第17話 五七日(十二月十三日~)
「目覚める前、あなたは泣いていたわ」
真っ白な病室で、穂乃果がぽつりと言う。
「泣いて……悲しんでいた、ということですね」
「そうね。そうなる。思い出せたのかしら?」
「どういう気持ちになるのかは、分かりました」
みずなは胸に手をやる。
思考の流れを追想することは出来た。夢の中で体験したことを思い出すことも出来た。
散々叫んだ記憶が淡々と流れている。そこにみずなは強烈な違和感を覚える。
足りないことがはっきりと分かる。激しい表現に呼応する気持ちが、欠落していることが今なら分かる。この記憶が泣くという出力に繋がらないことに、疑問を抱くことができている。
「……青葉ちゃんに謝らなきゃいけません」
そうした自分の特性が、青葉を傷つけていたことに気づいた。淡々とした様子だった青葉が抱えていた怒りに気づくことができた。
じっとみずなのそばに居続けてくれた、青葉の気持ちに気づくことができたのだ。
「それで、好きだったって伝えなきゃ。ずっと前から。死んじゃったから好きなわけじゃなかったって、青葉ちゃんに伝えないと」
今際の際に見る光景であるという彼の川で、みずなが思い出したのは青葉のことばかりだった。人生の幕引きにみずなが求めたのは、青葉との思い出だった。
その思いが、みずなをこちら側へと引き戻したのだ。
伝えたい、一刻も早く。
「怒っているなら来ないかもしれないですけど、青葉ちゃんはここに来ませんでしたか? 私はどの位眠っていましたか。今日は何日ですか? あれから青葉ちゃんと会いませんでしたか?」
青葉に会いたい。その願いへの進路にあった現状への疑問を全て吐き出し、穂乃果を見る。
穂乃果の様子に違和感を覚えた。すぐにそれは、穂乃果が、見慣れた温かい微笑を浮かべていないせいだと気づく。
人から笑顔が消えるのがどういうときか、みずなは目撃していた。良くないことが起こっているか、あるいは穂乃果の中で渦巻いているのだ。青葉について。
「聞かせてください。青葉ちゃんにかかわることは、全部」
身を乗り出したのを穂乃果が制する。みずなが座り直すと、穂乃果は目を固く閉じた。
「落ち着いて聞いてね」
「はい」
穂乃果の深刻な表情を、受け止めた。
「……今日は十二月十三日。あなたは二週間と少し眠っていたことになるわね」
二週間。その言葉の持つ意味が、少し遅れて意識に叩き込まれる。
「……! 法要が飛んでる」
息を呑むみずなを、穂乃果は制した。
「それはもう過ぎたこと。仕方ないわ。それについては後で話す」
みずなは気持ちを鎮める。穂乃果がまだ沈痛に俯いているからだ。
必須とされた法要が飛んでいる。それ以上に重要な本題。
「来たわ。小日向さんは」
絞り出すように穂乃果は言った。
「何て言ってましたか?」
「……言葉を交わすことすら、出来なかった」
そのとき、「痛」と穂乃果が呻いた。彼女の右手はもう片方の腕を押さえていて、袈裟から覗く左腕には分厚く包帯が巻かれていた。
「それはどうされたんですか」
「霊障に」
「霊障に?」
穂乃果が目を閉じて決意を固めるのをみずなは見ている。びゅう、と風が鳴る。
やがて穂乃果は目を閉じたまま、ほとんど囁くように呻いた。
「そう。小日向さんの、ね」
「……青葉ちゃんが霊障を?」
「ええ。大きな歪みだった。窓ガラスがはじけ飛んで、蛍光灯がバラバラ降ってきて、辛うじてそれだけで済んだ」
穂乃果は首を振る。
「もとになった想いが、それだけ強かったのね」
「抑え込んだというのは。青葉ちゃんは今どうなっているんですか」みずなは即座に尋ねる。
穂乃果は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに毅然とした力強いまなざしで頷いた。
「小日向さんは今、彼女の想いの根源に縛り付けられているわ」
みずなは頷く。
「想いとは、心とは、体験の積み重ねによって出来上がるものだわ。そしてそのルーツを、心は記憶している。霊体が体験したことの無い場所に存在できないのはそのせい」
「はい」
「霊体が体験の根源だと――つまり、自分のルーツだと思っているところに、霊体は強く引き付けられる。それが忌を結びたいと願った相手――たいていは一番大事な人。そして一番大事な場所。それに引き付けられる力を利用して、私たちは霊体を縛ることができる。あなたのそばに、縛ったようにね」
「では、今は場所に縛ってあるということですね?」
みずなは身を乗り出す。
「そう。ただ、その場所が――」
「分かります」
即答する。
「大丈夫です。分かります」
唖然とした顔の穂乃果と目が合う。
「あなた……」
「青葉ちゃんにとって一番大事な場所なら、分かります。青葉ちゃんは私との体験を、一番大事に思って、来てくれた。それなら、私たちの体験の源は。そこしかありません」
みずなはうつむく。青葉を思う。
「私の実家です」
「なぜ?」
穂乃果が慎重に尋ねてくる。
みずなは回想をかみしめながら言う。
「告白されたのが、そこだったので。私たちはそこから始まったんです」
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