三品目『人気トラットリアの騒動』(7)


 次の瞬間、男は胸倉を掴まれた。そのまま人間業とは思えないほどの勢いでロッカーから引きずり出され、厨房中央の台に体ごと叩きつけられた。


「い…ッ!」

「…んて…ことを…」

「…へ?」

「なんて…ことを、してくれたんですかぁぁぁぁ!」


 ギャルソンの細い目が括目するのが見て取れた。もちろん、胸倉を掴んで、台に押し付けられたまま仰ぎ見る状態でだ。男は思わず「ひっ」と声を漏らした。ついでに新人も悲鳴を漏らす。


「私の、私の丹精込めて作ったプリンを全て食べてしまうなんて!」

「あの、てんちょ?レシピは…?」

「そんなもの全部頭に入っています!破けようが燃えようが知りません!」


 ギャルソンは先程までの笑顔はどこへ消えたやら。ものすごく哀しそうな顔で男を睨み付けている。男は何が起こったのか全く分からないうちに何かに両手足が固定された。台に磔になった男の服から手を放すギャルソン。片手にしたプリンを見つめながらふるふると手を震わせている。なんだ?何に固定された?男は訳も解らず自分の両腕を見る。

 そこには蛸の様な触手が巻き付いていた。色はエメラルドグリーンと黄色と青のグラデーションと言うパッションな色。いつの間にか男の頭上側に立った料理長が第三の目が開いた状態でその顔を覗き込んでいる。男の視界からは見えないが、それは料理長のTシャツの裾から伸びており、四本、かなりの太さを持っていた。

 その人間に非ざる瞳を見て、顔面が蒼白になる男。


「私の…三十個作ったプリンがわずか一個に…」


 声を震わせ嘆くギャルソンと、とりあえず男が宙を舞ったせいでばら撒かれたレシピを集める新人。

 誰も料理長の瞳にも、背中の布を盛り上がらせる程堂々と生えた触手にも驚かない。むしろ、男の方にのみ敵意を感じる。


「店長の頭に入ってても、俺には必要なモンなんすよ!」

「ああ…プリンさん…ひとつでも残っていてくださってありがとうございます…」

「……コイツ」

「ばば、化物…!」

「どうしました、料理長?」

「……見覚えがある」

「んん?…そうですね。…確かに見覚えがある気もしますが…どうでもいいです。とりあえず暴れられないように鎮静剤でも打っちゃってください」

「……解った」


 料理長が請け負うが早いか、腕に巻き付いている触手の先端から、ぬっと細い針が現れる。ようやく身の危険を感じて叫ぼうとした口は、五本目の触手で塞がれてしまった。針は容赦なく男の腕に刺さり、触手の中を満たしていた何かの液体らしきものが注入された。

 途端、視界が一瞬もうろうとする。体中の力が抜けて、押さえ付けられていた両手足からも力が抜けていく頭ははっきりしているのに、身体に力が入らない。ぐったりとした男の手足と口から、触手がするすると離れていく。それは料理長のTシャツの裾に吸い込まれ、背は元通りの平たさへと戻った。

 それから料理長の両手が、動けなくなった男の頭を挟むようにかざされた。

 ピリッ、と蒼白い電気が一瞬走った。男の頭の中も一瞬真っ白になる。

 だがそれは一瞬の事で、両手はすぐに下ろされた。男の意識もすぐに戻る。そのまま料理長は淡々と語り始めた。


「……こいつ、昔うちで働いていた…料理人だ。……他の、店に、うちのレシピを持ち込んで…雇ってもらおうとしていた……らしい」

「さすが料理長!相変わらずスゲー能力っすね!」

「家で働いていた?ああ…道理で見覚えがあるはずです」


 括目したままのギャルソンがじろりと男の顔を見下ろす。表情筋を動かす力も奪われた男はただただ、言い当てられた料理長の言葉に冷や汗だけを流す。


「家のレシピを盗んで…そうですか。それはまぁ、いいとして」

「いいんすか」

「他の料理店で家の料理が再現できる訳が無いのは君も知っているでしょう。ですからそれはいいとして。問題は…」

「……プリン」

「そうです!」


 ギャルソンの目が更に開いた。瞳孔も肉食動物のそれのようにしっかり縦に開いている。新人はまた情けなく小さな悲鳴を上げる。


「私のプリンを二十九個も食べてしまうなんて…」

「……それは」

「いいえ!黙っていてください!どんな理由があろうと私のプリンを食べたのは事実です!そうでしょう!?」

「……」


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