第28話 爆弾

最後のパネルは「浅野真一」だったか。ただ、今わかったところでもう遅い。タイマーは刻一刻とゼロに近づいていく。現に残り時間20分を切っている。


俺は縛られた足で地面を蹴り、後ろに下がっていった。椅子が壁にぶつかるまで下がった。なるべく爆弾から離れたかったが、この事務所自体、10平米あるかないかの狭さだ。

この爆弾の威力がどのくらいのものか、わからないから、壁際まで逃げたところで、助かるとも限らない。むしろ中途半端に爆撃を食らって、頭の一部が吹き飛ぶとか、下半身が吹き飛ぶとかで、意識だけあったりする方が怖い。


タイマー15分を切った。


俺は今度は、縛られた足で、前に移動しようとした。後ろに退がるのと違って、前に移動させるのは難しかった。椅子の脚が、地面に突っかかって、倒れそうになる。


ここまで、俺は冷静かというと、かなり乱れていた。何か叫んでいるのだが、自分でも何を言っているのかわからない。妻と娘の名前を叫んでいたのかもしれない。お母さーん、と叫んでいたかもしれない。


涙や涎や洟水で顔中グシャグシャになって、どれが涙で、どれが涎で、どれが洟水なんかはわからない。どれも自分の体から出ている同じ成分だからとか関係ない。拭きたいが、手が縛られているので拭けない。小便も漏らしていた。


俺は、こんな姿誰にも見られたくないと思うと同時に、誰でもいいから助けてくれ、と叫んだ。


どうせ死ぬなら、一瞬で死にたい。小便で濡れた靴でなんとか爆弾に近づき、爆弾を覗いた。高校生の時に毎日持って行ったアルミの弁当箱のようなものにタイマーが乗っていた。

やはり爆弾を間近で見ると、離れたくなる。ものすごい勢いで心臓がなっていた。人の一生で心臓の鼓動の数は決まっているらしい。死を間近にして、残りの鼓動を一気に打っているようだ。心臓が肋骨を打ち付けている。膝が、大袈裟に貧乏ゆすりをしているかのように勝手に上下に動く。


タイマーは残り5分。


俺は残り5分叫び続けることに決めた。目を瞑って、叫び続ける。爆発音を待つのは怖い。とにかく叫び続ける。もう5分経ったかと、薄眼で覗くと、まだ2分もある。


もう2分しかないというところで、他に手立てはあったんじゃないか、ちゃんと最後まで手を尽くしたのか、と思ったところで、どうにもならない。ただあと2分間、叫び続けしかできない。今まで、諦めが早く、投げやりでちゃんと考えてこなかった。俺は生まれた時から死ぬ直前まで、なんの成長もしてなかったのかもしれない。


叫び続けるというのは、やってみると意外に大変だった。もう声がかすれて出ない。でもあと2分だ。それくらいやり切って死ぬ、というわけのわからない使命感で俺は叫び続ける。顎を上げ、足をバタバタさせ、首を左右に振り続け、力の限り叫ぶ。


どんな状態で死のうが、結果は爆弾で死んだ奴なのだ。


もう叫ぶことにも疲れた。まだ2分経たないのか。


俺は1番目を開けてはいけないところで、目を開けてしまった。


残り5秒。


急いで硬く目を瞑るが、心の中でカウントしてしまう。


4、


3、


2、


1、


パンッ!



乾いた爆発音に、火薬臭い焦げた匂い、爆風は俺の前髪を揺らす程度だった。


目を開けると、弁当箱みたいなアルミの蓋が開いて、


:記事にしないでね:


と書かれた旗が立っていた。


完全に、おちょくられた。俺はあの若造に騙されたのだ。


自分自身の姿を見る。大の大人が涎の糸を引き、小便を漏らしている。全身から力が抜けた。すると、手首を縛っていたネクタイが、ストンと床に落ちた。大して硬く縛られていなかったのだ。


俺は椅子の背凭れに体重を預け、笑うしかなかった。ポケットに手を入れる。スマホを取り出し、妻に電話をかけた。


俺は、帰ってきて欲しいと言った。


妻は、なに、珍しい、と困惑しているようだが、悪い気はしていないようだった。

雑誌の廃刊のことを伝え、最後の仕事が終わったら、別の職を探してみると言うと、


「アナタらしくない」


という返事だった。その言葉は、安堵しているのか、それとも失望しているのか、多分両方の感情が含まれているのだろうと感じた。


電話を切って立ち上がると、さっきまで余程体に力を入れていたのか、マラソンをした直後のようにフラフラした足取りだった。


爆弾と思われたオモチャの置かれていた横のテーブルに、綺麗に畳まれた着替えが一式、その上に、「もし服が汚れてしまったらお着替えです。それと、もし事務所を汚してしまったら、綺麗にして帰ってください。田中さんに怒られるので」と書かれたメモが乗っていた。


先程まで座っていた椅子を振り返ると、床は俺の小便で汚れていた。


もう1度メモを見た。笑いがこみ上げてくるが、既に笑う体力すら残っていなくて、フフッと鼻から息を漏らすのが精一杯だった。



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