三品目『人気トラットリアの騒動』(5)
だが今度は靴音は去って行かなかった。しまった。もうそんな時間になっていたのか。これは、まずい。
そう思っているうちに、コツコツと言う足音はあちらこちらを歩き回り、次第にその足音も早くなっていく。何か探しているのだろうか。もしかしてレシピを荒らしたのがばれて、警察に連絡しようか迷っているのだろうか。
そんな冷や汗た男の背中を冷や汗がながれた瞬間、哀しそうな叫び声が厨房に響いた。
「プリンがありませぇぇぇぇえええん!」
は?プリン?
次の瞬間、何か金属がめしゃっと潰される音がした。
それからガラガラガシャンと様々な調理器具が放り投げられる音。ひぇ…。男は小さく息を飲んだ。
そして十五分後、今に至る。
さて、それでは何も知らない新人の視点に戻ろう。意を決した彼は壁際をずりずりと、ギャルソンを遠巻きに移動してちらりとゴミ箱の中を覗いた。大量の見覚えのある容器が捨てられている。全ての容器にギャルソンの『ギャ』の字が書かれていて、確かに彼の物であることを主張していた。
これはギャルソンが食べたのでなければ、もう誰かの胃に収まっている。それは実に報告しにくい。そもそもプリンを作っている事を知っているのは新人くらいのものだ。報告でもしたら確実に彼がまた疑われるかも知れない。イコール、数日後の食卓に並ぶことを意味している。
「……無い」
「え?」
「……足りない」
料理長のぼそりとした声が聞こえた。新人は思わず小さく呟く。
背の高い彼が立っていたのは、事務机の前だった。手にしているのはレシピを綴ったファイル。暑さ十センチ以上あるそれが立てられたり積まれたりしているが、幾つかは床に落ちて散乱している。
ページを繰りながら、料理長はまた言った。
「……レシピが、足りない」
ガタッ、と音がした気がした。不意に目を遣ろうとするが、それより早くギャルソンが立ち上がった。
「なんですって?」
「……」
相変わらず笑顔を崩さないギャルソンに、料理長はファイルをぽいと投げてよこした。軽々と持てる重さではないはずだが、料理長は怪力だ。中央の台にどさっと音がしてファイルの中身が散らばった。おかしい。ファイルの中身は全て綴じられているはずだ。それは毎朝レシピの確認をする新人が一番良く知っている。
ギャルソンは中身をかき集めると、速読の様な速さでレシピファイルに目を走らせていく。本気になると常人以上の事を始めるから怖いんだ、この人…。新人はそう思う。
「確かに。このファイルからは五枚程レシピが抜かれていますね」
「……こっちは三枚」
「それだけあって解るんすか…すげぇ…」
「当たり前です。五枚も無いんですよ?今まで店で出した料理は全て記憶しています。それが合致しないなんておかしな話です」
「……泥棒」
「!」
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