二品目『人気トラットリアの評判』(8)


 ギャルソンはゆっくりと足を解き立ち上がると、ぱんぱんと手を叩きながら厨房に声を掛ける。

 先程よりやや顔色の良い顔で、新人が顔を出した。


「あー、刑事さん。思い出しました?」

「ああ。新人くん」

「あはは、俺の珈琲で思い出してもらえたら、もっと嬉しかったんすけどね」

「生憎、私は肉派だからな。血では反応が薄いかもしれない」

「言うと思いましたよこんにゃろー」


 刑事がそう口にすると、新人は気安く肘でつんつんとつついて来た。だが彼の言う通りでもある。あの珈琲の味で気付けなかったのは、とても残念な事だ。…あるいは、あの珈琲を淹れたのがギャルソンだったならば、気付けたかもしれない。

 正直、この時期は新しく入って来た部下の教育がひと段落した頃合。以前この店に足を運んだのはどれくらい前だろうか。そんなに遠い過去では無かったと思う。

 確か夏が始まってすぐ、待ちきれない思いで馳せ参じたと思う。その辺の記憶はまだ曖昧だ。それでも全く構わない。彼はこの店の常連に加えられている。『予約』で来たと思うが、やはり定かではない。厨房に向かいながらまだはっきりとしない記憶を探りながらも、料理長の『食材』捌きと言う単語に心は踊る。

 ギャルソンと料理長が二人で解体作業にかかれば、それこそ大の大人でも十五分ほどで片が付いてしまう。

 自分が来たのを察して、料理長が気を遣って待っていてくれたのだろう。

 厨房に足を踏み入れると、中央の台の上には成人女性の死体が乗っていた。服は剥かれ、首筋に新人お得意の屠殺痕が綺麗に走っている。刑事の口元は思わず歪んだ。


「先日、行列に並んでいる最中に倒れられた方なんですけどね。もう『戸籍と記憶』は食べ終わりました。後は美味しくいただくだけです」

「これは、美味そうだ…」

「おや。さすが捜査一課だけあって死体は見慣れていますか」

「死体?…いや?自分が見ているのは単なる『食材』ですが?」

「刑事さん、過激になったすねー」

「過激も何も事実だ」

「……」

「料理長、お久しぶりです。…と言っても、以前お伺いした時の記憶が非常に曖昧なのですが」

「……」

「気にするなとはお優しい。ありがとうございます」

「だからなんで俺だけ料理長の言葉が理解できないんすかねー?」


 新人が拗ねたように唇を尖らせる。

 これも自分が常連になってよく見る光景だ。まぁ、刑事自身もほとんど勘なのだが、料理長が何を言っているかは大体判断がつく。それが新人にはてんで解らないと言うのだから不思議な話だ。

 そんな胸中を知ってか知らずか、ギャルソンは嬉しそうに『食材』を指さした。左手の、薬指をだ。


「見てください、この方、婚約してらっしゃったんですよ。幸せの絶頂でしたろうね。実は一緒に婚約者の男性も並んでいらっしゃって、倒れてすぐに店に駆けこんで来たんです。もう少しで料理にありつけたはずだったのに、結婚の前祝いのはずだったのに、と泣いておられました」

「ほう。それで?その男性は?」

「婚約者が一人だけ人の腹に収まるなんて可哀想でしょう?それに、『記憶を食べる』のも可哀想です。折角相思相愛の仲なのですから。…今は冷蔵庫にいらっしゃいますよ。仕事は増えましたが、これで二人共仲良く逝かれました」

「成程…悲しみと苦しみに満ちた肉は熟成が必要、といつぞや仰っていましたね」

「全身にそれが染み渡るまで時間がかかりますからね。こちらの女性の血抜き作業をしている時も泣き喚いてらっしゃいました」

「はは、それは酷い事をなさる。目の前で婚約者を屠殺だなんて」

「早くしないと傷んでしまいますからね。絶望の熟成の間に、幸福の絶頂で亡くなったこちらの女性を先にいただこうと言うわけです」

「それは楽しみだ。自分はそう言う肉に目が無いので」

「タイミングよくいらっしゃいましたねぇ。解体作業の後にカチャトーラ(トマト煮込み)にしようと思って居ます。夜までには最高の一品が仕上がりますよ」


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