第5話 任務
城の廊下は決して暗いわけではない。けれど王がいた広間と比べれば静けさも相まってもの暗さを感じてしまう。扉が開いた瞬間に溢れ出たまばゆさとざわめきは重く厚い扉が閉まってしまえばもう届くことはなく、廊下は再び静寂に鎖される。その中を二人分の足音ばかりがカツン、カツンと繰り返されていた。
シークレーの後をついていけばいいというのは先程まで何をどうして良いのか分からないことだらけであったシャオにとって随分と気を楽にしていられることであったが、その一方では重苦しい空気に押しつぶされそうになっていることでもあった。
王や王妃は偉い人特有の威圧感のようなものを感じられたが、その物腰は柔らかくどこか安心できる雰囲気すらあった。けれどこの老魔術師は違う。
まず先程の声色も口調も素っ気なかった上に表情が窺えぬ顔はいかにも厳めしく恐ろしく、また歩くスピードは老人のものとは思えぬほど速い。それらが合わさり今までに感じたことがないほどの冷たさと恐怖を感じずにはいられなかったのだ。
見知らぬ場所だということもあり静かな廊下がやたらと長く感じられる。この空気の中をどこまで歩くのだろうか、とシャオが不安になり始めたときだった。
「───主、マリーアンのことは如何ほど存じておるか」
静かな空間に、唐突に静かな響きの声が落ちた。それはこの空気にあんまり馴染んでいたものだったから、シャオはすぐに問いかけだと気付けなかった。もう四歩ほど進み、シークレーがゆっくりと振り返って漸くそうだと気付がつくことができた。
「えっ、や……いかほどっていうか……すごい魔術師だってことしか……」
そして答えられることはいくらもない。語り継がれるほど偉大な魔術師だということぐらいしか分かってないのだ。
流石に気不味くてシャオは頭をガリガリと掻く。これはやはり怒られるパターンだろうか。老人の小言は長くてしつこくて嫌なんだよな、なんてことを考えてしまう。
「そうか」
けれど返された言葉はただの一言だけだった。その響きに非難めいたものは感じ取れず、シャオは驚いて再び歩き出した老魔術師の後ろ姿を見つめてしまう。
これはどういったことなのだろうか。もしかして知らないということが正解だったというのだろうか。いやでもそんなまさか。慌てて追いかけながらそんなことをぐるぐると考える。だけど当然ながら考えても考えても答えは出てきそうにない。
「あ「ここだ」
回避できた叱られを受けてしまうかもしれないけれど、と勇気を出して問いかけようと口を開いたのとシークレーが立ち止まったのはほとんど同時のことだった。
変わることのない表情で振り返ったシークレーに、シャオは改めて何か言うこともできず小さく頷くしかできず、扉を開けるシークレーの後ろ姿をただ眺めていた。
中は彼が普段いる場所なのだろう。壁に沿ってぎっちりと並んでいる本棚にはなまくらな剣で殴るよりも痛そうなほど分厚い本がぎゅうぎゅう詰めで並んでいる。大きく広い机の上にも数冊置かれており、なにか道具のようなものも幾つか並んでいた。
全体的に物が多いのに良く整理整頓されており、それはこの老魔術師の気質をよく表しているように見える。
「先程王が仰せられた通り、主にはマリーアンを起こしてもらうことになる」
机に向かい歩きながらシークレーが口を開く。それを聞いてシャオはさっき疑問に思ったことがあったことを思い出した。そうだ、そういえば。
「起こす、ってどういうことなんだ、ですか?」
尋ねた瞬間にシークレーの足が止まり、ゆっくりと視線がシャオへと向けられる。その表情は今までと違いがあるように見えなかったが、なんとなく引け目を感じているシャオは緊張感のようなものも勝手に感じてしまって思わず右手で口を押さえてしまう。
老人の真顔はただでさえ恐ろしいものなのに!
「……本当に何も知らぬのだな」
「すっ、すみませ……」
「よい」
その「よい」は本当に良いという意味のよいなのだろうか。そろっと窺ってみたものの、その表情にはやはり変化が見えない。
「マリーアンは歴代の勇者と共に魔王と戦っているということは知っておるな」
「はい」
知っているのはそれだけだけど、とは言わずに小さく頷く。
「本来は三代目の勇者と旅に出た魔術師であった」
三代目の勇者。それは物語としても伝承としても一番話残されている勇者である。剣も魔法も扱えた勇者は仲間たちと共にあと一歩のところまで魔王を追い詰めたものの、すんでのところで逃してしまったのだという。
勇者の実力と一緒に戦った仲間たちの華やかさが人気の理由だと言われている───が、マリーアンがその時からだというのは知らなかった。
「マリーアンは稀有と呼んで差し支えない程の実力の持ち主であった。故にその実力を周囲も本人も大いに惜しんだ」
「本人も?」
「己が知り得た知識と経験を次の勇者にも伝えたいと考えたのだ。勿論それは記録として残されるものだろうと思われていたのだが───マリーアンの考えは違った。己の肉体の時間を止め、次の魔王の目覚めに備えようとしたのだ」
「え、そんなことできるんですか?」
「……できたのだ。マリーアンだからこそ、成し得たとも言える」
シークレーの視線が少し遠くを見るように動く。
「だが次も征伐なすことは叶わんかった。故にいま一度、更に今一度……───そう繰り返し、残念ながら現在に至る」
遠くを見るようだった視線がゆっくりとシャオへと戻った。
そうしてまたゆっくりと歩きだし、ようやく机の前に辿り着く。
「故に、今もマリーアンは眠っている。それを起こしてきてほしいということだ」
引き出しを開けて中からは小さな瓶を取り出した。そこには赤い液体が半分くらい入っている。それを軽くかき混ぜるように揺らすと、シークレーは僅かに目を細めた。
「これをマリーアンに振りかけてやればあやつは目を覚ます。途中で割ってしまうことのないよう、くれぐれも気を付けよ」
それはすぐに影を潜めていた。まるで変わりなどなかったかのように言葉を続けながら、またゆっくりとシャオのところへと戻り小瓶を差し出す。
如何にもそれっぽい言い回しにシャオはゴクリと唾を飲み込んで小瓶を受け取った。よく見ると中の液体は密やかに光っている。
「……やっぱこれって、割っちゃったらもう起こせないとかそういうものなんですよね?」
「いや、そのようなことは無い」
恐る恐る問いかけたシャオの疑問をシークレーは事も無げに否定する。首を横に振ることすらしなかった。
「必要ならば幾らでも作れるが、その度にここまで戻るのは手間であろう」
「え、じゃあ最初から沢山くださいよ!」
一つしかないものならともかく、幾らでも作れるものならせめて二つ。いや万が一を考えると三つか四つはあったほうが安心できる。
「それでは全く意味がないのだ───シャオよ」
シークレーの声がいっそう低く響いたように聞こえてシャオはビクリとおののいた。その方が楽なのに、なんて言葉は喉の途中で止まって引き返してしまう。
「これは王よりの要請である。どんなに易しくとも謂わばこれは試練である。故にそのようなは甘えは許されぬ」
答える老魔術師の表情にはやはり変化が見えない。見えないのだが楽をしようと思った言ってしまった引け目から、その眼差しは射抜くように鋭く見えてしまってシャオは思わず半歩後ずさった。やはり真顔の老人は恐ろしい!
「王が仰せられたように歴代勇者が皆、一人でこなしたものである。主一人を特別扱いする道理はどこにもあらず、ゆめゆめ楽ができるかもしれぬなどとは思わぬほうが良い」
シークレーの言葉にシャオの顔がピシリと強張る。
言わなくて良かったーーーーーー!!!!!!!と心のなかで思いっきり叫んだ。口にまで出してしまいそうな勢いで叫んだ。雰囲気に負けて流されて正解だったなんて初めてだった!
「マリーアンが眠っているのはここ王都より南西に半日ほど歩いた森の中になる。さほど大きな森ではない故、魔獣に手こずることはないだろう。…───それと、」
淡々と述べていたシークレーの表情が、僅かに変わる。視線だけで高い天井を見上げるようにして、またシャオに視線を戻し、そうして小さな小さなため息を一つ、ついた。
「───恐らく、だが。何を言われても気にするではないぞ」
僅かに眉を下げて付け加えられたその言葉は。それそのものが気になって仕方がない類のものであった。
なんやかやでシャオが王宮を出たのは太陽が真上に昇る頃になっていた。王宮にいたのは二時間あったかどうかというところであるが、その半分は長い廊下と王宮らしさとは程遠いシークレーの部屋だったせいで王宮にいたという実感はあまり持てず、部屋の前で待機していた衛兵にさっさと出口まで案内してもらったお陰で感慨も薄い。ただ「やらなくてはいけないこと」だけはしっかり握らされてしまっている。
「……。行くかぁ」
そこはかとない既視感を覚えつつ、ため息をついて歩き出す。日はまだ高い。まっすぐ向かえば日が落ちる前には森に辿り着けるだろう。
伝説の魔術師さえ起こしてしまえば後はどんな魔獣がどれだけ出てきたところで恐るるに足りず!のはずだ! うん、よし。
気を取り直して、ついでに昼飯でも食べようかと通りの店に目を走らせる。そろそろ丸一日をビスケットで凌いでいることになる。それはなんとも味気ないものだったし、何よりせっかく王都に来ているのに美味しいものの一つくらい食べておかなくては勿体無いどころの騒ぎではない。おまけにあいつらに自慢できるネタも減ってしまう。
取り敢えず、と良さそうな店を見つけて覗き込む。───と、店頭に置かれていたメニューが目に入った。
…………。値段のケタが一つ、違う?
「どうぞー、いらっしゃいませー! お一人ですか?」
「いっ、いやっ! 違う、違います!! 見てただけで違いますっ!!!」
目敏くシャオを見つけた店員に勢いよく首を横に振って答えて慌てて走り去る。
払えない金額ではなかった。だけど払ってしまったらこの先きっと困ったことになるのは火を見るよりも明らかだった。なんだあれ。王都こわい。
大きな門が見えてきたぐらいで足を止めて、人の流れに押し出されて道の端に辿り着くとふーっと深く息を吐きだした。そのまま深呼吸を一回、二回。呼吸が整ったところで緩く頭を振ると、また歩き出す。
そうして門近くで見つけた良心的な───村のものと比べると少しお高い───値段のパンとハムを買うと、それを片手に大門を潜ったのだった。
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