四品目『人気トラットリアの過去』(7)


 アイスティーを半分ほど飲み下した新人は、料理長が調理すると聞いて体を起こした。これでも一端料理人だ。自分よりはるかに腕が立つ料理長の挙動は気になる。そわそわと、料理長がサーモンを一匹捌く様を見学しようとした時だった。

 まな板にどん、と乗ったサーモン。だが、料理長が包丁を手にその前に立った瞬間、また疾風が吹いた。


「できるじゃないすか!高速解体!」


 まな板の上のサーモンは既に三枚に卸され、有ろうことか店で売っているのと同じような切り身になっていた。それでもまだ魚の形を保ったままだが。ごてん、と頭が落ちる。それを皮切りに厚めにスライスされたピンク色の肉肌がスライドするように崩れ、姿を現す。


「高速解体は生者にするものです。あれはただの『速い解体』ですよ」

「俺にはその差が解らない!」

「だから新人くんは新人くんのままなんですよ」

「俺もう、一生新人な気がして来た…」


 料理長はそのまま、使わない切り身をバットに移し、ラップを被せるとまた冷蔵庫へと戻した。三枚に卸された瞬間その片手に乗っていた真っ赤なサーモンの卵。それも同様だ。さすがに産卵シーズンのサーモン、恐らく前菜などに使われるであろう、いわゆるイクラの部分も粘膜を切り裂くことなく保管していた。

 料理長の手際はとてもいい。と言うか、話しながらだったり、他の事をこなしながら調理するギャルソンより、調理に集中している。流石、このトラットリアの料理長を務めるだけある。ギャルソンが先程語った通り、余程の修行を積んできたのだろう。あっと言う間にまな板に残ったサーモンに下味の塩胡椒が振りかけられていく。


 それから彼は米を研ぎ始めた。厚めのサーモンに下味が染み込むまでおよそ二十分。手際良く三合の米を研ぐと、ギャルソンの希望通りサフランを湯に浸す。フライパンを二つ使って片方に微塵切りにした玉ねぎとバター、片方には下味を付けていないサーモンの切り身を放り込む。

 玉ねぎに火が入った所で生米を投入し、透き通るまで炒める。同時に焼いているサーモンの切り身は、ちょうどほぐれる程度まで加熱して透き通った生米の上にパラパラとほぐし、振りかけられる。勿論、骨は小骨まで抜き取りながらだ。料理長でも無ければ難しい手順だろう。

 まだ色の薄いサフランから抽出した湯を、サフランごとその米とサーモンの上から注ぎ込む。そこに少量のコンソメをプラスして蓋を閉める。炊き上がるまでおよそ…。新人は真剣に目視しながら自分ならばどういう順を追ってそうなって行くのか考える。

 そのまま料理長はまだサーモンには手を出さない。不要な分を閉まって来た際、出して来たホタテの貝柱と大ぶりな剥き海老。下処理をしたのは新人だ。それをさっさとサーモンを焼いていたフライパンに投入すると、軽く焼き目を付けて行く。そこに店自慢のブイヨンをレ―ドル(お玉)三倍分ほど流し込み、さらにギャルソン配合のカレースパイスを投入する。どうやらとろみの余り無いカレーソースを作っているようだ。

 それからその指に挟んでいたスパイスを味が染み込み始めた下味のサーモンに振りかける。

 三つめのフライパンが姿を現し、塩胡椒とカレースパイスを纏ったサーモンがいつの間に、小麦粉が薄く振りかけられる。たっぷりのバターを熱したフライパンが融かすと、間髪入れずに三枚のサーモンがその上に並べられた。

 カレーソースとサフランライスの具合を見ながら、バターを焦がす事無くサーモンを焼き上げて行く料理長。

 火が通る合間に、更に冷蔵庫に向かうとマッシュルームとレタス、湯がかれ保管されていたアスパラガス、更にはトマトを抜き出した。

 それらを宙に放る料理長。手にした包丁が動く度、彼の思う様のサイズに切り揃えられ、まな板の上に並んでいく。スライスされたマッシュルームと、きっちり四センチに切られたアスパラはカレーソースの中に、トマトは角切りにして端へと避けた。


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