四品目『人気トラットリアの過去』(6)


 ギャルソンはすたすたと裏手の扉に歩み寄りながら、大きな声で料理長に声を掛ける。五月雨忍さみだれしのぶと言うのが料理長の偽名…いや、人間名だ。扉を開いた瞬間、ギャルソンが珍しく嫌そうな声を上げる。

 そこには料理長の背中がぱっくりと開いて生え出した、大小無数の触手がうねりまくっていた。

 最早、車の間も縫ってガレージ全体を覆い尽くすほどの触手だ。

 それがガレージに備え付けられた洗車用の蛇口を捻って、水遊びをしている。グラデーションがかったパッション色の触手は、開いた裏手扉からもいくつかうねうねと侵入してくる。新人はそれをまだ台に張り付いたまま見ていた。


「わー…すげぇっすね…。え?てかカトマイでこれだけの触手全開で襲われたんすか、店長?」

「いえ、あの頃はもう少し少なかった様に思います。忍さん!料理長!ちょっと、細い触手外に漏れてませんよね!?」

「……解らん……」

「解らんじゃありませんよ、はい!触手もそろそろ冷えたでしょう!しまってしまって!」


 厨房に侵入して来ようとする触手を軒並みビンタで打ち払いながら、ギャルソンがそう声を張り上げる。料理長は少しだけ不満そうな声を漏らすと、がばりと開いていた背中に太い触手から収納して行く。いつもの鮮やかなパッション色から少しくたびれたブルーに似た触手が、するするとその体内におさまっていく。

 どう言う圧縮率なんだ。新人はぐったりとしたまま料理長の背中を見ているが、そんなもの地球の原理で考えてはいけない事は百も承知だ。何故なら相手は地球外生命体なのだから。

 子供の頃、宇宙人ているのかな!などと無邪気に思って居た自分に教えてやりたい。宇宙人、いるよ。と。


「はい、料理長。体は大分冷えましたか?」

「……ああ……水も…飲んだ……」

「今日は昨日の『食材』の処理もお願いしてあるんですからね、昨日なまけた分、今日頑張ってください」

「……誠が…厳しい……」

「でないと店の存続に関わりますよ?NASAに連れて行かれても知りませんからね」

「それは御免被る」

「うわ、料理長がどもらないでしゃべった」


 最後の触手、細い蜘蛛の糸の様なそれらが背中に吸い込まれると、料理長はやっくらと座っていた椅子から腰を上げた。背中は縫い合わせたよりも綺麗に閉じ、瞬く間に元の人間の姿に戻った。

 新人は回らない頭で考える。触手の宇宙人って、タコかなんかの仲間なんだろうか。そんなどうでもいい事を事を考えながら、ようやくギャルソンの淹れてくれたアイスティーのストローに吸い付いた。


「さて、触手が冷えたなら昼食の準備をしてください」

「……え……」

「あー、今日は料理長が昼飯作ってくれるんすね」

「ええ、私が今、決めました」

「店長、さっきまで死にかけてた宇宙人にも容赦ないっすね」

「料理長、私、ムニエルが食べたいです。サフランライスも添えてワンプレート作ってください」

「……めんどくさ……」

「蹴りますよ?」

「……お前の蹴りは…銃より……痛い…」

「店長の蹴りは死ぬまで食らわねぇって決めたっす」


 弾丸より痛いとは果たして。地球外生命体にまで恐れられるこの『人間』の蹴りとは。

 以前のプリン騒動で危うく食らいそうになったが、避けておいて本当に良かった。新人は内心そう思った。

 料理長は心底嫌そうに、火を使う料理をリクエストしてきたギャルソンを一瞥すると、厨房の自分のテリトリーへと向かう。さっさと包丁やまな板を用意すると、冷蔵庫から丸ごとのサーモンを引きずり出す。


「なんで丸ごとのサーモンが入ってんすか」

「先日、アラスカに居た当時の日本人の知人から送られて来たのですよ」

「海外に行ってもお中元忘れないとか、日本人のかがみっすね」


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