第8話 再会
結局王都に着いたのは、もう夜が明けようかと言わんばかりの時間だった。
とはいえ日が昇っていないのだから当然のように門は閉まっている。かといって一眠りしたら恐らく熟睡してしまうだろう。王に報告をしに行くことを思えばそうできるほどの時間があるわけもなく、まだ火が残る備え付けのランプの近くでタオルケットの上に座り門が開くのをただ待つという、一番やるせない結果となってしまっていた。
マリーアンが一緒であればもしかしたら特別に通してもらえるんじゃないか?という一縷の望みも、にべなく断られてしまってのこの現状である。融通がきかない。
「当然でしょう、私を直接知っているわけじゃないんだから」
当の本人といえば、寧ろ門番を称える向きでいる。そりゃあ確かに赤い髪の赤い目をした女性を赤い服で包めばそれっぽく仕立て上げることもできるのだろうが、そんな事を言いだしたら王だってマリーアンがマリーアンだと判別する方法なんてないではないか。前回魔王が目覚めたのは少なくとも百年以上前の話であって、今の王は生まれてもいない。
そういえばシャオのこともすぐに勇者だって認めていた。ということはなにか特別な力でもあるのだろうか?
「そんなものある訳ないじゃない」
そんな考えをマリーアンは簡単に否定した。何言ってるの、と言わんばかりの表情である。
「魔王が目覚める兆候が見えたらすぐに伝えられるように王様は、というか王家は勇者の家系をずっと把握しているってだけのことよ」
「ずっと?」
それはつまり初代から、ということなんだろうか。いや初代は分かってないことが多すぎるとかなんとか───ともあれ、それなら確かにわざわざ本当かどうか調べなくても済む。
そう考えればシャオの母親と王が知り合いだったというのも特に驚くようなことではないが。
「でもあちこちにお触れを出したって言ってたけど」
とすると今度はそっちが気になった。あれは勇者がどこにいるか分からないから手当たり次第に出したものではなかったのか。
「それはどちらかといえば魔王の動きが活発化しだしている、というのを知らせるためのものなの」
「みんなに注意を促すため?」
「概ねそうね。お触れを出すことで無闇に魔獣が出そうなところに行かせなくする。そして勇者に呼びかけることで、自分たちでどうにかさせないようにする」
小さく頷きながらマリーアンは続ける。
「昔は勝手にどうにかしようとする人も王に苦情を申し立てる人も多かったのよね。だから無駄な混乱を引き起こさないためにも、把握している旨を広く知らせる必要があったの」
この場合の昔とはどれほど前の話なんだろうか。もしかしなくても数百年レベルの可能性もありそうだ、なんてふと思う。
「色々あって今の形に落ち着いているのよ───ともあれ、あんたは生まれる前から勇者だったってことなのよ」
「うへぇ」
分かっていたことではあった。あったけれど納得できているかどうかといえばまた別問題であり、それを突きつけられたような言葉に思わず変な声がシャオの口からこぼれて落ちる。
慌てて口を抑えてももう遅い。マリーアンはそんなシャオをきょとんとした顔で眺めて、それから大きなため息をついた。
「あんたほんっとうに自覚がないのねぇ」
ため息と共にしみじみと言われると、言外に「こんな人初めてだ」と言われているような気になってしまう。それはそうかもしれない。いや、本当にそうなんだろうか。皆が皆しっかり自覚を持って前向きに勇者を務めたというのだろうか?
そんな訳はないはずだ。そう思いたい。
「早め早めに招集をかけるようにしてる筈だから、昔みたいに当たり前に魔物が蔓延る状況にはなってなくて実感が湧きづらいってのはあるんでしょうけど」
……ただ単に自覚を持たざるをえない状況だっただけなのかもしれない。そういえば5代目辺りは酷い状況だったと聞いたことがある。詳しくないシャオが思い当たるぐらいなのだから、それはもう本当に酷かったのだろう。
「母さ……親がすごく強くって……」
「そりゃ勇者の親も勇者なんだからそうでしょう」
何を当たり前なことを、と言いたげにマリーアンが返す。それは、そう。そうなのだけれど。
「本当にすごく強くて、オレが生まれて成長してからも普通に魔獣退治とかに出かけてたりしてて、全然敵わなくって……」
改めて言葉にすると、なんだか酷く格好の悪い感情のように思えてくる。
いや別に格好いい考えだとか理に適ってる思考だとか思っていた訳ではないのだけれど、思っていたよりもこう、言い訳になっていないというか。……こうなったのはしょうがないじゃないか。自分は悪くない、と思っていたのだけどそうでもなかったような気がしてしまう。
「で、拗ねてたって訳?」
そんなところにトドメの一撃を食らってしまい、シャオの視線が無意識に逸れる。それはそう、なのかもしれない。だけど「そうだ」と認めるには度量も覚悟も器の大きさも足りなかった。
「ま、なんでもいいんだけど」
言った方はにべない態度であった。その言い方が本当にどうでも良さそうで、シャオは視線を戻せないままカチンときてしまう。
「あんたが万が一魔王を倒せたら、そうしたら母親より間違いなく上だってことになるんじゃないの?」
「え」
そんな感情も一瞬のこと。考えたこともなかった言葉に、逸らされていたシャオの視線がマリーアンに戻る。きょとんとした顔をしていた。何を言われているのかすぐには理解できなかったのだろう。そんな自体が起こりうる未来なんて想像がしたことすらなかったのだから。
だけど、もしかして。起こりうる未来は存在するのかもしれない……?
「ま、もっと努力しないとそれ以前の問題になるんだけど」
浮かびかかったシャオの気持ちが見事なカウンターを食らって再びガクリと下がる。森からここまで帰る間というもの、マリーアンに駄目出しをされ通しだったからだ。
「強い弱い以前の話よ。あんなに戦うのが下手くそな勇者初めて。あんたどんだけイジケてたっていうの」
呆れたように言うマリーアンにシャオは反論もできない。それは何人もの勇者と出会ってきたマリーアンの言葉だからであり、それ故に事実なのだろうと認めざるを得なかったからである。
有名な勇者もいれば残念ながらそうでもない勇者もいる。彼/彼女らは華がなかったか実力がそうでもなかったか、もしくはその両方だったりするのだろう。そんな勇者と比べてもなお、と言われたらぐうの音も出ないし反論の余地もない。
「そこはなんとかしないとね」
マリーアンが立ち上がって軽く服の裾を払う。気づけば灯火の火は消えていた。
「取り敢えず王様にお目通りといきましょ」
忘れかけていたイベントを思い出して、気分がさらに重くなった。果たしてぐっすり眠れるのは今日の何時になるのだろうか。
門をくぐってからは本当に早かった。マリーアンは王宮にたどり着く最短の道をちゃんと覚えていたし、門番も衛兵もシャオの顔をちゃんと覚えていたからだ。
最初に通されたときにも随分早いと思ったものだが今回はそれ以上に段取りが早い。予め準備をしていたということなのだろう。
「毎回こんなものよ」
と慣れている魔術師は言う。
形式に拘らないタイプの王様であれば待つ時間すらなかったというから恐ろしい話だ。シャオはそもそも王様に会うことがまだ二回目なのだから切実に願う。心構えをする時間がほしい、と。
程なくして衛兵が二人を呼びに来る。
連れられて通されたのは昨日と同じ広間だった。ただし中の様子は随分と違った。いたのは王、それとシャオに手ほどきをした魔術師シークレー、そして数人の衛兵だけである。
姫はいなかった。それだけで本当にもうこのまま帰りたかった。
「ちょっと」
小声でマリーアンがシャオを突く。また中を見渡すだけで満足してしまっていたらしい。慌てて先導していた衛兵が指し示している位置まで入って行き、マリーアンが半歩遅れて続く。
「よく戻った、勇者シャオよ」
静かな広間に王の声が高らかと響く。後ろでマリーアンが跪いたことにつられてシャオも跪こうとしてしまい、マリーアンに肘で小突かれてシークレーには視線で制された。ああそうだ、昨日言われたばかりだったじゃないか。
なにかまだ忘れていることはないだろうか。何かミスをしていないか。途端にそんなことばかりで頭が一杯になってしまう。
「歴代の勇者と同じように見事マリーアンを連れて帰ったこと、見事に思う」
「はっ、はいっ」
裏返りかかった声に小さな咳払いがかかる。見るとシークレーが渋面を浮かべていた。……いやいつもの表情だったかもしれない。
「確認をしても構わぬな?」
「えっ、あっはいっ!多分!」
そんな問いかけをされると思っていなかったものだから、思わず曖昧な返答をしてしまう。あっと思ったときにはもう遅かった。王の目が丸くなり、そのままフッと微笑んだ。その隣でシークレーが小さく頭を振っている。後ろでマリーアンがどんな表情を浮かべているのかなんて考えたくもなかった。
前言撤回!お姫様がここにいなくて本当に良かった!
「マリーアンよ、面を上げよ」
「はい」
出会ってから今までに聞いたことがないほど真剣な声に、思わず振り返ってしまいそうになる。王はしっかりとマリーアンを見据えているようだ。鮮やかに赤い髪と目の女性。けれどそれだけで彼女をマリーアンだと断定するには弱いだろう。となれば王は何をもってマリーアンをマリーアンだと判断するのだろう?
「うむ。違いないか?」
そのまま問いかけるものだから、てっきり今一度マリーアンに、もしくはシャオに問いかけられたもだと思ったのだ。だから答えるべきなのかどうか一瞬悩んで───果たしてそれは正解だった。答えたのは思いがけない方向からだったのだ。
「はい、何ら変わりない───如何にも我が僚友、マリーアンに違いありません」
「え、なんで」
よどみなく答えるシークレーに疑問の言葉が思わずこぼれた。シークレーの片眉が上がるのが見えて怒られる、と確信した瞬間。
「マリーアン、お主何も言っておらんのか」
「知らないわよ。っていうか、まさかそんなことまで知らないだなんて思わないじゃない」
勢いよく振り返る。目が合った瞬間にマリーアンは美しい顔で楽しげに微笑んだ。視線をシークレーに戻す。目が合った瞬間に深いため息を吐き出された。
「勇者シャオよ。マリーアンとシークレーは第三代勇者と旅を共にした者同士なのだよ」
優しく告げる王に昨日のデジャブを感じたシャオは、どこかに逃げ出したくなる気持ちをなんとか抑えるので精一杯だった。
A nation fuga ! 渡月 星生 @hoshiu
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