二品目『人気トラットリアの評判』(7)


 瞬間、刑事の脳裏を走馬燈の様に記憶が駆け巡った。

 そうだ。

 自分は、何度もこの店を訪れている。そして、ギャルソンの話を全て聞いている。

 そして、毎回この珈琲を…いや、時には『食事』をして、それから…。

 だから部下が怪訝な顔をしていたのか。「駅前のレストランへ行ってくる」。その言葉に、部下の一人が非常に不思議そうな顔をして見送ってくれた。十五回も、彼はこのトラットリアへと足を運んでいた。

 ギャルソンのその言葉が、まるで自分にかかっていた催眠を解く合図の様に思えた。


 刑事は一瞬、驚きの表情を浮かべ、次の瞬間には笑っていた。


「ああ。そうでした、東雲さん。いや、それは偽名でしたね。…店長さん」

「ふふふ、本当に芯の強い方ですね。無意識でも家の『料理が食べたくなる』たびに足を運んでくださる常連さんですからね」

「ええ。この店の料理は絶品だ。しかし、今日は人が悪い。いつも『初めて』食べる感動を与えてから『起こして』くださるのに。今日は最初から全てのネタばらしですか」


 世界が逆転したかのようだ。ギャルソンにも負けずとも劣らない、うっそりとした笑みを浮かべる刑事。

 先程までの無表情はどこへ消えたのやら。頭の中の混乱も、全て飲み込んでしまった。

 だって、いつものことだから。


「だって、連行とか笑える冗談言い始めるんですもん」

「冗談ではありませんでしたよ、少なくとも、先程までは」


 だが笑える、と言うのは否定しない。自分でも確かに笑えて来る。自分がこの男を、畏敬するこのギャルソンを連行するなど考えも及ばない。それから『全て』思い出した自分と、先程までの『記憶を封じられた』自分の大きな違い。それはこの店を初めて訪れた自分と、この店の『食』に惚れた後の解りやすい自分の変化。

 そっくりだ。


「ええ?じゃあ、今でも連行する気満々ですか?」

「その必要は無いです。自分以上にこの店に興味のある、また理解もある刑事はいませんから」

「ふふ、以前はお二人で行動されてましたけど」

「その相棒も今はもう、私の胃の中ですが」


 そう言って刑事は自分の胃袋辺りを撫でた。相棒、そう、自分には相棒が居た。

 一年前の夏、初めてこの店を訪れた時。自分は真相を知って、感動した。だが、相棒は違っていた。恐れ、叫び、罵倒した。ギャルソンを、この店の店員たちを。そして、相棒である自分さえ。

 そして、目の前で屠殺された。

 最初はその様子に吐き気を催してしまったが、その現場も回を重ねるごとに感じる感情は変化していった。


「ああ、今、料理長が解体作業をしているですが。見学されますか?」

「よろしいのですか?」

「はい、もちろんです。刑事さんは特別ですから」


 それは利用価値としてだろうか。刑事の脳裏を一瞬そんな言葉が走る。

 自分が警視庁で口利きをできる階級にあって、尚且つ彼等の『理解者』であるから、自分は相棒の様に食われずに済んだ。だが特別と言う言葉に悪い気はしない。

 刑事はテーブルに置いたグラスを持ち上げ、一気にアイスコーヒーを煽った。


「では、見学させていただきましょう」

「皆さんも喜びますよ。新人くーん、料理長ー、いつもの刑事さんですよー」


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