第2話 崖っぷちフリーター女子 2
夏休みで多くの観光客がごったがえする国際空港ターミナル。
到着ゲートの手荷物受取場前で、仕立ての良い茶色のジャケットを羽織った青年が誰と会話している。
「……様、やっと日本に着きました。もう少しの辛抱です」
しかし青年の周囲にいるのは胸にお揃いのバッジをつけた中国人団体客で、彼が話しかける相手は見あたらない。
青年は大切そうに抱えた黒いアタッシュケースを開くと、中身を確認している。
アタッシュケースの中は野球ボールが一個と上質な白いタオルが詰められ、まるで子猫の寝床のようだった。
しばらくして手荷物を受け取り、到着ゲートを通り一年ぶりに祖国へ足を踏み入れる。
空港ロビーの液晶テレビが天気予報を映し出し、表示された気温を見た青年は顔を曇らせる。
「今日は猛暑日で最高気温は三十五度、体の弱った……様にこの気温は堪えるな。でも大丈夫です、ホテルまでの移動はタクシーにしましょう」
テレビ前で天気を確認していた女性は、隣から聞こえる美声に思わず振り返り、そこにいた人物に見惚れてしまう。
見上げるほどの高身に、一目で一級品とわかるシンプルな白いシャツと茶色いジャケットを着た超絶イケメン男性が立っていた。
鼻筋の通った優し気な顔立ちにオーバルタイプの銀縁メガネをかけた男性は、芸能人か有名モデルのようなオーラを放っている。
まじまじと彼の顔を眺めていた女性は、しかしある違和感に気づく。
「……様は二年ぶりの日本で、急いで立ち寄りたいところがある。そんな弱った体では無理です!!」
彼は少し焦った様子で誰かと話しているが、相手の姿は見えないし、近くには自分以外誰もいない。
イケメン男性は壁側に貼られた美少女アニメポスターに向かって話しかけているように見える。
女性は思わず一歩二歩後ずさりして男性から距離をとると、逃げるようにその場から立ち去った。
アメリカから帰国した恵比寿桂一は、腕に抱えたアタッシュケースの中から弱々しい気配を感じ取ると、それを守るようにオーラを強めた。
恵比寿の母親は、南の島で神事を司る
その血筋から強力な霊力を持つ恵比寿は、母親が宝船にの夢を見た時に生まれた七福神の加護を受けた子供だと言われた。
神々と交流のできる霊力を持つ恵比寿は、大勢の人々が行き交う空港利用客に混じって、人ならぬモノの姿も認識する。
空調の効いた空路ロビーの中を、ぬるりとした生温かい空気が親し気に彼の頬をなで、ひんやりとした冷気が右手に触れてきた。
「やはりここは八百万の神々の国。外国人観光客に混じって、異国の霊的な存在もいらっしゃる。これで地球の裏側から連れ帰った……様が、元気を取り戻せばいいが」
今から一年前、恵比寿はアメリカ支社への出張中、異国の地で日本の小さな神と出会う。
どうしてこんな場所にいるのか尋ねると、福福しく肥えた金色に輝く小さな神は『本場の大リーグ野球を観戦に来た』と、恵比寿が驚くことを言った。
この世の彼方には神と呼ばれる高位な霊的存在がすむ常世国があり、金色に輝く小さな神はある女性に請われて地上に招かれたという。
だがしばらくすると小さな神は急激に力を失って、痩せ衰えはじめる。
霊力を持つ恵比寿は神を助けるため、そして金色に輝く小さな神を自分のモノにしようと、アタッシュケースの中に小さな神を納めて日本に連れ帰った。
ホテルに着いた恵比寿がアタッシュケースを開くと、力の衰えた福福しく金色に輝く小さな神の気配が消えていた。
***
七海が引き受けた居酒屋バイトは、夜八時から深夜十二時までの週三日勤務。
有名料亭の料理人だった店長の作る料理は安くて美味しいと近所でも評判で、客層は学生からサラリーマン、時々奥様方が女子会に利用したりするアットホームな雰囲気のお店だ。
七海と同じバイト仲間のぽっちゃり女子大生は、最近つきあい始めた彼氏の話がしたいらしく、仕事の合間に七海へマシンガントークを浴びせる。
「七海さん、仕事帰りの一人歩きは危険じゃないですかぁ。アタシの彼氏とても優しくて、仕事が遅いからって心配して迎えに来てくれるんです」
「私は自転車で来ているから大丈夫。自宅から居酒屋までの大通りは明るいし警察署があるし、この辺の治安は良いよ」
すると彼氏持ちぽっちゃり女子は眉を寄せると、ヒソヒソ声で奇妙な話を始める。
「でも七海さん、最近この辺にアレがでるって噂知ってます? 実はアタシの彼氏、近所の自販機でコーヒーを買って受け取り口に手を入れたら、そこに小さいおじさんが寝ていたんですよ!!」
「えーっと、お客さんの注文が入ったから、その話は後でね」
「彼氏、小さいおじさんに驚いてお店に逃げ込んできて、ちょっと大騒ぎになったの。それで彼氏が見た小さいおじさんが、ひょろひょろに痩せた人情ドラマのラーメン屋店主そっくりだったの」
小さいおじさんってなに小学生みたいな事言っているんだと、七海は半分呆れながらおしゃべりを続けるポッチャリ女子を無視してビールを運ぶ。
すると地元サッカーチームのユニフォームを着た赤ら顔のお客さんに呼び止められた。
「七海ちゃん、小さいおじさんの話本当らしいぞ。近所の小学生の間では小さいおじさんの噂話でもちきりだ」
「えっ、まさかぁ。監督、冗談でしょ」
「俺が教えている少年サッカーの子供は、猫に追いかけられる小さいおじさんを見たって話していた。ポチャリちゃんと同じ、ドラマのラーメン屋店主そっくりだって」
すると酔っぱらいの話を隣で聞いたポッチャリ女子が「きゃあーっ」と悲鳴を上げて、必然的に店中の客が七海たちに注目する。
「それってアタシの彼氏が見た小さいおじさんと一緒、いやだコワイっ。七海さんの自転車の後ろに小さいおじさんが乗っていたらどうする?」
「そんな不気味なこと言わないで。小さいおじさんなんて子供の都市伝説でしょ」
「でも小さいおじさんを見ると良いことがあるみたい。アタシの彼氏は次の日に宝くじで五千円当たったの」
「そういえば小さいおじさんを見た子供も、次の日テストで100点取れたって言っていた」
小さいおじさん話を酒の肴に盛り上がる酔っぱらいの笑い声を聞きながら、七海は深く溜め息を付く。
七海は一度だけはっきりと、家の縁側に座り庭の百合の花を眺めていたあんずさんの膝の上に、福福と肥えた金色に輝く小さな人が座っているのを見た事があった。
「みんなが話しているのは、私の知っている小さいおじさんとは違う。あんずさんの隣にいた不思議なモノは、お相撲さんみたいにでっぷり太ってピカピカに光り輝いていた」
七海はホールをぽっちゃり女子に任せて厨房に戻ると、藍色のはちまきに作務衣姿の店長が声をかけてきた。
「七海、休憩に入ってまかないを食べてくれ」
「ありがとうございます店長。まかないのおかげで夕食代が浮いて、私大助かりです。うわぁ、今日は魚のアラ汁だ」
調理台の上に置かれた大きな鍋の中から、魚のしっぽが飛び出しているのが見える。
刺身の盛り合わせをこしらえた後に残る魚のしっぽや頭で作られた本日のまかない料理。
白だし仕立てのカンパチのアラ汁は、具に冬瓜と結び昆布と椎茸が入っている。
大型魚カンパチのアラで取った出汁はコクがあるのにあっさりと飲みやすく、大きく切られた冬瓜はしっかりと出汁が染み込んでいた。
七海は大きなどんぶりにカンパチのアラ汁をたっぷりと注ぐと、厨房の隅に置かれた机の運ぶ。
ご飯と御漬物、刺し身の切れ端が五枚乗った平皿を並べると、七海は両手を合わせて「いたたぎます」と挨拶をして食事をとる。
「はむっ、魚の出汁が浸みた柔らかい冬瓜が口の中で溶けて美味しい。それに魚の匂い消しで使われたショウガの風味が夏バテ気味の胃袋を中からポカポカ温めてくれる」
美味しそうにアラ汁をすする七海に、店長は笑いながら出汁を取って煮崩れた大きなカンパチの頭を平皿に乗せて持ってきた。
それを見た七海は、思わず歓喜の声をあげる。
「普通女の子は魚の頭が怖いって言うけど、七海は平気だろ」
「うはっ、最高ですよ店長!! 魚の頭の骨を取り除きながら、白身の部分にさしみ醤油を垂らして食べるのが楽しいんです」
カンパチの頭を解体しながら身をほじって食べる七海は、夕飯を浮かせるために居酒屋ヘルプを引き受けて良かったとしみじみ思った。
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