三品目『人気トラットリアの騒動』(3)


 だめだ、この場を収める方法が見当たらない。

 と言うか、今日の営業はできないだろう、これ。それくらいの荒れ模様だ。厨房にある全てのもの、全て破壊されていると言っても過言ではない。この大惨事がよもやプリン消失によるものだと、万が一警察が来たとして信じてもらえるだろうか。


「あの、プリンが…無くなったって?どういう事っすか?」

「そのまんまの意味ですよ…いつも通り私が四時に起き、ランニングをして、シャワーを浴びて、朝食の準備をして、朝食を摂って…楽しみに、階下に、降りてきて、冷蔵庫を開けたら…!無い!無いではありませんか!私の!私のプリンが!名前まで書いておいたのに!」

「名前まで書いたんすか…」

「自分のものには名前を書きます!当然でしょう!」

「ええと…その、プリンを探して…いるうちに…キレて、この惨事ですか?」

「そうですね。大体あってます」

「店長、どれくらいの時間暴れ…探してたんすか?」

「ほんの十五分ほどです」


 気が短いにもほどがある。いや、前述したギャルソンの性格とは明らかに矛盾しているが、そうとしか言えない。

 新人の言葉に耳を傾けてはいるが、笑顔のまま頭を抱えているギャルソンのこめかみには青筋が立っている。そう、ギャルソンはずっと笑顔のままだ。それが新人が言うところの『泣く子も殺す』様な重低音の声でぶつぶつと何かつぶやいている。正直、怖い。料理長は自分を盾にしたまま厨房の中に入る気配はないし、これは新人に課せられたなんらかの試練と思わざるを得ない。


 そんな様子にこの場に居る『四人目』からの注釈を入れよう。

 彼はがたがたと震えていた。こんな狭い場所に逃げ込んだは良いが、このままでは逃げられない。

 まさかこんな朝早くからギャルソンが自宅である二階から降りて来るとは思わなかった。『彼』は遅刻魔だったから、他の店員がこんなに早くやって来るとも想像していなかった。まずい、まずい、まずい。ギャルソンが暴れ始めてから脳内で警鐘だけが鳴り響く。


 さて、この四人目。実は新人以外とは面識がある。

 以前この店で一ケ月ほど働いたことのある料理人だ。

 何故その料理人がこの場に、しかも三人の誰にも見えない場所に居るのかと言うと、それなりきに後ろ暗い理由があった。

 散乱していた事務机を覚えているだろうか?例の、新人が毎日レシピを確認するための机だ。

 実はあの場所は端っこ過ぎてギャルソンの足が及んでいたわけではないのだ。ただ、散乱していた。

 全てはこの、元従業員である料理人のせいだ。彼はこの店のレシピを盗みに来たのだ。

 この男、雇われたのはいいものの二人がどこから『食材』を仕入れて来たのか、決して教えて貰えることは無かった。そしてこの店で働き始めた理由もお粗末なものだった。有名レストランで働く料理人ならば、引き抜きの話は山の様に来るだろうし、女性にもモテる。お粗末にもほどがあるが、そんな理由でこの店で働き始めた。

 無論、朝七時前には出勤、退勤は毎日時間が異なるが零時過ぎと来たものだ。労働基準法もなんのそのの勢いで働く羽目になった。こう考えると、新人が三年近くこの店で働いている凄さがわかる。しかしこの男にはその生活は無理だった。

 彼の予測通り、やはり引き抜きの話はすぐに訪れた。かなり中身を詐称した履歴書をあちこちに送付していたのだから当たり前の事なのだが。彼はとっとと退職届も出さずにそちらのレストランへと移って行った。


 そこまでは良いとしよう。だが、この男、事実そこまで料理が上手い訳では無かった。人生の良いところだけ啜ろうとした結果、引き抜き先から三下り半を叩きつけられ辞められる羽目になり、それからしばらくチェーンの店で働いていた。

 こんなはずでは無かった。もっと人生うまく進むはずだった。これもあのトラットリアを辞めたせいだ。と、勝手な恨みを抱いたこの男。


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