貧困フリーター女子VSイケメン神人青年1

 宅配便を装って現れた青年の口元に張り付いた微笑みは、七海を不快にさせる。

 長身の超絶イケメンと、寝起きでまだ顔も洗っていない七海はにらみ合う。


「えっと申し訳ありませんが、祖母のあんずは去年亡くなりました。この家は私ひとり暮らしで、大黒なんて人も住んでいません」


 青年はあんずさんの知人にしては若すぎる。

 あんずさんの知り合いの中には、不思議な力を持つ彼女を教祖のように崇める、スピリチュアルとかそっち方面の人がいたから、彼もそっち方面の知り合いかもしれない。

 七海はさっさと話を切り上げて雨戸を閉めようとするが、青年は長い腕を伸ばして雨戸を押さえつける。

 すると次の瞬間、急に突風が吹き荒れ膝丈まで伸びた庭の雑草が青年を中心に風で倒れて、屋敷の背後の竹林からけたたましい鳥の警戒音が聞こえた。


「僕は別に怪しい者ではありません。大黒天様からお預かりした品を、天願あんず様に届けに来たのです」

 

 突然の風に雨戸にしがみついた七海は、あんずさんの名前を出されて一瞬油断する。

 その隙に、青年は家の中に向かって声をかけた。


「おはようございます大黒天様、恵比寿がお迎えに参りました」

「なんだ朝から騒がしい。おっ、恵比寿じゃないか、久しぶり」

「えっ、貴方、小さいおじさんの姿が見えるの? というか、小さいおじさんって靴屋の小人じゃなくて大黒天?」

   

 小さいおじさんは怪しいイケメン青年にうれしそうに駆け寄ると、彼はどさくさに紛れて家の中にあがり込んだ。


「恵比寿よ、久々の日本は暑いのぉ」


 イケメン青年との再会を喜ぶ小さいおじさんを眺めながら、七海は軽くパニックに陥る。

 普通の人に小さいおじさんの姿は見えないし、七海は小さいおじさんをコロボックルや靴屋の小人みたいな生き物だと思っていた。

 慌ててスマホで『大黒天』を検索すると、シヴァ神の化身とか大国主命と書かれている。

 大黒天と言えば七福神と呼ばれる、打ち出の小槌を握ったぽっちゃり太った神様。

 五穀豊穣・子孫繁栄・商売繁盛の福の神。

 そして『恵比寿』も七福神の一人だ。


「大黒天様のお姿が突然消えてしまったので、恵比寿はとても心配しました」


 小さいおじさんの前に両膝をついて恭しく頭を下げる恵比寿の青年に、七海は少し警戒心を緩めそうになる。


「大黒天様がこのような場所で苦労をされているなんて。でももう大丈夫、僕が大黒天様をお迎えにまいりました」

「ちょっと待って、小さいおじさんは全然苦労なんてしてないよ。毎日上げ膳下げ膳で、お腹いっぱいになったら昼寝するんだから」


 思わず大声をあげた七海に、青年はうさんくさい笑顔を向ける。


「君のその口調だと、大黒天様がもたらす御利益を知っているね」

「そういう貴方は何者、どうして小さいおじさんの姿が見えるの。それにあんずさん宛てのお届け物ってなに?」


 小さいおじさんを迎えに来たと言う彼は、どこか普通の人と違う清廉なオーラを全身から放っている。


「娘よ、この男は恵比寿桂一と言って、ワシがアメリカ滞在中とても世話になった男だ」

「それじゃあ小さいおじさんは、このヒトと一緒にアメリカから日本に帰ってきたの?」

「僕が聞いた話では、大黒天様はご友人天願あんずさんの願いを叶えるために、アメリカへ渡ったそうです」

「えっ、あんずさんの願い事ってなに?」


 恵比寿青年はアタッシュケースの中から少し汚れた野球ボールを取り出し、七海に手渡す。

 

「あんずさんはワシに、大リーグで活躍する日本人野球選手ニチローのホームランボールが欲しいといったのだ」

「それじゃあこれって、二チロー選手のホームランボール!!」

「うーん、残念だがニチロー選手のホームランボールではない。ニチロー選手が出場した試合で手に入れた、名前も知らない選手のファールボールだ」

「でも実際プレイをするニチロー選手を見たんでしょ。それだけでも凄いよ」


 確かにあんずさんはニチロー選手の大ファンで、七海も色々ニチロー選手の話を聞かされていたので思わず興奮する。


「僕は一年前、偶然アメリカのスタジアムで大黒天様と出会いました。あちらと宗教の異なる日本の神様が、何故こんな場所にいらっしゃるのかと驚きました」

「ワシは成田から飛行機に乗ってアメリカに行ったのだ。しかしアメリカは広いし英語も分からないから、広い大陸をさまよって、スタジアムにたどり着くのに数カ月はかかった」


 懐かしそうにアメリカでの話に盛り上がる小さいおじさんと恵比寿青年に、七海は焦りのような複雑な感情がわき出る。


「その野球の試合で、僕がスタジアム名物ビールジョッキを大黒天様に与えたのです。

 するとご利益が発動して、突如ホームランの飛び交う乱打戦になり、そのとき手に入れたファールボールがこれです」


 大リーグの試合内容に影響するほどのご利益をもたらすなんて、小さいおじさんの神通力は本物だ。

 仏壇に野球ボールを置いて、あんずさんの遺影に話しかける小さいおじさんに、七海はこれまでずっと考えていたことを聞いてみる。


「小さいおじさんが神様なら、もし日本にいれば、あんずさんは……」

「悲しいかな、人の定められた寿命はワシの力でもどうにもならない。もし神が人の寿命を延ばせるなら、二百年前の人間が今でも生きているはずだ」

「うん、きっと小さいおじさんの言う通りだと思う。あんずさんも寿命だって言っていた。たけど私は最後まで諦めきれなかった」 

 

 どうしても諦めきれない七海は、怪しい代替療法に引っかかってしまった。

 病気に効くという高額サプリや、飲み水から体質改善といわれて高額浄水器を買わされた結果、多額の訳あり借金を背負っている。

 しんみりとした小さいおじさんと七海に、様子をうかがっていた恵比寿青年が声をかける。


「大黒天様を彼方から現世へお招きした天願あんず様が亡くなり、大黒天様の霊力は急激に弱っています。そしてこの場所は、大黒天様をお世話するにふさわしくない」

「えっ、それってどういう意味ですか!!」

「神々をまつる聖域は、常に清潔で美しい場所でなくてはならない。しかしこの家は三日前に僕がたずねた時、庭の大量のゴミが捨てられ今日は玄関が古新聞でふさがれている」

「こ、これでも最初と比べたら、ずいぶんと片付いたのよ」

「そうだぞ恵比寿、これでも綺麗になったのだ。最初この部屋は、足の踏み場もないほどゴミで埋もれていた」


 ふたりの話を聞いた恵比寿は、微笑みを消して真顔で小さいおじさんに向き直る。


「今の話を聞くと、余計に大黒天様をここに置いてゆくことはできません。仕事の忙しい天願七海さんに、大黒天様は負担になります」

「えっ、いきなり何を言うの?」

「これ以上彼女に迷惑はかけられません。どうか大黒天様、僕の所へ来てください」

「そうか、ワシがここにいては迷惑になるのか。ワシは恵比寿のところへ行こう。娘よ世話になったな、達者で暮らせ」


 白いタオルの敷かれたアタッシュケースの中に入ろうとした小さいおじさんを見て、七海は思わず手を伸ばすと、子猫サイズの小さいおじさんをむんずと捕まえた。


 --この小人を、決して手放してはいけない。--


 それは天啓のような確信。

 七海はアタッシュケースの中に入ろうとした小さいおじさんを鷲掴むと、自分の上着のポケットに入れた。


「貴方に小さいおじさんは渡さない。私は荒れた生活を送っていたけど、もうこの広い家でひとりぼっちで暮らすのは辛い!!」


 七海は大切な宝物を奪われないように、両手でポケットを押さえつける。


「むぎゅ、痛いぞ娘。もう少し力を緩めないか」

「嫌だよ小さいおじさん。どこにも行かないと言ってよ」


 恵比寿青年は思わず驚きの声を上げた。


「まさか人間が、どうして尊きご霊体の大黒天様を捉えることができる?」

「この娘は、彼方から大黒天であるワシを呼び寄せたあんずさんの孫だ。神人(かみんちゅ)のお前より高位の霊力を持っている。」


 小さいおじさんと出会うまで、七海は借金を返済するためにアルバイトに追われて、家はゴミ屋敷、食事はコンビニ弁当、髪は伸ばし放題でオシャレをする気力すら無かった。

 今は小さいおじさんのために簡単な料理を作り、家を掃除した時出てきたお金で髪を切り、オシャレをする気力も湧いてきた。

 でも小さいおじさんがいなくなれば、七海は再び空虚な状態に戻るだろう。

 七海のポケットから出てきた小さいおじさんは、もう一度座布団の上に座り直した。


「すまないのぉ恵比寿、ワシは娘に世話になった礼を返さなくては。もうしばらくこの家にいることにしよう」

「しかし彼女では、大黒天様に充分なお世話ができません。日本に戻って来ても痩せ衰えた姿で、このままでは大黒天様の神力が失われてしまいます」

「ワシがあんずさんに預けた三つの宝物を探せば、元に姿に戻れる。だからワシは、宝物が見つかるまでここにいるぞ」

「このガラクタであふれかえった汚屋敷の中から、宝物を探し出すなんて、どれだけ時間がかかるのか」

  

 恵比寿青年は、二間続きの仏間を見回して焦りの表情を浮かべた。

 以前と比べれば、部屋の鴨居にぶら下がっていた洋服はすべて片付けられ、床にはゴミ一つ落ちていない。

 しかし恵比寿青年の目には、日に焼けて表面がすり切れた畳と、薄汚れて大きな穴の開いた障子に黄ばんだ襖、部屋の隅には南米土産の木彫りの人形が埃をかぶって置かれ、廃屋寸前のボロ屋敷にしか見えない。

 大黒天様が座っている仏壇の前の座布団は、端がほどけて中綿がはみ出している。

 恵比寿青年は堪えきれないように大きなため息をつくと、小さいおじさんに訴えた。


「大黒天様、どうか僕と一緒に来てください。ああ、僕が大黒天様に触れる事ができるなら、こんな場所から連れ去りたいのに」


 座布団の前にしゃがみこんだ恵比寿青年は、小さいおじさんに向かって手を伸ばす。

 しかしその手は、小さいおじさんの体をすり抜けて空を切る。


「神の姿を見て声を聞くことができる神人(かみんちゅ)の僕ですら、大黒天様に触れることはできない。しかし彼女は、大黒天様をつまみ上げてポケットに隠した」

「この娘は、あんずさんの孫で隔世遺伝で希な霊力を授かった、ラッキーな娘だ」

「そんなに驚くけど、あんずさんも私も、簡単に不思議なモノを触ることができたよ」

「君が何気なく行使している神に触れることのできる霊力は、高位の霊能力者が長年厳しい修業を積んだとしても得ることのできない尊い力。君はきっと今まで御祖母に守られて……」


 会話の途中で、部屋の鳩時計が七回鳴いた。

 すると釣られて、グウグウと小さいおじさんの腹の虫も鳴り出す。


「そういえば朝ご飯の時間だ。ワシはお腹が空き過ぎて動けないっ」

「えっ、もう七時。これから朝ごはんを作って、仕事に行く準備をしなくちゃ!!」


 七海は小さいおじさんと恵比寿青年を仏間に置いたまま、慌てて台所に行く。

 朝七時にセットした炊飯器は、ちょうどご飯が炊きあがっていた。

 ヤカンでお湯を沸かしインスタントしじみ味噌汁を作り、フライパンの半分でシシャモを焼いて、半分は卵を落として焼きながらかき混ぜてスクランブルエッグにすると、ケチャップをかけて味をごまかす。

 調理時間わずか十分、焼くだけ干物とインスタント味噌汁の超手抜き料理をお盆にのせて、小さいおじさんのいる仏間に運ぶ。

 すると仏間では、小さいおじさんにすり寄った恵比寿青年が、持ってきた小さな箱を開くところだった。


「これは大黒天様のために取り寄せたフルーツです。どうぞお召し上がりください」


 有名百貨店の包装紙をはがすと桐の箱が現れ、蓋を開いたとたん蕩けるような甘い香りが周囲に漂う。

 中には鮮やかな薄紅色の瑞々しい、大きな完熟桃が二個。


「ダメダメ、小さいおじさんは私が作った朝食を先に食べて、デザートはご飯の後よ」

「君の作ったそれは、インスタントと干物を焼いただけじゃないか」

「炊きたてご飯があれば、小さいおじさんはレトルト食品でも文句は言わないわ」


 小さいおじさんを挟んで、左右でにらみ合う七海と恵比寿青年。

 しかし壁の鳩時計を見た七海は、再び焦り出す。


「ええっ、もうこんな時間。昨日は疲れて着替えもせずに寝たから、これからお風呂に入って髪の毛を乾かして化粧をしなくちゃ。小さいおじさんはそのままご飯を食べていて。えっと、貴方はもう用事無いよね」

「天願さん、僕の名前は恵比寿桂一です。そして小さいおじさんではなく、大黒天様と呼びなさい」

「それじゃあ恵比寿さん、今日はどうもご苦労様でした。私本当に時間が無いの。早く家から出てください!!」


 七海に急かされた恵比寿青年は、しぶしぶ立ち上がると名残惜しそうに小さいおじさんに声をかける。


「天願さんの事情は分かりました、しかし僕の方も大黒天様を譲れない事情があります。今日の居酒屋アルバイトはお休みでしたね、また後ほど伺います」

「えっ、どうして貴方が、私のバイト先を知っているの?」


 驚く七海に、恵比寿青年は見事なアルカイックスマイルを向けると、逃げるように家から出た。

 背後でピシャリと雨戸の閉まる音を聞きながら、ジャケットのポケットからスマホを取り出してタップする。

 この時間なら、彼女は駅に向かう途中だろう。

 恵比寿青年はスマホをタップしてメッセージを送信した。


《大黒天様を見つけたよ、真琴。ちょっと邪魔が入ったけど大丈夫。すぐに大黒天様を連れてくるから、そうしたら真琴の声を治してもらおう》


 それは小さいおじさん(大黒天)を巡る、貧困フリーター女子七海と神人(かみんちゅ)青年恵比寿の攻防の始まり。



 ***



 早朝のドッタンバッタン劇の後。

 七海は普段通り、午後六時に駅前ディスカウントストアのアルバイトを終えた。

 自転車の買い物かごに小さいおじさんを乗せて長いダラダラ坂をのぼりながら、七海は今朝の出来事を小さいおじさんに愚痴った。


「あの恵比寿って人、身長が高くて超イケメンでお金持ちそうなのに、さらに小さいおじさんのご利益が欲しいなんて欲張りすぎる!!」

「ワシはどうして娘が恵比寿を怒るのか分からん。お前はあんずさんの孫と言うだけで、何の苦労も無く高位の霊力を持っているだろ?」

「だってあの人見るからにセレブよ。もう充分儲かっているのに、ゼイゼイ、私みたいな貧困女子から、小さいおじさんを取り上げるなんて……あの車」


 自宅前に停められた銀色のハイブリット車を見た七海は、さらに疲労感が増す。

 背の高いイケメンがわざとらしいアルカイックスマイルを浮かべながら、七海たちの帰りを持っていた。

 全身ハイブランドのスーツで身を固めた恵比寿青年が、両手にスーパー名がプリントされた買い物袋を提げている。


「お帰りなさい大黒天様。今日から僕が、大黒天様の夕食を作ります」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る