押し問答している間に、周囲はすっかり暗くなっていた。

 いらついた作業服の男が七海に詰め寄ると、突然まぶしすぎるライトに照らされる。

 正面から光を浴びた男は目つぶし状態になり、七海は目を細めながら背後をふり返ると、家の正面に停まった銀色のハイブリット車がヘッドライトのハイビームをこちらに向けていた。


「こんばんは天願さん。道が渋滞して、来るのが遅くなってしまった」

「ちょうどいいところに来たわ、恵比寿さん。一昨日話した浄水器の業者さんが、フィルター交換に来てるの」


 買い物袋を下げて車からおりてきた長身の男を見て、浄水器業者は七海から離れる。


「今月はフィルター交換するお金が無いと断わっているのに、業者さん帰ってくれないの」

「あの邪魔な浄水器の業者ならちょうどいい。僕も聞きたいことがあるから、どうぞ家の中に入ってください」

「ちょっと待って恵比寿さん。なに勝手なこと言っているの!!」


 七海が焦っていると恵比寿青年はあのアルカイックスマイルを浮かべながら、早く玄関を開けてくれと言う。

 浄水器業者はこのチャンスを逃すまいと恵比寿青年にヘコヘコと頭を下げながら、家の中に入ってきた。


 


 台所に通された浄水器業者の背中をながめながら、七海は大きなため息をつく。

 フィルター交換代だけで毎月一万円、とてもじゃないが今の七海はこの浄水器を使い続けられない。

 こうなったら勝手に浄水器業者を家の中に入れた恵比寿青年に責任を取ってもらおうと考えていると、彼がとんでもないことを言い出した。

 

「この浄水器だけど、冷蔵庫の横にあって邪魔だから、移動させるか撤去して欲しい」

「恵比寿さん、なに勝手なことをいっているの!! 撤去って浄水器を処分するつもり?」


 七海は五十万円もする浄水器をカードローンで購入して、毎月その支払いに苦労しているのに、それを恵比寿青年は撤去したいと言ったのだ。

 恵比寿青年の発言に、浄水器業者も慌てて説得する。


「純星素水浄水器を撤去するなんてとんでもない。これは汚染された水道水を綺麗な純星素水によみがえらせる素晴らしい浄水器です。それに特殊な浄水器なので、撤去するには専門業者三人の人手が必要です」

「どうして女性ひとり暮らしの家に、設置に専門業者三人も必要とする大がかりな業務用浄水器があるのかな?」

「この地域の汚染された水道水は、パワーのある業務用浄水器で浄化しなくてはならない。そして我が社が開発した特殊なフィルターは、水道水の中に含まれた毒素を取り除き純星素水にするのです」

「おかしいな、この浄水器は日本製じゃない。イギリス製だ。しかも製造メーカーの商品カタログだと、フィルターは四ヶ月交換になっている」


 そう言って恵比寿青年が鞄の中から出したのは、七海が渡した浄水器の説明書では無く、英語で書かれた浄水器のカタログ。

 黄色い付箋の貼られたページを開くと、浄水器業者が持っているフィルターと全く同じフィルターが載っている。


「天願さん、このカタログにはフィルター価格は50ドル、四ヶ月交換と書かれている」

「50ドルって……約五千円? でも同じフィルターがひと月交換で一万円っておかしいよ」

「それに僕はこの家で何度も料理を作ったけど、水の味がおかしいと感じたことは無い。水道水が汚染されているというのなら調べてもらおう。ただしオモチャみたいな水質検査ではなく、役所に連絡して徹底検査を頼む」


 話を聞いていた浄水器業者は顔色を変え、慌てて七海の方を向き直り早口で謝りだした。


「七海様、申し訳ありません。自分は上司の指示でフィルター交換をしただけです。お詫びに次回のフィルター交換は無料で行わせていただきます」

「えっ、フィルターが無料になるなら、浄水器を使い続けてもいいじゃない」


 能天気な返事をした七海に、恵比寿青年は額に手を当てて呆れたように天を仰ぐ。


「天願さん、君はまだよく分かっていないみたいだ。毎月フィルター交換をさせられて、一年で十万円以上余計に代金を払わされたのに、まだ詐欺まがいの浄水器を使い続けるのか?」


 恵比寿青年に言われても、七海は判断に困る。

 浄水器はすでに購入済みだし、四ヶ月に一回のフィルター交換代金ならなんとかなりそうだ。

 

「娘よ、恵比寿のいう通りだ。この浄水器業者を、損切りするのだ」

「でもまだ浄水器代金のローンも払い終わってないよ。それに小さいおじさん、損切りってなに?」

「天願さん、大黒天様はこの浄水器を手放せと言っているのです」

「ええっ、ちょっと待って。浄水器五十万円にフィルター交換十回で十万円、今まで六十万円もつぎ込んでいるのに手放すなんて出来ないよ」


 七海がうろたえている間に、浄水器業者は忍び足で台所から出て行こうとすると、目の前で扉が自動ドアのようにピシャリと閉まる。

 驚いて扉の前で尻もちをつく男の頭の上に、小さいおじさんがぴょこんと乗っかっている。

 

「天願さん、君はお人好し過ぎるぞ!! 君は祖母あんずさんの病を治すために、奇跡を信じて純星素水浄水器を購入したはずだ。しかしこれは只の業務用浄水器で、毒素を取り除く効果なんて無い」


 それに、と話を続けながら恵比寿青年は浄水器業者に向き直る。


「あなたは上司の指示と言ったが、会社HPに顔写真が掲載されていますよ。社長が作業服姿でフィルター交換するなんて、よっぽど人手不足ですね」


 恵比寿青年は手に持ったスマホをタップすると、髪の毛をオールバックに固め金ボタンのダブルのスーツを着た、作業服の男とそっくりな顔をした社長の姿が写っていた。

 ここまで説得されて、七海はやっと自分が騙されていたと気づいたのだ。

  

「浄水器業者さん、フィルター代のサービスなんて必要ありません。この邪魔な浄水器を引き取ってください」

「ああ、僕からも一言。浄水器社長さん、水道水に毒素が含まれていると書かれた、純星素水の詐欺まがいの資料は僕の手元にある。これを役所の公衆衛生課と消費者センターに持ち込んでもいいが、浄水器をそちらが買い取ってくれるなら資料はお返ししよう」

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