24. 相対『瞳の色』

「上を借りるぞ、マスター」

「お、おう。ごゆっくり……?」


 マジか、といった気持ちを全面に出し困惑してるウォルさん。

 私の方が何十倍も何百倍も強くそう思ってるよ……嘘だと言ってよアズリーさん。

 彼女が階段を登り始め、その後に律儀に付いていく。……ただ単に、無意識にそうしてしまっているだけだ。完全に心ここに在らず。


 初めてこの酒場に踏み入った際、『そういう目』に遭いそうで、酷くびくびくしたのを思い出す。断じてそのような事は起こらず、皆良い人たちで……忸怩じくじたる思いであった。

 その時よりも遥かに強い身の危険を感じる。頭の中の警報器が鳴りっぱなしで、独り脳内会議も慌ただしくやかましい。


(ま、まさか……ねぇ? 相手は……アズリーさんは、女性だもの。同性同士で、そんなことに走ったりは……。い、いやっ……実は男性だったり? はっ、もしかして私が女の子に見えてないとか……?!)


 そんなバカなことを考えていたら、いつの間にやら階段を登り切ってしまっていた。廊下を歩く二人の足音が、静かに響く。

 程なくして、アズリーさんが一室の前で立ち止まった。扉が開かれ、中へと誘導される。


「座ってくれ」


 手振りで示されたのは、ベッドの上。

 二の足を踏むが……無言の圧力(怖くて表情は見てない)に負け、恐る恐るベッドの端へ腰かける。

 一呼吸の後、アズリーさんが少し間をあけて隣に座ると……ビクっとして、胸が早鐘はやがねを打ち始める。


 ……静寂が訪れた。待てども、何のアクションも無い。

 どっくん、どっくん。自らの鼓動だけが私の耳に届く。相手にも聞こえてしまってるんじゃないかってぐらいの爆音に感じる。

 アズリーさんは今、どんな表情で、何を思っているのだろう……。

 たまれなくなり、ついにこちらから口を開いてしまった。


「じ……、じょうだん……ですよ、ね……? ま、まさか……さすがに、ほんとうに、は……――」


 "されないですよね?"……そんな風に続けようとしたら……急に視界が変わる。


 ――私はなんで、天井を見ているのだろう……?


 それはなのだと気づくまでに、結構なタイムラグがあった。


「わっ……! わわた……、わたしっ、そういう趣味とかなくって……いえっ! あのその、そもそも……、そ、そういった経験すら一切なくってっ! ま、まだ、こっ、こここ心のじゅんびがぁぁぁ……っ!」


 両目をぎゅっと閉じ、じったばったと暴れる。しかしとってもか弱いおにゃのこ女の子の私では、覆い被さったアズリーさんの身体を押し退けることなど到底敵わず。


「随分と楽しませてもらったからな。……その礼だ」

「なっ、なに……っ! ――~~ッ!?」


(何が『礼』なんですか、私そーいうの望んでないんですけどぉ!?)


 猛烈な抗議も声にならない。薄く目を開けば、アズリーさんの顔がすぐ眼前にある。あろうことか、そこから更にゆっくりと近づいてきていて……えっ……こ、このままじゃ、キス――


(――……じゃ、ない……?)


 予感が外れ安心したのもつか、私の顔のすぐ横にアズリーさんの顔が降りてくる。さらさらした赤い髪が、私の頬を撫でて……ふわりと香った。

 抱き着かれてるわけでもなく、体の接触はほぼ無い……が。

 いよいよもって俎板まないたの鯉、蛇に睨まれた蛙状態に陥ったような。真綿で首を絞められているような。

 ふと見上げていた天井から、こんな状況に御誂おあつらえ向きな格言を思い出した。


(あぁ……『』んだっけ……アハハハ……)


 もう観念して、なるべく心を無にしよう。その言葉通り、数えてる間に終わっているのだろうから。――そう思っていたら。


「お前が知りたがってた事に、一つだけ答えてやろう」

「えっ……、え? ほんと……ですか?」


 あっ。『礼』ってそういう……? だったら歓喜しちゃう。

 ただそれだと『こんな体勢になる必要がどこにあったんですか』と小一時間問い詰めたくもなるけど……何もせず、何かを答えてくれる、というなら水に流しましょう。


「お前の兄のことだが――」


 その言葉に、ぴくっと耳へ意識が集中される。

 しばしの間の後……一際低い声で、ささやかれた。



「――――私が、殺した」



 身体中の血が、音を立てて瞬時に凍りつく。

 私の正面へと向き直ったアズリーさんと、見つめ合う。

 声を発することも、瞬きすることも……呼吸することすら忘れて。

 時間さえも凍ってしまったかのように……長く、永く――。


「――…………なんで」


 やがて、自然とそんな台詞が口から零れた。


(そう……、なんで――)


「私が、『魔王』だからだ」


 今度は、目を見張る。怒涛どとうの衝撃に頭がつゆも追いついていない。

 その事実、決して看過できるわけもない。


(――けど……。)


「…………なんで」

「……?」


 私は、全く同じ台詞を繰り返した。

 こちらの疑問の意図が分からないと、アズリーさんも黙ってしまう。


(私が、一番に聞きたかったのは――)



「なんで……、そんなに…………?」



 さっきは……ゲームをしている最中は、ろくに顔を見れずにいた。

 今はこうして、至近距離で真っ直ぐに見つめ合っている。アズリーさんの紫の瞳に、私自身が映って見えるほどに。

 だから、わかる。……だと。

 この人の目は、哀しみの色で染まっている。今にも泣きだしてしまいそうに。途方もなく、深い哀しみを背負っているように……。


「――何故……だろうな」


 アズリーさんが、ふっと笑う。寂しそうに。あざけるように。


「知りたければ、戦え」


 元の調子で凛々しく言い放つと……私の上から退き、立ち上がった。

 そして颯爽と身をひるがえし、つかつかと扉へと歩き出す。


「私から力づくで聞き出してみせろ。次はではなく――」



「――『』と、『』として」



 私は何も言えず、出来ず……その背中を、ただ見送るしかなかった。

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