29. 真実『白き菊《キク》』

 その村には、キクが――白いキクが、ちらほらと咲き始めていた。

 弔事ちょうじに使われるお花としてのイメージも強く、少し不吉な印象のお花。


 その、花言葉は――



     ◇     ◇



「………………」


 言葉を、失った。

 男性と別れ、言われた方角へと歩を進めるていると――唐突に世界が、色を変えた。

 以前にも森林がない地域は見た。その時も不自然だ、不気味だ――そんな風に感じたが、ここはその比ではない。

 ここには……。生命の息吹を全く感じられない、限りなく濃い鈍色にびいろの地面が剥きだしになっている。

 おそらくこの地に草木が生えることは金輪際無いのだろう。直観的にそう感じてしまうほどに異様な惨状だった。


「――これが……『穴』……?」


 隕石でも、墜ちてきたのだろうか。

 その形は月のクレーターのようにドーム状に、その大きさは現実世界にあるドーム以上に、地面が広範囲に渡って抉れている。

 何が起きたら、こんな有様になる?

 仮に人為的なものだとすれば……誰が、どんな理由で、何が目的で。こんなことをする?


 ――……あまりにも……酷い……。


 あの男性がそう感じたのも無理もない。

 確かにこれは……『絶望』そのもの、だ――。



「――無残なものだろう?」



 突如掛けられた声にも、反応ができない。

 "いつの間に?"、"どうしてここへ?"。当然そんな疑問も浮かびはするが、それどころじゃない。目の前に広がる凄惨な光景に、心が完全に囚われてしまっている。


「ここには……村があった。決して大きくはないが、活気のある……良い村だった」


 しみじみと懐かしむような、哀愁あいしゅう漂う口調で女性が語り始める。

 この人は知っているのだろうか。ここで何があったのかを。


「それを……まさか、冒険者が……?」

「いや。冒険者ではない」


 じゃあ、誰が――そう聞き返そうとするより先に、その人は答える。



「――――私だ」



 驚愕した。呆然としていた意識が一気に覚醒し、ばっと振り向く。


「『』――か?」


 赤い髪の女性は、皮肉めいた笑みを浮かべている。


、『


 きっとわざとだろう。以前にもした遣り取りと一言一句変えずに答えた。そしてその言外に含ませた意味ぐらい、私にだって分かってしまう。

 『魔王ならば、当然の所業だろう?』――悪びれもせず、アズリーさんはそう言ったんだ……。

 未だ現実を受け入れ切れず……声を震わせ、ぽつり、ぽつりと、言葉を紡ぐ。


「…………人は、いたの?」

「ああ。ざっと……五十ぐらいか」

「みんな……殺した、の……?」


 否定せず、ただわらう。それが答えだと言わんばかりに。


「何も……思わなかったの……?」

「貴様らは何かを思うものなのか?」


 とぼけたような、挑発するような口調と仕草で返される。


「思わないはず、ないでしょう……!?」


 まんまと乗せられてしまった私は、声を荒げた。


「あなたが魔王って名乗った時も……何か隠してるって。哀しい目をしていた……けど、どこか優しかった。悪い人には、見えなかった。

 だからきっと、話し合えれば、分かり合えるかもしれないって……そう、思っていた。……なのにっ――!」


 怒りや悲しみが入り乱れた、名状しがたい感情が溢れてくる。目に涙が滲んできて、視界がぼやける。


(――もしかして……)


 不意に、頭に降りて来てしまった。

 認めたくないことが。絶望的な事実が。じわり、じわり……私の心をむしばんでいく。


「覚えているか? 以前貴様は、私の――『ケルベロス』を可愛がってくれたな」


 それは忘れもしない、師匠の命を奪った憎き魔獣の名。

 思い返せばあの時、師匠は確かに言っていた。『魔王直属の魔獣』だと。

 それはつまり、師匠は――この人に殺されたも同然だということ……?


(――この人、は……)


「その際、貴様は何を考えていた?」


 記憶は……曖昧だ。しかしそれはつまり、曖昧になってしまうほどに自我を見失い、灼き尽くされかねない憎悪に支配されていたということでもある。

 仕方が無かった。意思疎通など図れそうもない魔物に、無為に師匠が殺され、次は私も殺される。そう感じてしまったから、身を守ろうと……仇を討とうとしてしまった。


(――あぁ……そう、か……)


「今一度聞こう。――?」


 その時の私のように、この人の心には……憎悪が渦巻いているとでも言うの……?

 この人にとっての、私たち人間という存在は……私にとっての『ケルベロス』と同じだと言いたいの……?


「――だ」


 私の心を見透かしたかのように笑った。不敵、不遜……そんな態度で。



 ――『本当にどうしようもない相手も、いるのはわかっているんです』



 そんな、過去の自分の発言がフラッシュバックする。

 もう逃れようもない。蝕まれていた心は完全に侵され、絶望の色に染まり切ってしまう。



(――この人が……『それ』、なんだね……。)



 この人が、そのどうしようもない相手……『純然たる、悪の存在』。

 そのことに思い当たってしまった時……私の中で、何かが音を立てて崩れ去っていく――。


 喪失感そうしつかんでいっぱいになり悄然しょうぜんとした私に、アズリーさんは尚も言葉を繰り出した。



「そういえば――聞いたんだろう? 貴様の兄に、私のことを」



 兄――その単語を耳にするだけで、胸が熾烈しれつにもざわめいてしまう。この人への警戒心が……敵対心が、留まるところを知らない。


「……聞きました、けど」


 今度は、何を言い出すの……? そう身構えはするが、先ほどの事実を上回るようなことも早々ないとたかくくっていた。聞かせてくれるなら、もうなんだって聞いてやる。そんな風に自棄にすらなっていた。

 しかし彼女はそんな思考を容易く裏切り――私に残っていた信念さえ、粉々に砕かんとして踏みにじってくる。



。――違うか?」



 また私の中で、別の音が鳴った。今度は……ブチッ、と。そんな嫌な音が。

 その台詞の破壊力たるや、完全に打ちのめされきっている私の心では到底耐えうるものではなかった。想いの丈のまま睨み付け、叫喚きょうかんした。


「――……あなたが……兄を……ッ!!」


 思えば、最初からおかしかったんだ。

 あの兄が積みゲーなんてするはずなく、自室にあるゲームを知らないと言う。

 この世界に来ていた痕跡があるのに、本人は未プレイだと言う。

 この人は兄を知っているのに、兄はこの人を知らないと言う。


 そして――あの兄が、ゲームをやめてしまった。


 ここに至ってようやくその全ての合点がいった。

 この人に――『魔王』に、記憶を消され、殺された。

 そういう……こと――。



「そんな目も出来たのだな。それでこそだ、『勇者』」


 くつくつと笑う。何がそんなにおかしいんだと、心が一層煮えたぎってしまう。


「私と戦う気になったら……そうだな。私の居場所はにでも聞け」

「国王様……? まさかあの人も……あなたの仲間なの?」

「言ったはずだ。知りたければ戦え。力づくで聞き出してみせろ、とな」


 ここに来た際にも用いた瞬間移動の魔法なのだろう。その身体が、徐々に透けていく。

 去り際に、さぞ愉快そうに言い残した。



「待っているぞ、勇者よ」



     ◇     ◇



 村に咲いていたお花、白いキク。


 その、花言葉は――『真実』。


 これが……本当に、『真実』なの……?

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