二品目『人気トラットリアの評判』(9)


 ギャルソンはことも無げにそう説明した。傍で聞いたら背筋が寒くなる様な会話。終始二人は笑顔だ。その目の前ではもう、その解体作業が始まっている。料理長の怪力をもってすれば、包丁でも骨まで一気に断てる。部位ごとにきっちりと切り分けられたそれを、新人がハーブオイルに浸けたり、ラップでくるんだりしながら淡々と店の冷蔵庫に運んでいく。その作業風景を見ながら、刑事はギャルソンに問う。


「自分にできる仕事はありますか?」

「そうですねぇ…戸籍も記憶も、もうありませんし…貴方にできるのは、これを受け取ることくらいでしょうか」

「! これはこれは…」


 特にできる事なんてないのだろう。そう思いながらも問うた刑事に、ギャルソンはやはり少し考えた後、エプロンのポケットを漁った。出て来たのは白い長方形の封筒。シーリングスタンプで店のシンボルマークである蝶の図柄が押され、封がされている。それを見て刑事は歓喜に沸いた。


「先程、外の手入れが終わったら交番にお届けしようかと思って居たんです」

「予約の招待状を戴ける日が来るとは…感無量です」


 交番を経由して荷物を届けさせるのはいかなものかと思うが、そんなことは手渡された封筒の価値に比べれば些末な事だ。

 この店では基本的に予約客は取らない。理由は簡単、食材の仕入れにムラがあるからだ。しかし、それも基本的な物であって、完全に予約を受け付けない訳ではない。この店の『予約』には制限がある。それは、まぁ、言わずともギャルソン達と同じ食嗜好であることが前提だ。

 刑事だけでなく、ギャルソンの持つ伝手は多い。その伝手は横の繋がりでもあり、そう言ったコミュニティが、非常に言い難いが、彼等の周囲にはいくつか存在する。

 刑事は封筒の差出人の名を見て納得する。彼の属している警視庁内のコミュニティ、そのリーダーである上司の名が書かれていた。ギャルソンが連絡を入れたのだろう。『良い食材』が入ったからと。そして二言返事で予約を入れた。目で見た様に思い浮かべられる。


「さて、解体はいかがでした?」

「やはり綺麗に血抜きされていると違いますね。断面も、香りも、柔らかさも…」

「血抜きなら任せてくださいっす」

「それは君の右に出る者はギャルソン殿だけだな。さて、いいものを見せていただいた。私はそろそろお暇させていただくか」


 料理長の解体が終わり、全ての部位は冷蔵庫へと仕舞い込まれた。これから恐らく、ギャルソンの言っていた料理や、内臓の処理が行われるのだろう。恐らく夜の『限定予約コースメニュー』の一品として。それだけで刑事は満足そうな顔をした。それから、何も無くなった台を名残惜し気に見つつ、腕時計に目を遣る。もう、さすがに庁舎に戻らなくてはならない時間だ。その残念そうな声を聞いて、ギャルソンは彼に訊いた。


「さて、ではどうなさいますか?夜まで『眠り』ますか?このまま行かれますか?」

「そうですね…一旦眠ろうかと。このままでは楽しみで、夜まで仕事が手に付きそうもないので」

「了解です。では、料理長。お願いしますね」

「あっ、と…その前に」

「何でしょう?」

「眠る前に頼みがあるのですが」


 厨房から出て、そう希望を伝える刑事。眠る、とは先程の様に記憶を一時的に失くすことだ。

 それを行うのは料理長の役目だ。解体を終えた手を拭いながら、一緒に厨房から出て来た二人を見て、刑事は一度制止した。

 そしてうっすらと笑い、首を傾げた。そうだ、是非、素晴らしい『目覚め』のために。


「ギャルソン殿の淹れた珈琲を一杯。飲ませていただけますか?」


 ギャルソンは一瞬面食らった様な顔をして、それからいつもの笑顔に戻った。

 花が咲くような、整った笑顔に。


「勿論ですとも」


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