第2話 魔獣

 この大陸は東西と南の三方を山に、残る一方を海に囲まれている。その内部が国と呼ばれ、中心部分には王が住まう王都があった。

 王都からはたくさんの道がのびていて、それらは数々の街や村に繋がっている。つまり道を辿れば必ずどちらかに着くようになっているのだ。

 これには理由がある。魔獣と呼ばれる、魔王の力を帯びて変化してしまい人を襲うようになってしまったそれらは森や山奥など鬱蒼とした暗いところからやってくることが判明しているからだ。恐ろしく強い魔獣ほど闇の中を住処とし、陽の当たる場所には出てこない。だからこそ人間はいつしか国の中央に寄るように住まうようになり、そこから外れるような道を作らなかった、というものである。

 もちろん全く何も出てこないわけではない。が、基本的にそれらは落ち着いて対処をすれば問題がない魔獣ばかりだ。


 そう、基本的には───




 村を出たシャオは小一時間ほど歩いたところで魔獣と戦っていた。その魔獣は名前を持たない。いや、人間たちの間で呼ばれる名前を持たない、と言ったほうが正しいだろう。魔獣内のそれらの生態など人間に知る由もない。

 とはいえ幾つかの魔獣には人間が勝手につけた名前があった。それらはどれも強く恐ろしく危険な魔獣であり、人間内で情報を共有する必要があったからで、つまりシャオが今戦っている魔獣は強くも危険でもないということの証明でもある。

 それは定まった形を持たず、そのせいか鈍く這いずるような動きしかできないものだ。対象に覆い被さりゆっくりと溶かしながら捕食する性質があるのだが、あんまり鈍いものだから人間が被害に遭うことは滅多に無く、家畜ですら稀に蹴り殺してしまう事もあるほどである。

 問題はそれの内部にある核を壊さねば倒すことができないということであり不定形故に核の場所も一定しないということだ。がむしゃらに叩いて偶然壊すことができれば剣の心得などなくとも倒すことができるが、それは運次第とも言える。魔術が楽に使える者であれば問題などないのだが、そうでない者は核を探し出すことに苦労する羽目になる。そしてシャオは後者であった。

 全く使えない、というわけではない。わけではないが、魔術を一つ使う間に十回はそれを叩くことができる程度でしかない。ともなれば「十回の間に叩き潰せるに違いない」という考えに陥るのもむべなるかなであるのだが───


「あ゛ー!! こいつのどこなんだよ!!」


 14回目の殴打も失敗したシャオは天を仰いで吠えていた。ここまで当たらないことなんてそうない……とまでは言わないが、流石にちょっと酷い確率だ。折角の門出に縁起が悪いではないか。

 こうなったら今からでも魔術を使うしか、いやでも次こそはいけるのではないか。そんな気がしてくる。シャオはもう一度剣の鞘を振り上げて、勢い良く叩きつけた。……それは動きを止めることなくゆっくりと這いずってシャオに巻き付こうとする。


「あ゛ーーー!!!!」


 ……退治まではもう少し時間がかかりそうだった。




 それからもう、暫くの後。王都まで半分ほどのところまで歩いたところで周囲が薄暗くなってきた。日没が近いのだろう。シャオは足を止めてこの辺りで一夜を過ごすことにする。

 本来ならば夕暮れ時には王都に着いてもおかしくない程度の距離なのだが、村を出る際に少々グズグズしていたのとあの魔獣に足止めを食らってしまったのが敗因なのだろう。目的のある外出だったし放っておくべきだったのかもしれない。そもそもシャオとしてもあまり構いたくない魔獣だったのだが、仮にも勇者とされる人間が魔獣を見過ごすのはどうかと思ってしまったのだ。そしてもしそうしたとしてそれが万が一にも母親の耳に入ってしまったらと思えば更にそんなことはできなかった。


 ───よって、このザマである。


「野宿かい? 遠くには行くなよ」


 灯人が荷物を下ろしたシャオに声をかけた。

 彼らは道に備え付けられたランプに火を入れる役割を担っている。暗いところで蔓延る魔獣は、やはり夜には我が物顔でひらけた場所をも歩き回る。それでも街や村に大きな被害が無いのは、それらが日の光と同じように火の光も恐れるからであった。実際に恐れているのかどうかまでは定かではないが、力ある魔獣がやって来なくなるのは事実である。灯人はこの地で生活するにはなくてはならない存在だ。

 この時間帯に働くが故に危険も多い。だがその分収入も多い、らしい。


「はーい」


 そんな灯人にシャオは「分かってますよー」と「ありがとー」を籠めながら手を振った。そして荷物に手を突っ込んでタオルと携行食であるビスケットを引っ張り出した。荷物の中には数日野宿をしても差し支えないだろう量の携行食が入っている。 

 ……もしかしたらここで遠く彼方に逃げてしまっても大丈夫なのではないだろうか。そんな誘惑がシャオの脳裏を一瞬掠めたが、すぐに母親の顔が浮かんで頭を激しく横に振った。母親の無念も自分の義務もさることながら、母親の怒りが何より一番恐ろしい。

 シャオはビスケットを水筒の水で流し込み、ランプの近くに生えている木の根本にブランケットを巻きつけながら寝転んだ。星がよく見える空の遠くでは夜鳥がホウゥホウゥと鳴いている。明日中には間違いなく王都に着けるだろう。そうして王様に会った後にはやはり魔獣退治に励まなくてはいけないのだろうか。そして本当に魔王と戦わなくてはいけないのだろうか。やっぱり逃げ出した方が賢明なのではないだろうか───…

 そんな事をつらつらと考える内にシャオはいつの間にか眠ってしまうのだった。



「う……ぅ」


 有無を言わさぬ朝の光を浴びてシャオは小さく唸りを上げた。まだ早いじゃないか、もう少し寝かせてくれ……そんな思いでブランケットを引き上げたところでそれが柔らかでよく馴染んだ自室のものとは違うことに気がついて薄目を開けた。眩しい。ああそうか、そうだった。ぼんやりと昨日のことを思い出してシャオはゆっくりと上体を起こす。体が痛い。

 野宿にはそれなりに慣れているつもりだった。特に夜が短いこの時期には、友人たちとよく家を抜け出してなんだかんだと騒ぎながら一夜を明かしたものだ。そして親に見つかるまでがワンセットだったりもした。

 けれど昨夜は遊び明かしたわけでも語り明かしたわけでもない、一人きりのなんともつまらない野宿だった。こんなことなら誰か一人くらい無理矢理引っ張ってくるんだった、なんて真剣に後悔しながら伸びをしてから水を一口飲む。ランプにはもう灯が点いていない。時期によって夜の長さは変わるものだが、長さによって油の量を変え、明け方に灯を消して回らなくても良いようにしているという訳だ。


「……行くかぁ」


 諦観の気持ちを存分にこめたため息を一つ吐く。空は今日もよく晴れていて遠くの山々までよく見える。あそこにはきっと魔獣がわんさかといるのだろう。それらを、魔王をどうにかしなくてはいけないのだ。

 会ったこともない王様の顔を勝手に思い浮かべて勝手にげんなりすると、引っ張り出したビスケットを呑み込んでブランケットを畳み始めるのだった。

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