第9話 紬の嫉妬と……
「和馬君、和馬君、和馬君!」
その翌日の朝。ユウがぴょんぴょんと飛び跳ねるように和馬に接近してくる。早朝からそのテンションの高さを維持するのは、なかなか真似出来ることではないだろう。
「……いつも元気だな、ユウ。どうかしたのか?」
「今日ね今日ね、びっくりしたことがあったの!」
「お、それはなんだ……?」
もう一飛びして、和馬の目の前に着地するユウは、ニコニコとしながらそんな報告をして来る。
この表情を見る限り、なにか嬉しいことでもあったのだろう。
「私ね、実は……今朝転けたの!」
「え、大丈夫かそれ……?」
転けたというのは、怪我を負った可能性があるということで……元気であるにしろ、心配するのは当然である。
「あっ、言葉を間違えた。
「はぁ……。その報告をする意味ないだろ……」
ネタなのか、そうでないのかは定かではないが、ユウの性格からして狙ってしているわけではないだろう。
ただ一つ……、心配するだけ無駄だった。
「あ、あれれ、和馬君面白そうな表情してるね! 私の話、面白かった?」
「この真顔でそう捉えるのかよ……。まぁいいけど……。これ、一応渡しとく」
ため息を吐きながら、和馬はカバンの中から小さな収納ケースを取り出し、接着剤のついた二つの布をユウに渡す。
「これは……ば、絆創膏……?」
「そうだが」
「え、なんで和馬君がこんなもの持ってるの? 男の子が絆創膏を持ってるの初めて見たんだけど……」
目を皿のように丸くし、バケモノを見るかのように口元を震わせるユウは、その絆創膏を素直に受け取る。
「傷口に菌が入ったら大変だろ? 何が起こるか分からないんだし、持っておいて損はないだろ」
「和馬君……ってさ、もしかしなくても家事が出来る人? 料理も出来る人!?」
「まぁ、大学に入ってから一人暮らししてるし、飲食店でバイトもしてるから、人並みには出来てると思ってる」
「じょ、女子力…………」
ポカーンと口を開け、敗北のオーラを滲み立たせるユウは石のように硬直していた。
「もう私、和馬君のお嫁さんになっちゃおうかなぁー! そうしたら何もしなくてもご飯出てきそうだし!」
「来るか?」
「良いのッ!?」
「良いわけないだろ。冗談だ」
本気トーンで返す和馬。和馬にとっての想い人は一人しかいない。和馬は小学からその相手のことをずっと想ってきているのだ。
「だよねー! 和馬君には紬ちゃんがいるもんねッ!」
「はぁ!? どう言う意味だよそれ」
和馬が思い浮かべていた人物をユウに言われ、普段以上に取り乱してしまう。
「和馬君がイチャイチャしたいのは紬ちゃんだけだってこと!!」
「バ、バカ……。んなわけねぇよ」
「なーんか怪しいんだよなぁ……。ねえねえ、何か隠し事してるでしょ!?」
「そ、そりゃそうだろ。人間誰だって隠し事はしてるもんだし。……これ以上追求しても何も答えんからな」
「くぅ……! 上手く逃げられたあ!」
「だいたい、ユウを家に招いたら家を散らかすどころか、家を壊しそうなんだが」
これは決して冗談を言ってるわけではない。ユウのテンションが最高潮まで上がれば、洗濯機の中に侵入したり、ドアを突き破ってきたりする光景が思い浮かんでくる。
それが常識では考えられないことだとは分かっていても……だ。
「おほ、よく分かったね! だいたい壁に二つは穴を開けるかなぁ……。ダイオウグソクムシくらいの大きさの穴を」
「やめてくれ。しかもそいつ、生き物としてはかなりデカイだろ」
「私の顔くらいじゃないかなぁー。ほらっ、このくらい!」
「……っ!」
何を思ったのか、ユウは端正な顔をいきなり和馬に近付けてくる。
その距離はキスをするほどの近い距離。第三者がその光景を見れば、キスをしているなんて勘違いをされてもおかしくはなかった。
「あれ、あれれ……和馬君ってまつげ長いんだねー。なんかこういうのを見ると引っ張りたくならない?」
「ならねぇよ」
視線を逸らしてさり気なく椅子を引く和馬は、ユウから距離を取る。
「でも、そっかそっか……。和馬君は料理も家事も出来るのかぁ……」
「その話を掘り返すのな。ユウは料理とかしないのか?」
「私はいつもスーパーでお惣菜とかパンとか買ってるよ」
「ん……? もしかして、ユウも一人暮らししてんのか?」
「うんうん、和馬君と同じで一人暮らし!」
「意外だな……」
ここでなんとなく『掃除してなさそうだな……』なんて考えてしまったのは内緒である。
「ああー! 今『お部屋が汚そうだ……』とか思ったでしょ!? お言葉ですが、私の家ではお掃除ロボット君が毎日フル稼働してるから綺麗なの! しかも二台!」
「『お言葉ですが』の使い方間違ってるからな……。俺、まだ何も言ってないし」
「とにかく! そこだけは誤解しないでね!」
「お、おう……分かった」
必死さを滲ませたユウの剣幕に押され、和馬は数回頷きを返す。
「分かってくれたならそれで良し。……あ、それでね! 和馬君がバイトしてる飲食店ってどこなの? 一度は足を運んでみたいなぁーって思ってるんだけど」
「
「アリエルって……えッ!? あのオシャレな雰囲気をバンバン出してるカフェだよね!?」
「まぁ、オシャレだと言えばオシャレだな」
「私、ずっとそこのカフェに行きたいと思ってたんだよッ! でも、なかなか入り辛くて……!」
「あぁ……、その気持ちは分かる」
初めて足を運ぶ店、特にカフェなんかだと足を運びにくいと感じるのは仕方がない。
実際に和馬がバイトしている店の店長も、売り上げを上げる為にどうすれば新しいお客さんを獲得出来るようになるのか、常日頃考えているらしい。
「それなら、今週土曜の夕方に来るか……? その日なら俺のシフトが入ってるし、入りやすいとは思うんだが」
「良いのッ!? 行く行く! 絶対行く!」
「分かった。それじゃあ土曜日に」
そして、ユウとそんな約束をした和馬は次の講義の準備のために自席に戻る。
その途端、左から肌に突き刺さる強い視線を感じた。その方向へ顔を向ければ、頰を膨らませた紬が、何か言いたげに口をとんがらせていた。
「ん? なんかあったか、紬」
「別に……なんでもない」
「……?」
和馬は知る由も無いだろう。この時、紬が確かな嫉妬を覚えていたことに。
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