02. 授与『褒美?』
「……
「わっひゃあっ!?」
伸ばした指先がゲームへ触れようとした瞬間、私の名を呼ぶ声がした。それも
……えぇっと、なんでだろうな~……? あっははー。
引きつった笑顔を貼り付け、往生際悪く開いたままの押入れを身体で隠すようにしながら、背後の存在へと恐る恐る向き直る。
その声の主は、兄の
当然と言えば当然なのだけど。ここ、兄の部屋だし。
私よりも頭一つほど高い背丈のはずが、今はそれ以上に大きく感じられた。
普段からぼさっとした髪の毛も、より一層針のように逆立ってる様に思える。が、よくよく目を凝らして見れば、あれはただの寝ぐせかもしれない。
「お、お帰りなさいませっ、お兄さま。驚かさないでくだせーよ……」
先ほど変な声を上げてしまった羞恥心やら、これより始まる惨劇への恐怖心やらで口調がおかしい。
凹み切っていた気分もどこへやら。それどころじゃなくなり、遥か遠くへ吹き飛んでしまった。
「驚いたのはこっちだ。もう盗人家業からは足を洗ったと思ってすっかり油断してたぞ。かれこれ……五十回目の犯行か? 大台に乗ったな、いっそ誉めてやろう」
「さすがにそんな――」
そんなにしていない! と叫びかけて口ごもる。
していない……こともない……? うーん、意外と際どい数字。さすがですお兄さま。
……あれっ? でもそれだとほとんど毎回バレてたってことになりゃしませんか……?
「その栄誉を
「えっ……。なっ、なんでございしょーかぁ……?」
「そうだな……何か言い残すことはあるか?」
なるほど遺言をご所望と仰る。
そんなもんが入用とは、近頃のご褒美って物騒になったもんだね……って
だとすれば、この場を乗り切る手はたった一つだ。この手だけは使いたくなかったが……致し方あるまい。
「……ゆっ」
「ゆ?」
恥じらいを捨て、意を決して……生涯一度きりしか発動できない、私の
「ゆる、して……にゃんっ☆」
全力で猫っぽいポーズをとり、この上なく可愛らしく、飛びっきりの笑顔を魅せ付ける。
これぞ私の全身全霊、究極奥義……ッ!
「…………」
無言の視線が突き刺さる。たぶんあれはもしかしなくてもジト目ってやつだ。ゴミや汚物に向けられるような、ド変態さん歓喜の素晴らしく冷ややかな眼差しだ。
心の中でだらだらと汗をかく擬音が鳴り続ける。
可愛い妹の激レアシーンだというのに……なぜこうも真綿で首を絞められるような責め苦にあうの。せめて猫耳の用意さえあれば話は違ったのだろうか。くぅ、ぬかった。
「……あうんっ」
兄から零れた、呆れと諦めが混じり合ったような溜息の後、一言も発されないままデコピンが放たれる。なかなか良い音がした。痛ひ。
おでこを抑えながら、おずおずと顔色を伺うと……幾分か表情が和らいだように見受ける。どうやらその一発で許されたらしい。
あらゆる悪行奇行の常習犯である、私への対応には慣れたものだ。
この場合、寛大なことに感謝すべきか、慣れさせてしまったことを恥じるべきか。
私の脳内会議では満場一致の即決で、もちろん前者である。ありがとーやさしーおにいさまあいしてる。
「で、何してたんだ? その中の物は何もやらんぞ」
予め釘を刺されてしまった。貰おうとしたわけじゃなく、こっそり無断で拝借したかっただけだけど……どうせ遊んでないんだし、別にくれてもいいじゃない。相変わらずケチなんだから。
……あれ? そもそも借りに来た物ってゲームだったっけ……?
「ええっと……。んー、と…………あっ! そう、辞書! 学校に置きっぱなしにしちゃってたから、借りようと思って」
本来の目的を忘れてた。ものの五秒ほどで思い出せるとは、私にしては早い。自分を褒めてあげたい。
「……辞書をそんなとこにしまうと思うのか?」
「あっはは~。そうだよね~、こんなわかりやすいとこにあったのにね~。私ってほんとバカ~」
あっけらかんとお茶を濁しつつ、本棚から辞書を抜き取る。
ちょっと借りてくね――そう言い残し、そそくさと退散しようとした――けれど。
「――あっ。あのさ……コレ、お兄ちゃんの?」
どうしても後ろ髪を引かれてしまった。押入れの中にあった、知らないゲームに。
それをさっと手に取り、兄の顔へ近づける。
「ん……?」
ゲームのパッケージを目にしただけで、なぜこんな顔になる……? まさか嫌な思い出でもあるのだろうか。
でも、この兄に限って……? ゲームに関することで不満を漏らした試しなど、過去一度もなかったのに。
少時無言で思いを巡らせていた兄の口から発せられた返答は、更に混乱を誘われるものだった。
「……わからん」
……んん? 兄は積みゲーなどもせず、どんなゲームだろうと遊び尽くす人だ。くだらない・つまらない・難しすぎてクリアできない……そんなゲームばかりをこよなく愛する、好事家なお友達の紹介するゲームだろうと。
そこまで考えて、一つ思い当たった。その人の所有物かな、と。
「例のお友達の物?」
「いや、それもない。アイツは気に入ったゲームがあれば、いちいちプレゼンしてから押し付けてくる……が、そのゲームは初めて見るしな。まして貸し借りにはうるさいから、貸しっぱなんてこと……」
ケチなところは似たもの同士だ、と頭をよぎるが口にはしない。
それにしても困った。兄に覚えがなく、そのお友達の物でもない……となると。事件は完全に迷宮入りです、お手上げです。
とは言っても、この部屋の押入れの中に入ってた物だ。たぶんお互いの了見も一致してるだろうけど、兄の物でまず間違いないと思うんだよね。
誰だって完璧超人ではないんだし、ド忘れすることもあるのでしょう。
"しょうがないお兄ちゃんですねぇ。"……そんな憐れみの視線をちらりと向け、ひとり頷く。
迷宮入り不可避かと思われた謎から、あっさりと解脱してしまえば切り替えも早いもので、次の瞬間には「このゲームをプレイしたい」という想いで頭がいっぱいになっている。だってパッケージが素敵に私好みなんだもの、一目惚れしちゃう。
ただ、この場で強奪するのは至難の業であった。
だから今はしばしのお別れ……けれど私は絶対に諦めたりしない。時宜を計って、必ずあなたを攫いに来るんだから! それまで待っててね、マイハニー!
「なあ、悠莉子」
「うん?」
元置かれていた場所へと戻そうとしたら、呼び止められる。そして呼んだはいいけれど、何か煮え切らないご様子。
兄にしては珍しい……なんだろう。
「それ、お前にやる」
「それって、これ?」
反射的にずっと辞書を持ったままだった右手を掲げてみせる。……えっ、なんでこんな物を。
「あほ。逆だ」
言われた言葉の意味がさっぱりわからなかった。
首を傾げつつ、順を追っての解釈を試みる。
(逆……? 『やる』の逆……『やらない』? いやいや、余計に意味わかんない。流れからして、『手』が逆……? 辞書を持つ右手の逆……つまり、左――)
そこまで考えて、私はフリーズしてしまった。まるで時が止まってしまったかのように、思考も動作も完全に、だ。
なのでその理由なんかを、私が再起動するまでの間に少し。
この一連の流れを
かいつまんで言ってしまえば、お兄ちゃんはケチなのです。
仮にゲームを借りるとしよう。
その際は一度に一本まで、そして返却期限を必ず設けてくる。それもかなりギリギリのラインで。
"このゲームなら、このぐらいの時間でクリアしてみせろ"――そう命じられるが如く、私は毎度その期限に追われながらクリアを急ぐのだ。
期限を守れなかった際には延滞料金を課せられる。それはジュース一本など、金銭的には可愛い物だった。
しかし、"お前には少々厳しかったか?"――そんな可哀想なものを見る目を向けられるという屈辱的な仕打ちを受け、兄への敗北感で枕を濡らす羽目になるのである。
故に私は盗人家業――否、『宝探し』を決起した。重苦しい枷に縛られることなく、悠々自適なゲーム生活を送るために。
自分で買え、という声は……こう、両耳に手を当てて。あーあー、聞こえなーい。
長くなってしまったけれど、ようやく私の再起動が完了したみたい。
今一度重ねて言おう。お兄ちゃんは、ケチなのです。超弩級のケチなのです。……なのに。
(――左手……には、ゲームが……)
ぎぎぎ……と錆ついた歯車でぎこちなく動く人形のように、自分の左手にある物へと顔を向ける。
(こっちの、手にある物を……なんて言った? 『や』、『る』……『やる』……)
「…………やるぅっ!!?」
私は驚愕の余り叫ぶ。今まで生きてきた中で、一番大きな声を発した気がする。
「……立って目を開けたまま気絶したかと思ったら、いきなりどうした」
うるせえ、と言わんばかりに片手で耳を抑える兄。叫んでしまったのは申し訳なかったけど……だって。
「な、なんで? お兄ちゃん、どうかしたの? 疲れてるの? どっか具合わるい? 熱でもあったり? まさか変なものでも食べちゃった?」
ぐいっと詰め寄り、顔色をみる。熱を確かめようにも、両手は辞書とゲームで武装してしまっていたので、背伸びしてお互いのおでこをくっつけようとする。ぴょんこぴょんこ……うぅ、背が足りない。
「別にどうもしてねえよ。去ね、どあほ」
にべもなく、びしり。脳天にチョップを食らった。
心配したのは偽りない本心だけど、さすがに大仰すぎたと反省する。
「むぐぅ……。だって、お兄ちゃんが何かくれるとか、生まれてこのかた一度もないし……ましてタダでなんて、それこそ青天の
心配しちゃうじゃない。暑さでやられちゃったとか、失恋したとか……はっ! まさか何か企んでたり……!?」
「俺はお前の思う『正常』通りに発言を取り下げても一向に構わないんだが」
「ありがたく頂戴いたしますっ、お兄さまっ♪」
片足を後ろへ引き、もう片方の足の膝を軽く曲げて、頭を下げる。
行ったのは、我ながらなかなかに優雅なカーテシー。……相変わらず両手が塞がってたので、スカートの裾は持ち上げられなかったけど。
誰にも負けない特技である"猫を借りてくる速さ"を披露したところで、これ以上この場にいて下手を打つわけにもいかないと、スキップでもしそうな足取りでぱたぱたと退出する。
帰り際に閉じかけたドアの隙間から、ひょこっと顔だけを覗かせて、
「ありがとう、お兄ちゃん。大事に遊ぶね」
「ああ。ちゃんと課題やってからにしろよ」
「……うんっ!」
決して忘れてなどいないのです。元気よく頷き、課題を速攻で始末するために自室へと向かった。
◇ ◇ ◇
……なんだよ、その微妙な間は。
突っ込むのが馬鹿馬鹿しくなるほど分かりやすい妹なので、何も言わない。
それにしても――と、騒がしい生き物がいなくなった自室で、信哉は自問する。
あのゲームは一体、なんだ……?
目にした瞬間、言いようのない嫌悪感や拒絶感が襲ってきた。
見たくない。所持していたくない。今すぐに処分してしまいたい。――そんな風に。
確かに自分はゲームをやめた身だ。だからといってそこまでの不快感は度が過ぎている。ましてあのゲームには見覚えがない。……はずなのに、なぜ……。
極め付きには、こんな感覚も湧き上がってきてしまった。――"このゲームは、悠莉子にプレイさせるべきだ"……などと、
「……まさか本当に疲れてんのかな」
これじゃ心配されても無理もないなと、自嘲気味に苦笑し……信哉は
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