第一章

01. 部屋『宝探し』

 私は――『魔王』を倒した。


 それが、この世界を救う術だったから。

 それが、このゲームの目的だったから。


 ――なのに。


 心は晴れるどころか、余計に靄がかかってしまったようで。

 満たされるどころか、ぽっかりと穴が空いてしまったようで。


 本当に、これで……脅威は去ったの?

 本当に、これで……良かったの……?



 ……ねぇ。


 ……師匠――。




     ◇     ◇     ◇




「お兄ちゃーん? 入るよー?」


 呼びかけと同時に、ガチャリ。ノックもせずに兄の部屋のドアを開ける。不躾ぶしつけだなぁと他人事のように思う。もちろん反省などしない。


「……あれっ?」


 いない……? おかしい、これは由々しき事態である。

 世間はいま夏休み真っ盛りだ。その見事な引きこもりっぷりに、時々兄が大学生であることを忘れるほどなのに。

 一体兄の身に何があったのか。それを探るべくして、私――悠莉子ゆりこの冒険が今、始まろうとしてる――!

 ――……訳もなかったのです。


「買い物とかかな……まっ、いっか」


 そんな感じでさして興味も持たず、壮大な冒険は始まる前に終焉しゅうえんを迎えました。


 辞書を借りるだけの用件だし事後承諾でも問題ないだろうと、私は勝手にお邪魔することにした。

 ごめんくださーい、と小声で呟きながら。そろーり……抜き足、差し足、忍び足。

 くくっ……随分とご無沙汰だったがこのスリル、やっぱりたまんねぇぜ……!

 ……そんな謎のキャラは置いておいて。そう、私は久しぶりに兄の部屋に踏み入ったのだった。

 懐かしみながら室内を見渡す。置いてある家具といえば、ベッドとテーブルがひとつ、それにパソコンデスクぐらい。超がつくほどシンプルで、小物類もきちんと整理されている。

 参考書や教科書の並べてある本棚も同様で、おかげで目当ての辞書はすぐに見つかった。……いや、見つかってしまった。

 探し物をしてる身としては、ありがたいことではあるはずなのに。順調だった足取りも、ぴたりと止まってしまう。

 そのあまりにも片付き過ぎている様に、ふと寂しさを覚えたから――。


(昔は……こんなに綺麗な部屋じゃなかったのに……)


 再度辺りを見渡す。そして昔の――私が好きだった部屋の思い出と照らし合わせる。

 そう、確か……トランプを始めとしたカードゲームや、オセロに将棋といったボードゲーム。それらがだらしなくも遊びっぱなしで散らかっていて……物の置き場も、足の踏み場も、ろくにないほどで。

 それでいて折り目やキズもなく、当然ホコリを被ったりすることもなく、丁寧に扱う兄の器用さには舌を巻いた。ゲームへの愛があってのことかな、と勝手な解釈をしつつ感心したっけ。


 そんな誰もが口を揃えて散らかっていると言うであろう部屋に、私はよく入り浸ってた。

 何かを借りるため。暇つぶしに付き合わせるため。勉強を教えてもらうため。理由はその時々で色々だったけど……一番の目的は、兄がプレイしているゲームを見学するためだ。

 兄がこよなく愛していたのは、TVに繋いで遊ぶ、据え置き型のゲーム機。ソフトのジャンルまであげるなら、『ロールプレイングゲーム』――『RPG』だった。

 一口にRPGといっても、まだまだ細かく仕分けられるだろうけど……主人公――『勇者』となって、悪――『魔王』を倒し、世界を救う。そんな王道と呼べる類の物語を好んでいた。

 謎解きや、強敵との戦闘。RPGには必ずそういった場面がくる。

 兄がゲーセンで取ってきたという、ゲーム内に登場するモンスターの特大のクッションを抱きしめ、ドキドキハラハラして見守る私。すると兄は決まって――"ここは、こうするんだ"……そう背中で語るかのように、鮮やかに攻略してみせた。

 今にして思えば、奴はきっと渾身のドヤ顔をしてたのだろう。しかし当時の私に表情を確認する余裕など一切なく、「なるほどー!」「おおぉぉぉー!」などと心の中で叫び声を上げつつも爽快感に浸り、無意識に称賛の拍手までしてしまう始末で――


(楽しかった、なぁ……)


 独りでするゲームも、楽しくないわけじゃない。今でも時々遊んでもいる。

 それでも……この部屋で、兄と感動を共有できる日は……もう、来ないのだろうか。


「……らしくない、かな」


 力なく苦笑い。こんなセンチメンタルなのは、私のキャラじゃない。ぺちんっ、と両手で頬を軽く叩いた。


「うん、よしっ」


 悄然しょうぜんとした心を払拭すべく、景気づけに久々にやっちゃおう。禁断の趣味、『宝探し』を。


 ――唐突だが説明しよう。『宝探し』とは!


 この部屋の中を探索し、兄がしばらくプレイしないであろうゲームを物色した後、こっそり拝借するのだ。気づかれる前にひとわたり遊び、返却までできれば完全勝利、ミッションコンプリート!

 その趣味のおかげで、自分でゲームソフトの購入をしたことがほとんどない。なんてリーズナブル、なんてエコロジー。……どちらもこの場面で使う言葉としては微妙に間違ってる気がするけど。


 さぁて、まずは机の引き出し。……くりあー。次に本棚。……くりあー。カーペットの下やイス……は隠せそうな場所じゃない。

 整理されすぎてて、どこもすぐに終わってしまう。要探索箇所もほとんど見当たらない。


 くっ……なんとやりがいのない部屋に生まれ変わってしまったものよ……。

 まぁいい……まだ四天王の中でも最強の、ベッドの下が残っている。


「んっ……しょ、っと」


 膝をつき、手をつき、四つん這い。そこからゆっくり頭を降ろしていき……覗き込む。

 いっそゲーム以外でも……そう例えば妹には見せられないような、あーんな物やこーんな物が出てきたっていいんですよっ、お兄さま!


 想いは虚しく瞬殺されました。とても綺麗に掃除までされてますね、花丸です。しょんぼり。


「あとはー……ココぐらいかぁ……」


 最後にして、大本命。四天王すら超える大ボス、言うなれば……魔王! うん、たぶんそんな感じな場所の前に立つ。

 その場所とは、押入れだ。

 正直、開けるのは勇気がいる。ここは宝の山でありながら、同時にゴミの山とも呼べる場所であったからだ。


 初めてここを開けた時、突発的に独りジェンガゲームが始まってしまったことは今でも忘れない。

 それも崩れ落ちる寸前の。万が一しくじれば、かけがえのない一つの命が儚く散りゆくであろう死の遊戯デス・ゲーム。……生きてるって素晴らしいよね(遠い目)。


 それでも探索せずにはいられない魅力がこの場所にはあった。だってあんな惨状なら、一度に二つ三つ借りてってもバレやしなさそうだもの。かといって、五つも持ち去ったのはさすがにやりすぎただろうか。


 兄が部屋を留守にするタイミングがグっと減った今、ここへ挑むチャンスも滅多にない。

 千載一遇のこの僥倖ぎょうこう、何の成果もあげられずに引き下がるわけにはいかない……! 我ながら何なんだろうか、その謎の使命感は。

 ゴゴゴゴ……とセルフでの効果音を心の中に流し、ごくりと喉を鳴らす。そして深呼吸を一つ……すー、はー。

 ――いざっ、参るっ!


「…………」


 中の光景に、思わず絶句してしまう。

 かつて私の宝の山と化していた場所と、本当に同じ場所なの……? そもそもここって兄の部屋だっけ? 別のお宅に紛れ込んでしまいましたか?

 ……そう疑ってしまうほど、恐ろしいほどに片付いている。五分もあれば、すぐにでも某猫型ロボットさんを住まわせてあげられそう。だからいつでもおいで。


 半分の高さで区切られた押入れの上段には、収納ケースにゲームソフトがぎっちり詰め込まれ、ぴっしり積まれている。その上や空いたスペースには、ちゃんと箱にしまわれたカードゲームやボードゲームたちが置いてあり……一切の無駄がなく、几帳面を絵に描いたような仕上がり具合だった。

 変わって下段には、過去部屋の床にテーブルにと跋扈ばっこしていたゲーム機たちが数台、丁寧に並べてあった。

 それは大切なコレクションをディスプレイしてあるように……有り体に言えば、もはやただの飾りと化していて――。


(本当に、遊んでないんだなぁ……)


     ◇


 二年前のあの日、私はいつものように兄の部屋へ来た。

 そして直後に戸惑う。部屋にあるはずの物が――ゲームが、一つもなかったから。


「あれ? お兄ちゃん、ゲームはどうしたの?」


 当然、その疑問を私は口にする。兄は短く、たった一言、


「んー……たぶん、もうやらん」


 その後のやり取りは、あまりよく覚えていない。

 覚えているのは、"ショックだった"――その想い一つだけ。


 ゲームを通して繋がっていた関係だった私たちは、その日を境に一気に距離が開いた。

 遊ぼうにも話そうにも、どうしていいかわからず、懊悩おうのうする日々を送った。

 兄に、何があったんだろう。何が、兄を変えてしまったんだろう。

 二年が経った今でも、私の心の多くを占めている悩みの種だ。


     ◇


「…………はぁ」


 思わず溜息が零れてしまう。


(なんだか、余計に……)


 寂しくなった――そう続けようとして、ぐっと踏みとどまった――つもりだったのに。

 どうやら手遅れだったようで、言いようのない寂寥感せきりょうかんが漂っていた。


 酷い有様だった部屋を見事なまでに変貌させたんだ。ならば、ここ押入れも片付ける。

 やめたからといって、愛したゲームの全てを早々に手放すハズもない。ならば、ここへ片付ける。

 どちらも至極当然のことと思う。完全に失念していた。


 無理やり元気を出そうとして、久方ぶりの宝探しだなんて浮かれて。それまで以上に凹んでたら、ホント世話がない。

 私はこの部屋に入り浸りすぎてたみたい。何かを目にするたびに、思い出が溢れてきて胸が塞がる。居た堪れない。


(もう、出よう……。)


 この中を見るのも、最後かな。そんな哀愁を感じつつ一瞥いちべつする。

 やがて、おもむろに押入れを閉じようとした――


 ――その手が不意に固まる。


 小さな違和感があった。なんだろうと、じっと目を凝らしてみる。

 その正体は、一つのゲームソフトだった。

 こんなにも綺麗に整理されている中、それだけがなぜか雑然と放り出されているように見えて。それにたぶん、私はあのパッケージに見覚えがない……あのゲームを、知らない。


 兄が遊んでるのを見たか、宝探しで発見したか。未プレイか、既プレイか。そういった違いはあるけれど、兄の持つゲームならほぼ全て把握していると思っていた。


 それなのに、見落としていた……?

 それとも、まさか……この2年の間に新しく入手した物……?


 そんな疑問が頭を飛び交いながら……吸い込まれるように、手を伸ばし――


「……悠莉子?」


 ――あっ。


 突如、ある植物が脳裏をよぎった。……走馬燈そうまとうのように。

 『マンドレイク』――引き抜いた時に発せられるその声を聞いてしまうと、発狂して死に至ると言われている、恐ろしい植物だ。


 そう……いま私の名を呼んだ声は、きっとそれに相違ないのです……。

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