3
私は親の心配をものともせずに、志望した学校へと進学した。
学力で
私は時にファーストフードを食べながら友達と談笑し、楽しい高校生活を過ごした。
友人が異性の話題をふってくる。
「私、恋人がいるもん」
「えー! 知らなかったよ。誰? 誰? どこの人?」
「夢の中の人」
ストローでウーロン茶を飲んでいる横で、友人の顔が点になる。そしてやがて背中を叩く。私がふいてしまうほどに。
「やーだー! 優子、本気にしたよ、もー!」
嘘なんかじゃない。
私はずっと、月虹に会いつづけていた。
辛いことがあると、いつも月虹に相談した。聞いてくれるだけでもうれしくて、ほっとした。
白くて何もなかった部屋は、私の好きなもので埋め尽くされている。壁を飾るのは星座図のパズルだけではない。
クリスマスの夜からはリースがかかった。そしてポインセチア、お正月には小さな門松、バレンタインには二人でチョコレートを食べた。
あんなに気味悪いと思っていた髪も目も、見慣れてしまえば美しいと思った。
「私、友達なんていやだなー」
勇気を出して、冗談めかして言ってみる。本当に私しか友人がいない月虹にとって、かなりショックな言葉に違いない。
でも、彼はあっけなく言ったのだ。
「僕もいやだな、恋人がいい」
それから私たちは恋人ということになった。
私が男子生徒からの三度目の告白を断ると、親友が真面目に話をしようといってきた。
彼女は眼鏡をぴくりと上げながら、こほん! と咳払いをする。まるで中学校時代の担任のようだった。
「あのねぇ、夢の中ってねぇ、自分の自由になるもんなんだよ。あんたはねえ、いろいろさびしいところもあって、精神的にも追い詰められて、心のよりどころを作り上げちゃったわけ。でもね、もういい大人だよ? 私たち。そんな遊びは卒業しようよ」
親友とはいえ、私のことを何もわかっていない。初めは反論していたけれど、今は面倒くさくなった。
「はいはい、それはそうです。でもね、私が断ったのは、本人が趣味じゃないからなの。しかたないでしょ?」
親友は、私が妄想癖ゆえに結婚できなくたって、知らないという。
私だって、そんなの知らない。
「決めた! 私、月虹を探すことにした!」
私の突然の大声に、月虹はメレンゲを泡立てる手を止めた。
「あなたはきっと、この世界のどこかに存在するはず。たとえば、違う国とか……。いえ、違う星とか!」
SF好きの私には、違う星にいる異星人という発想が、とても的を射ているように思われた。月虹の容姿は、どう考えてもSFに出てくる異星人っぽい。
しかし、月虹はしばらく目をぱちくりさせたあと、うつむいて再び卵白と格闘しはじめた。
私は、まったく話にのってこない彼に、少し苛立ちを覚えた。
「聞こえているの?」
「聞こえたよ」
私はメレンゲのたっぷり付いた泡だて器を取り上げる。彼は少しだけ眉をひそませた。
「そんなの、無駄だよ。夢の中の人間は夢の中でしか存在しない。優子はおかしいよ」
おかしいですって?
まさか、月虹が親友と同じことをいうとは思わなかった。喜んでくれるとばかり思っていたのに。面白がると思ったのに。
「おかしいのは月虹のほうだよ! 自分の存在なのに、どうして否定しちゃうわけ?」
「夢と現実をごっちゃにするなよ!」
彼は一瞬、赤い瞳で私を睨んだ。そして両手を広げて部屋を指し示した。
「優子の望んだものばかりだ! 優子の好きなもの、優子のほしかったもの、どれもこれも優子、優子の……夢だよ」
私はすっかり言葉につまった。
かつて何もなかった白い部屋は、私の好きなもので無造作に埋め尽くされている。
私がお菓子作りに凝り出してからは、キッチンまでできた。オーブン・レンジや、冷蔵庫、中にはぎっしり食材もつまっている。そして、たった今月虹は卵白を泡立てているのだ。
ハーブを育てたいな、と思っていたら、ベランダもできた。プランターが並んでいて、月虹が毎日水をあげている。
「優子の望んだように僕がいるだけ。夢を見なくなったら、僕は消える。それだけだ!」
何色にも染まることのない白い髪のまま、月虹は叫んだ。
「嫌! そんなの嫌!」
私が叫んだとたんに、あたりが暗くなった。
中途半端な時間に、涙とともに目が覚めた。
今まで、喧嘩らしい喧嘩なんか、したことがなかった。何でこんなことになったんだろう?
ブルゾンを羽織って、庭先に出た。
まだ、夜だ。今夜は新月で星がよく見える。
——本当は、怖かったんだ。
だから……。
もう子どもなんかじゃない。
親友の話だって、何度も聞けば、その気になってくる。
それに、私は歳をとるのに、月虹はあの時とまったく変わらない。昔は明らかに向こうが年上だな、って感じたのに、今は同い年か、年下なのかも? と思う。
夢の中のさびしい恋人はさびしい私が作り出した幻想かもしれない。
そう思うのが怖かった。
私は、月虹のように精神集中してみた。そして、宇宙の百五十億光年彼方まで、自分の想いを飛ばしてみる。そうしたら、きっと私に似た誰かが、違う星の上でやはり想いを飛ばしていて、夢の中で巡り合うんだ。
そう……。
私はいつの間にかあの部屋にいた。
「月虹?」
返事はない。ただ、薄暗い部屋に月の光が差し込んでほのかに青白い。
床に転がったボウルの中には、固くなってカサカサになったメレンゲが残されている。彼の姿だけがなかった。
ここは押入れとかわらない。人目を避けて、落ち着きたい場所を探して、たどり着いた場所。
そこで、さびしいと泣いたのは……。
——月虹?
気が付くと、私はやはり家の庭先で、ただ星を見上げていただけだった。
なぜか確信した。
——いる。
月虹はいる。
それでなければ、誰があの赤い丘で、自分の想いを飛ばしたのだろう?
誰がさびしいと言ったのだろう? 誰が私を呼んだのだろう?
私はきっと、百五十億光年彼方まで、あなたを探して見つけてみせる——
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