七海と小さいおじさん1

 居酒屋バイトが終わると、すでに時計は深夜十二時半を回っていた。

 七海の頭の中では、さっきのポッチャリ女子との会話がリプレイする。


(最近この辺に、小さいおじさんが出没)

(自転車の後ろに、小さいおじさんが乗っていたらどうする?)

「たかが小さいおじさんじゃない。何も怖くない、怖くないんだからぁーーっ」


 七海は閉店後の片づけをする店長に帰りの挨拶もそこそこに、大急いで自転車に飛び乗った。

 今日は新月の夜、空は分厚い雲に覆われて星はひとつも見えない。

 人通りの絶えた国道の交差点で信号待ちをしていると、吐息のような生温かい風が吹いてくる。

 恐る恐る後ろを振り返るけど誰もいない。

 不思議なモノに慣れている七海だが、人間の姿をした小さいおじさんは見たことが無い。


「小さいおじさんってどんな姿をしているの? もしかして人面犬や人面魚みたいに躰は子供で頭はおじさん……いやだ、そんなのに憑かれるなんて絶対無理!!」


 七海は恐怖に駆られて自転車を全力で走らせた七が、家の前50メートルの上り坂でスタミナが切れる。

 自宅まで残りわずかの距離を自転車立ちこぎして、ゼイゼイとあえぎながら坂を一気に上った。

 誰も待つ人のいない家だけど、天国からあんずさんが見守っていると信じている。


「あれっ、錆びて堅くなった家の門が開いている?」


 築五十年以上経つボロ屋敷は、鉄製の両開き門の右側が錆びて動かず、自転車一台やっと通れる幅しか開かない。

 それが今、何かを招き入れるように門が両方大きく開け放たれていた。


(誰かか勝手に家の門を開けたの?)


 不安にかられた七海は、自転車から降りないまま門に突進すると……。

 ぐにゃりっ。

 柔らかくて厚みのあるナニかを、思いっきりタイヤで轢いた。



  ***


 

「も、もしかして私、庭に住みついている猫ふんじゃった?」


 顔面蒼白になって自転車から降りると、震える手でスマホのLEDライトを点けて自転車で踏んづけた場所を照らす。

 するとそこには子猫ぐらいの大きさで、人情ドラマのラーメン屋親父そっくりの小さいおじさんが倒れていた。

 しかも小さいおじさんのお腹には、くっきりと自転車のタイヤ痕が付いている


「ひぃいっ、本当に小さいおじさんが出たぁ!!」


 七海は驚いて腰が抜けたようにしゃがみこんだが、気を取り直し小さいおじさんに触れようと恐る恐る手を伸ばす。


「小さいおじさん、ピクリとも動かないけど、まさか、しし、死んじゃった?」


 七海は小さいおじさんの白髪交じりの頭を指先で押すと、小さいおじさんは眉間にしわを寄せ、『うぐぅ』とくぐもったうめき声を上げる。


「良かったぁ、小さいおじさん生きている。どこか怪我をして、ふぎゃあっ!!」


 すると突然小さいおじさんが目を見開くと、身体をエビぞりにして勢いよく飛び跳ね、次の瞬間七海は額に衝撃を感じて目の中にチカチカと白い星が散る。


「コラっ娘、ワシを殺す気かぁ!! どこを見て自転車を運転している」

「い、痛ーーい、額に大きなコブができたっ。えっ、小さいおじさんがしゃべっている?」


 頭突きを喰らった七海は、痛む額を押さえながら目の前で仁王立ちする小さいおじさんを見つめる。

 

「ごめんなさい、暗くて前がよく見えなかったの。でもここは私の家よ」


 妖精なのか妖怪なのか分からない小さいおじさんに言い返すと、七海の顔をみた小さいおじさんは目を見張った。


「おおっ、あんずさん。会いたかったよ。

 ワシはあんずさんに何か悪いことでもあったのかと心配になって、遠い海の向こうから駆けつけたんだ」


 そこまで言うと、小さいおじさんは力尽きたようにパタリと倒れてしまった。


「小さいおじさん、まさか私を祖母あんずさんと勘違いした?」


 倒れた小さいおじさんを摘んで手のひらに乗せると、小さいおじさんの身体から奇妙な音が聞こえる。

 ぐる、ぐるぐるっ、きゅる、グーグー


「もしかして小さいおじさん、お腹が空きすぎて倒れたの?」


 自宅玄関先で腹の虫を泣かせながら気を失った小さいおじさんを、七海は放って置くことはできなかった。



 時間は深夜十二時半を回る。

 仏壇前に置かれた座布団の上に小さいおじさんを寝かせると、七海はスマホをタップしながら台所に向かい、おもむろに冷蔵庫を開いた。


「小さいおじさんって妖怪、それとも人間? 何を食べるのかネットで調べたけど全然情報が無い」


 そう愚痴りながら冷蔵庫の中を覗いた七海は、がっくりと肩を落とす。

 一週間前に電気が止められて冷蔵庫の食材が全滅したので、今あるのはビールと栄養ドリンクと調味料、冷凍庫には鮭の切身が一枚だけ。


「最近はコンビニ弁当と居酒屋まかないで済ませているから、全然食材が無いよ」


 戸棚の中を漁ると、買い置きしたレトルト食品≪火を噴く辛さ五倍レトルトカレー≫≪ハバネロ増し増しカップ麺≫が出てきたが、痩せて弱った小さいおじさんに刺激物は食べさせられない。


「とりあえずお粥を炊いて、鮭の切り身をトッピングすれば大丈夫かな?」


 七海はあまり料理はできないが、ご飯を炊くのだけは得意だった。

 微妙な水加減かそれとも米のすすぎ具合なのか、七海の炊いたご飯はふっくらと粒が立ってピカピカに光っていると、いつもあんずさんに褒められた。

 土鍋に米と多めの水を入れて、火にかける。

 お米を炊いている間に、鮭を焼いて箸で骨を取り除きながらほぐす。

 お粥ができたら、真っ暗な庭に出て蚊に刺されながら雑草と化した大葉を採っり、細かく刻んでほぐした鮭と一緒にお粥の上に乗せた。

 そして仏壇の前に置かれた座布団の上に寝かせたいる小さいおじさんのところへ、お粥を持ってゆく。


「あれっ、座布団がびしょびしょに濡れて……小さいおじさんが泣いている」

「うおぉおーん、ワシがほんの少し日本から離れている間に、あんずさんは亡くなってしまったのか」


 あんずさんの写真に手を合わせながら、滂沱の涙を流す小さいおじさん。

 仏壇にはあんずさんが大ファンだった、大リーグ野球の日本人選手ニチロ―のグッズが飾られている。


「小さいおじさんって、もしかしてあんずさんの膝枕でひなたぼっこしていたぽっちゃり妖精?」

「そうじゃ、清らかな霊力を持つあんずさんは、ワシをこの世に権現(ごんげん)させた。しかしあんずさんが居なくなれば、ワシの力も失われてしまう」


 あんずさんの側にいたのは福福と肥えた金色の人型だった。

 あんずさんが一人分多く買ってきた果物やデザートを食べて、小さいおじさんは太っていたのか? 

 でもあんずさんが亡くなると、小さいおじさんも痩せて衰えた。


「うっうっ、グーグー、うぉうぉっ、ぎゅるぎゅるっ」


 小さいおじさんの泣き声と、腹の虫の鳴き声がデュエットしている。

 見かねた七海は、お盆の上に乗せたお粥を小さいおじさんの目の前に置いた。


「小さいおじさん、あんずさんのために泣いてくれてありがとう。泣きながらでいいから、ちゃんとお粥を食べて」

「はふはふ、ふぅふぅ、この柔らかくとろけるような舌触りは、あんずさんの作る粥と同じ味がする」

「だって我が家のお米はずっと同じ銘柄だし、ご飯の炊き方はあんずさんから習ったの」


 小さいおじさんはすすり泣きしながら、どんぶりに入ったお粥をスプーンですくって食べる仕草をする。

 でも小さいおじさんがいくら食べても、お粥の量は減らない。


「そういえば娘、お前はとても貧乏臭い顔をしているが、少しだけあんずさんの若い頃に似ているのぉ」

「私の顔が貧乏くさいって、本当に失礼な小さいおじさんね!!」


 一言多い小さいおじさんは、食事を終えて満足そうにスプーンを置く。  


「取り乱して申し訳ない、このたびはご愁傷様でした。最後にあんずさんの仏壇に手を合わせられて良かった」


 小さいおじさんはかしこまって深々とお辞儀をするので、七海も居住まいを正すと頭を下げる。


「あんずさんがいない今、ワシが現世に留まる理由はない。では娘、ワシがあんずさんに預けていた道具を返してもらおう」

「返してと言われても……私あんずさんから何も聞いてないし、小さいおじさんの持ち物なんて知らないよ?」


 七海はあんずさんの持ち物を見ると幸せだった日々のことを思い出してしまうので、遺品には一切手を触れていない。

 それに毎日忙しくアルバイトに追われる七海は、家の整理整頓を完全に放棄していた。


「小さいおじさんが預けた荷物って、どんなもの?」

「お前はあんずさんから受け継いだ霊力がありながら、ワシの足りないモノが分からないのか?」


 突然そんなことを言われても、七海が小さいおじさんとまともに話すのは今日が初めてだ。

 痩せてくたびれた雰囲気の小さいおじさんは、胸元の合わせが大きく開いた赤い上着と横幅のあるだぼだぼのズボンを履いている。


「ワシの身体からあふれ出る高貴なオーラを見て、何も感じ取れないとは情けない」

「うーん、高貴というよりちょっとワガママなオーラを感じる」

「ワシがあんずさんに預けたのは帽子と小槌と福袋。それがこの家のどこかに仕舞われているはずだ」

「小槌ってなんだろう、英語だとハンマー。そうか、小さいおじさんの正体は、人間が寝ている間にこっそり仕事の手伝いをする靴屋の小人ね」


 七海が納得したようにポンと手を叩くと、小さいおじさんは呆れ顔で首を振った。


「どうしてワシがあくせく働いて人間の手伝いをする必要がある。ワシの役目は、人間が捧げた料理を食べることだ」

「そういえば小さいおじさん、食事は終わったの? お粥の量が全然減ってないけど」


 小さいおじさんは鮭と大葉がトッピングされたお粥を食べる仕草をしていたけど、お粥はよそおった時の状態で冷めている。

 小さいおじさんの食事は直接モノを食べるのではなく、目で食べる、霞を食べるような感じだ。

 

「ごちそうさま、ワシは満腹じゃ。残りは娘が食べるがよい」

「もう真夜中だけどお腹も空いたし、お言葉に甘えていただきます」 


 スプーンで一匙すくって口に運ぶと、久々にちゃんと炊いたお粥はトロリと甘く優しい舌触りで、仕事に疲れた七海の五臓六腑に染み渡る。

 

「自分で炊いたお粥美味しい。最近忙しすぎて食事が手抜きだから、ご飯だけはちゃんと炊こう」

 

 七海がしみじみとお粥を食べている側で、小さいおじさんは忙しく部屋の中を動き回る。


「ワシの小槌はどこにも無いぞ。娘よ、それを食べたら早くワシの荷物を探してくれ」

「小さいおじさん、もう夜遅いから捜し物は明日の朝にしよう」

「なんだかお前は、ワシの捜し物をするのを嫌がっているな」

「そ、そんなことないよ。小さいおじさんも疲れているから、この座布団の上で眠っていいよ」


 七海は小さいおじさんから目をそらすように立ち上がる。

 小さいおじさんは七海に言われたとおり、あくびをしながら座布団の上に寝転がる。


「少し湿気た寝床だが仕方ない、本当は糊のきいた清潔なシーツと羽布団で寝たいのだが。毛布の代わりにこれを被ろう」


 畳の上に落ちていた花柄の布地を毛布代わりにしようとした小さいおじさんを見て、七海は悲鳴を上げる。


「きゃあーーっ、小さいおじさんちょっと待って。それ私のショーツ!!」

「なんだと、娘は下着を部屋に脱ぎ捨てるのか?」

「違いますっ、それ洗濯済みだから!! 女子の一人暮らしは下着を外に干せないから、室内に洗濯物を干していたの」


 ピンクの花柄ショールを広げてマジマジと見る小さいおじさんから、七海はショーツをひったくる。

 部屋の中を見回せば、もう真夏なのに分厚いダッフルコートやモヘヤのセーターが鴨居にひっかけられたままになっている。


「娘よ、なぜ冬服をタンスに仕舞わない?」

「それは仕事が忙しくて、家の片づけする気力無いの。待って小さいおじさん、隣の部屋を覗かないで!!」


 霊感の優れた七海は、無意識のうちに小さいおじさんの次の行動が読めたが止めきれない。

 小さいおじさんがすっと手をかざすと、二間続きの仏間の中央で仕切られた障子が、まるで自動ドアのように開く。

 隣の部屋は山積みになった服や下着やバスタオル、雑誌や空きダンボールが放置されて、完全物置状態になっていた。


「こんなガラクタの中から、ワシの荷物を探し出せるのか?」

「とにかく仏間の片付けるから、小さいおじさんの荷物もちゃんと探すから!!」


 結局七海は冬服を片付けて押入に押し込んだりして、深夜から大掃除をする羽目になる。

 途中睡魔に襲われ二階の自分の部屋に戻る気力もなく、畳の上にバスタオルを羽織って寝てしまった。




 同じ時間。

 深夜の国道を走る高級ハイブリット車は、広い交差点の手前で路肩に停車した。

 右手に黒い布張りのアタッシュケースを抱えた男性が、車から降りると周囲を見回す。

 交差点の信号の先に見える住宅街の背後には、うっそうとした竹林がある。

 月のない暗い夜、恵比寿青年は何かを見つけたように目を細めた。



 ***



 朝は鳥のさえずり……ではなく、真夏のけたたましい蝉の声で目を覚ます。


「おはよう七海、雨戸を開けろ。もう朝じゃ、ワシはお腹が空いたっ」

「むにゃむにゃ、昨日は夜遅かったからもう少し寝かせ。きゃあっ痛い、耳を引っ張らないで」


 耳をつねられた痛みに驚いて飛び起きた七海の頬には、畳の後がくっきりと付いていた。

 雨戸の隙間から朝の日差しが差し込んでいる。

 久しぶりに仏間の雨戸を開けると、雑草の生い茂る庭を見た。

 閉め切った部屋の中を光が照らしキラキラと埃が舞い、小さいおじさんがドラマの姑のように人差し指で床をこすると、指先についた汚れを見せた。


「あんずさんがこの汚れた家を見たら、ガッカリするだろうな」


 確かに七海は家の掃除をさぼりまくっているが、小さいおじさんに嫌みを言われれば、言い返したいことがある。


「だってこの家は、私ひとりで住むには広すぎる。二間続きの仏間に客室にあんずさんのお部屋、広い台所とトイレとお風呂。二階は洋間三つにトイレ。7LDKの家を私一人で掃除するのは大変なんだから」


 そんな言い合いをして気がつくと、時計の針は7時55分を示していた。

 深夜の掃除と寝汗にまみれた七海は、烏の行水でシャワーだけで済ませると、乾きにくい長い髪にドライヤーをかける。

 時間はあっという間に8時20分。

 店に15分前に到着して9時ちょうどにディスカウントストアの入口シャッターを開けるのが、七海の朝の仕事だ。

 バーゲンセールの日は、チラシ限定商品を求めて開店前からお客さんが待機することもある。


「コンビニに寄って朝食のサンドイッチ買うつもりだったのに、全然時間がない」

「もしかしてワシも朝ご飯抜きか? ワシの仕事はご飯を食べることだぞ」


 そんなこと言われても冷蔵庫の中は空っぽで、今から朝ご飯を作る時間なんてない。

 文句を言う小さいおじさんに、七海は昨日居酒屋の常連さんからいただいた蜜柑を渡す。


「ちょっと時期の早い、ハウス栽培の温州ミカンよ。小さいおじさんのサイズならミカン一個でお腹いっぱいでしょ」

「ワシ小さくての可愛らしい手では、ミカンの皮はむけない。娘よ、ミカンの皮をむいてくれ」

「もう、朝は忙しくて、本当に時間が無いのにっ!!」


 七海はミカンの皮をむきながら、今後のことを考えた。

 七海が仕事に出かけている間、小さいおじさんを家に留守番させて熱中症防止に家のクーラーをつけっぱなしにしたら、今月の電気料金がとんでもないことになる。


「こうなったら……小さいおじさんもお店に連れて行こう」

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